小田原城付近10月30日(金)

2009-11-01 18:16:40 | 東海道
箱根に一泊する大学時代のクラス会があり、行きがけに小田原城と小田原宿を
見物した。
昨年、旧東海道を歩いた時には、小田原はあまり見ないで、てくてくと通り抜けた
ので、お城を中心に見物したかった。
結果的には、宿場町の面影はあまり残っていなくて、旧宿場の東側 は、かまぼこ・
ひもの・かつおぶしのお店が軒を並べているのが目立つていどだったので、どちら
かと言うとさびれていると言う印象だった、去年と同じだった。西側は、東京の
衛星都市として近代化した町という印象だった。そういう意味では、ビジネスにも
住むにもいい町のように思う。


これがお城、木がうっそうと茂った公園の中にあり、子供連れのお母さんが大勢
散歩していた、いい環境にある。
この建物は戦後の復元でコンクリート製。

天守閣から南側。

東側。

北西側、箱根の方向、このお城からは富士山は見えない。

西側。

市の天然記念物のイヌマキの古木。この城内には大木が多い。

同じ木を離れて見たところ。立派だ。

これは市の天然記念物のビャクシンの古木。

楠も大木で見ごたえがある。

バス、タクシーの駐車場脇の黒松の林もよかった。

藤棚の前のお堀。ほっとする雰囲気がある。

そのお堀に沿った藤棚、ベンチにはお年寄り、子供連れがぼやーっと休んでいた。
よく整備されていた。

立派な建物の「(株)ういろう」のお店。
この様式はずっと昔から何代にも渡って引き継がれ、建て替えるたびに復元され
てきているとのこと。
今回、お城やお店の説明書を読んで、はじめて知ったが、「ういろう」というの
は、外郎家に由来している。外郎家(一族)は中国の元に仕えていて、元が明に
滅ぼされた時代に来日し、帰化した、その時に外郎という名字にした。1368年か
ら博多に住み、中国貿易・医者・漢方薬屋などをして、有名になった。足利義満
はこの人を京都に迎えようとしたが、本人は行かず、息子が行って、朝廷の医師・
「外交を中心とした顧問」として、代々、活躍する。
その後、子孫が1504年に北条早雲に招かれ、召抱えられ、小田原に住む。
豊臣秀吉および徳川幕府からも保護されて、現在に続いている。
この一族が中国から持ってきたのが、漢方薬の「ういろう」とお菓子の「ういろう」。
いきさつがあって、漢方薬の「ういろう」は秘伝となり「(株)ういろう」が
現在も製造・販売している。一方、お菓子の「ういろう」は全国にひろまり、
どちらかというと名古屋が一番有名になっている。
長くなったが、要約するとこういうストーリーになると思う。

これが喫茶室でいただいた、ういろうを使ったお菓子。たいへん美味しかった。


保存されて観光客用に使われている古い様式の家。


箱根寄りの町外れの居神神社、ここには町中にあった古い石柱が集められて
いて、興味深かった、行方不明になってしまうよりは、動かして神社に集めるのも
いい方法かもしれない。

上からの景色。


そのすぐ先、箱根板橋にあった古い家。消えかけてやっと読める看板には
○○醤油醸造---の文字があった。住居としては使われているようだが、醸造は
していない。


箱根登山鉄道、風祭駅。
去年はここから帰った、今日はここから宿屋に行く。

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