幸手駅、南栗橋駅の街歩き、里歩き4月1日(土)

2017-04-04 11:44:22 | 東京23区とその近辺
埼玉スリバチ学会の「権現堂桜堤へ!街道と河道と下総台地のかけら」に参加した。幸手宿、権現堂堤、栗橋城跡をまわった。


東武日光線幸手駅に集合。電車が着いたり、通過したりするたびに二つあるフォームの両方で、幸手桜まつり歓迎の
幕をかかげて宣伝していた。力がはいっている。

この駅のあたりが幸手城の跡らしい。城と言っても中世の豪族の居館、砦のようなものと推定されている。
遺跡は発見されていないが古い文献などから推定されている。幸手城は16世紀後半からこの地域を治めた幸手一色氏の
居館。幸手一色氏は古河公方足利氏→北条氏と仕えて、小田原征伐の時に徳川家康に味方し、江戸時代には旗本となって
この地域を領有し、子孫は明治まで続いたらしい。

幸手宿に向かう。一色稲荷(陣屋稲荷)。

説明板。

こういう旗が翻っていたので帰ってから調べたら、行かなかったが、近くのお寺に将門首塚があった。

天神神社。

説明板。

幸手宿には宿場当時をしのばせる建物群はないと思われる。古そうな建物はあるがーーー。







桜まつりの接待。あまざけ、お茶、おせんべいなどが無料で。皆さん、親切。



メインの通り。









誰かのいたずら?

幸宮神社。





境内社のお稲荷さんの鳥居はしゃがまないと通れない。

雷電神社。

富士塚だと思ったら、木曽御嶽山の塚だった。



上の写真の建物の彫刻。



聖福寺、勅使門。





正福寺。

馬頭観音の石柱。

道標になっている。

ごんげん道。

枯れていないといいのだけれどーーー。



梅に似た木なのだが?きれいな白い花が満開だった。



熊野神社。昔の名前は、熊野権現社で、権現堂村、権現堂堤とか権現堂河岸の地名の由来になったお社。









権現堂堤に到着。

冷えた体に「こんにゃくの煮物」がおいしかった。

焼き芋も売っていて、みんなが買いに行った。

桜はまだまだだった。とにかく寒い。





近くの祠の戸の猫の足跡。多分、寒さを避けるために祠にはいろうとしたのだろう。はいれたのかなー?

ガッツのある人達も何組か居た。













残念ながら、とてもひまそうだ。土手の下にもいっぱい屋台がでていたのだがーーー。

権現堂用水路への取り入れ口(川からの排水口?)。昔は灌漑用水は生命線だった。

川からの樋管の一つ、新圦(しんいり)と呼ばれているらしい。

堤の全景。両側にもっとずっと続いている。

中川に面した権現堂調節地の水門。

噴水の水が見える。

さっきのと違うレンガ積みの樋管。柵が邪魔でうまく撮れない。地元から参加されたぼくと同じぐらいの方の話では
小さい頃、肝試しにこの樋管の中をもぐって、くぐっていたらしい。

このあたりで昼食解散。

明治天皇が休憩した場所の碑が立っていた。ぼくはここで、もう一人の方とパンで昼食、寒かったがーーー。

パンは、幸手駅に早く着いたので、むかし日光道中を歩いた時に寄った酒蔵(石井酒造)を見に行った際に、隣の
スーパー、ベルクで買っておいた。前回は720ml一本を買ったが、今回は重いのでやめた。



昼食後は御幸橋で中川を渡って、日光道中を北上する。

中川下流方向。左に権現堂調節池の水門が見える。右側は権現堂堤。





コブシの大木。



日光道中の道標。









権現堂調節池沿いの道も桜並木になっている。



右端の森がこの後訪ねる栗橋城のある場所。

利根川図志に出ている図面。栗橋城が出来たころは、この前の川(権現堂川)は流れておらず、図の上下はつなが
っていたのかもしれない。

向うに見える公園あたりが図の上の方で栗橋城の一部だったと推定されている。

真ん中の森のあたりが城跡。森の右側のお宅の私有地。

望遠で拡大。





説明板。左から二つ目の船渡橋で渡った。

説明板。上半分。

下半分。江戸時代以前、陸路では馬や牛の背に荷物を載せて運んでいたのだから、川を使った舟運はそれに比べると
輸送能力が格段に大きい。関宿をはじめこの近辺の賑わいはすごかったのだろう。東北地方の太平洋岸→利根川水系
→江戸川水系→江戸の水運も盛んだった。

隆岩寺。

板碑。

石像の下に「筆子中」と刻んであった。帰って調べたら、「寺子屋のお師匠さんが亡くなった時に、慕って石造物を
建てることがある。」となっていた。このあたりで慕われていたお師匠さんのためのものらしい。

同じような様式のものがあちこちにある。

三嶋神社。

手水鉢に「関宿」の文字があった、文化二年(1806年)奉納だった。

実相院。ここは栗橋城の出丸と伝わっている。

スダジイの大木。籠城の時の非常用の食糧にされたらしい。

もう一本大木があった。

飾りがきれいだった。

境内の十九夜石柱。

道端にも同じような様式のものが。

庚申塔。

いよいよ栗橋城跡へ。

敷地内に栗橋城跡があるお宅の入口は空堀跡を横断していた。数人がすぐに探検に行った。

許可をもらっていたので、ご挨拶して、はいらせていただいた。低い丘の頂上には祠があった。みんなでお参り。





空堀に下りる。

見上げると深くて急傾斜。

大量の落ち葉がたまっていて、湿っているので、足もとがふわふわ。泥ではないので、気持ちいい。





見上げるとこんなぐあい。

上からはこんなぐあい。



森の中にはいると方向がわからなくなり、くまなく全部と言うとかなりの時間が必要。ざっと見て歩いた、広い。

お隣の法宣寺へ。

りっぱなモクレン。

法宣寺から見た空堀の一部分。



城の北側の神社群に向かいながら、帰途につく。神明社。

香取神社。

若宮八幡宮。







権現堂調節地沿いにキューピーおよび関連の会社の工場がたくさんあった。広大な面積だ。

幸手駅に着いたのが9:05で南栗橋駅を出たのが17:28、たのしい一日だった。引率、説明いただいたお二人に
感謝、感謝だ。栗橋駅に出て、湘南新宿ラインで帰った。これは栗橋駅を通る列車。
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