今日は、甲州街道を歩くつもりで、朝早く、目覚ましで起きたが、しんどかった
ので止めにした。代わりに昼前から、日光街道に出かけた。日曜だったためか、
めずらしく、街道歩きの人たち二組と出会った。
東部伊勢崎線、春日部駅-粕壁宿-杉戸宿-幸手宿-東部日光線、幸手駅と歩いた。
前回、10月4日に来た、田村家の建物からスタート。
この家も粕壁宿の田村さん、下の写真は裏側から撮ったもの、すごく大きい家
であることがわかる。道端に、この家を絵に描いている人がいた。
この付近の大きい家(裕福そうな家)には田村さんが多かった。
粕壁宿のつづき、ここから8枚。この蔵は残っていてくれて、うれしいと言う感じ
がした。
この商店の建屋についても同じ。
次に来る時は、ないかもしれない雰囲気。
春日部八幡神社へ行く途中の家。手入れが行き届いていた。
春日部八幡神社の入り口、左側に在原業平の「なにしおはば いざ言問はん都鳥
---」の碑があると本に書いてあったので、来て見たがたいしたことはなかった。
神社は立派で感じが良かった。
気付いてみれば当たり前だが、この歌の頃には、隅田川も利根川も現在の流路を
流れてはいない、江戸時代に流路変更工事をして付け替えている。
この歌は、東京の隅田川で歌われたのではなく、当時、隅田川と呼ばれていた川
のどこかで読まれたことになる。その候補地の一つが粕壁宿あたりで、江戸時代
に郷土を愛する篤志家が石碑をつくったとのこと。
ここも七五三のお参りで賑わっていた。
鎌倉の鶴岡八幡宮から一枝が飛んで来て根付いたと伝わるご神木の銀杏。
古利根川に流れ込む古隅田川。残念ながら古隅田川はどぶ川のようになってし
まっていた。今後、整備されてきれいな川になるのを願う。
杉戸宿へ向かう途中の農家、広い敷地に4、5軒の家があった内の古そうな家。
同じく途中にあった家。
杉戸宿の家、ここから4枚。造酒屋、関口酒造。
そう思って見るからかもしれないが、これらの家は5,6年後には建て替わって
いる気がする。
この後、幸手宿の入口に造酒屋の石井酒造の古い家があると本に載っていて、
写真もあったが、探しても見つからなかった。本の地図の場所には、真新しい
スーパーがあった。
幸手宿の神明神社、境内に「たにし不動」と言う目の病を治してくれるお不動様
がある。
今日はここまでにした。
幸手駅からの夕日。
ので止めにした。代わりに昼前から、日光街道に出かけた。日曜だったためか、
めずらしく、街道歩きの人たち二組と出会った。
東部伊勢崎線、春日部駅-粕壁宿-杉戸宿-幸手宿-東部日光線、幸手駅と歩いた。
前回、10月4日に来た、田村家の建物からスタート。
この家も粕壁宿の田村さん、下の写真は裏側から撮ったもの、すごく大きい家
であることがわかる。道端に、この家を絵に描いている人がいた。
この付近の大きい家(裕福そうな家)には田村さんが多かった。
粕壁宿のつづき、ここから8枚。この蔵は残っていてくれて、うれしいと言う感じ
がした。
この商店の建屋についても同じ。
次に来る時は、ないかもしれない雰囲気。
春日部八幡神社へ行く途中の家。手入れが行き届いていた。
春日部八幡神社の入り口、左側に在原業平の「なにしおはば いざ言問はん都鳥
---」の碑があると本に書いてあったので、来て見たがたいしたことはなかった。
神社は立派で感じが良かった。
気付いてみれば当たり前だが、この歌の頃には、隅田川も利根川も現在の流路を
流れてはいない、江戸時代に流路変更工事をして付け替えている。
この歌は、東京の隅田川で歌われたのではなく、当時、隅田川と呼ばれていた川
のどこかで読まれたことになる。その候補地の一つが粕壁宿あたりで、江戸時代
に郷土を愛する篤志家が石碑をつくったとのこと。
ここも七五三のお参りで賑わっていた。
鎌倉の鶴岡八幡宮から一枝が飛んで来て根付いたと伝わるご神木の銀杏。
古利根川に流れ込む古隅田川。残念ながら古隅田川はどぶ川のようになってし
まっていた。今後、整備されてきれいな川になるのを願う。
杉戸宿へ向かう途中の農家、広い敷地に4、5軒の家があった内の古そうな家。
同じく途中にあった家。
杉戸宿の家、ここから4枚。造酒屋、関口酒造。
そう思って見るからかもしれないが、これらの家は5,6年後には建て替わって
いる気がする。
この後、幸手宿の入口に造酒屋の石井酒造の古い家があると本に載っていて、
写真もあったが、探しても見つからなかった。本の地図の場所には、真新しい
スーパーがあった。
幸手宿の神明神社、境内に「たにし不動」と言う目の病を治してくれるお不動様
がある。
今日はここまでにした。
幸手駅からの夕日。
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