ひさしぶりに、カルチャーセンターの野外講義(街歩き)に参加した。

小田急線成城学園駅に集合。ぼくがここを通って通勤していた1987-1990年とはさまがわりしていた。
駅と駅ビルにびっくり。複々線化とか新宿からここまでの駅のさまがわりにもびっくり。駅付近のようすはあまり
かわっていなかった。

成城学園中高大学。

イチョウ並木がきれい。

敷地が広いお屋敷町。


庭の緑も多い。

猪俣庭園。猪俣家から世田谷区に寄贈され、(財)世田谷トラストまちづくりが運営している。
有名な建築家(不勉強でぼくは名前を知らなかったが)、吉田五十八の設計による。






庭から見た建屋。

裏から見た建屋。ぼくのすきな日本家屋の平屋だ。最も敷地をぜいたくに使った建て方。
大金持ちの趣味人だったのだろう。

崖線の上から下、野川、多摩川方向を見る。

崖を上下する歩道が多い。ここもお屋敷の庭の道をトラストが管理して、公開している。

ぼくも知っていた有名な建築家、吉阪隆正設計の家。関連の方が住んでいるらしい。



この階段は何のためなのだろう。

よく見ると階段の上、出っ張り部分は後からの改築(増築)のようだ、当初は出入り口だったのだろうか。
残念ながら手入れはよくないようだった。ぼくの好みには会わないが、人気があって、見物に来る人が多いらしい。

神社は崖の上にあるのが定番。

そこからの崖の下、南側方向の景色。

そのあたりの崖の上のお屋敷。


このあたりの大型マンションは崖の下、野川沿いに二つある。女房が亡くなる前、まだ元気だったころに見に来た。
駅からかなり遠く、車が必須だったので、「残念だね」と話し合った思い出がある。

崖線を上り下りしながら、歩く。こういう歩道がたくさんある。

崖の上に畑もあった。

ここは上部に抜けられないので行かなかったがトラスト管理の公園になっている。

ずっと昔、仁川(宝塚市)に家を建てた時に使った雨戸と同じ製品が使われていた。なつかしかった。その家は
勤めていた会社の本社が大阪から東京に移転し、住める可能性がすくなくなったので売却し、その後取り壊され
てしまった。

ここもトラストが管理する崖線上の土地だが立ち入りを禁止して、自然観察をしている。

そこにある湧水が溜まった池を撮ろうとしたが、池の気配が感じられただけだった。

その池から流れて、道路上に出て来たらしい流れ。

その先は喜多見駅近くの野川。

テレビドラマや映画によく出てくる川沿いの道。

もう一度さっきの特別保護区にもどると、また湧水が溜まった池があった。フェンス際なのでよく見えた。


喜多見不動の水行場。崖線には湧水が多くあり、水ごりの修行場が多い。




ここにもトラスト管理の公園があった。

また崖の上へ。

世田谷区指定有形文化財の家。現在も住居として使われている1939年築。庭の一部が公開されていた。


その庭のセンリョウが印象に残った。


ちょうど下校時間だった。さわぎながら坂を駆け下りていた。

もう一度、崖の下に下りた。ここにも崖線の湧水があった。クレソンが生えていた。
この横に二つ目の大型マンションがある。ここも崖下の野川沿いだ。一つ目の大型マンションの一年後にできたと
思う。このころマンションを探していたので、ここも女房と見に来た。駅から遠くなくて、ぼくはいいなーと思ったの
だが、女房がなんとなくいやだというので、やめた。この一年後ぐらいに女房が重病だと判明した、きっと見に来た
ころから元気がなかったのだと思う。けっきょく、社宅住まいのまま亡くなってしまった。おもいだして、あらためて、
かなしくなった。
この後、成城学園駅にもどって、先生を数人で囲んで、お茶して、だべった。かなしい思い出もあったが、ひさしぶ
りの街歩き会はたのしかった。

小田急線成城学園駅に集合。ぼくがここを通って通勤していた1987-1990年とはさまがわりしていた。
駅と駅ビルにびっくり。複々線化とか新宿からここまでの駅のさまがわりにもびっくり。駅付近のようすはあまり
かわっていなかった。

成城学園中高大学。

イチョウ並木がきれい。

敷地が広いお屋敷町。


庭の緑も多い。

猪俣庭園。猪俣家から世田谷区に寄贈され、(財)世田谷トラストまちづくりが運営している。
有名な建築家(不勉強でぼくは名前を知らなかったが)、吉田五十八の設計による。






庭から見た建屋。

裏から見た建屋。ぼくのすきな日本家屋の平屋だ。最も敷地をぜいたくに使った建て方。
大金持ちの趣味人だったのだろう。

崖線の上から下、野川、多摩川方向を見る。

崖を上下する歩道が多い。ここもお屋敷の庭の道をトラストが管理して、公開している。

ぼくも知っていた有名な建築家、吉阪隆正設計の家。関連の方が住んでいるらしい。



この階段は何のためなのだろう。

よく見ると階段の上、出っ張り部分は後からの改築(増築)のようだ、当初は出入り口だったのだろうか。
残念ながら手入れはよくないようだった。ぼくの好みには会わないが、人気があって、見物に来る人が多いらしい。

神社は崖の上にあるのが定番。

そこからの崖の下、南側方向の景色。

そのあたりの崖の上のお屋敷。


このあたりの大型マンションは崖の下、野川沿いに二つある。女房が亡くなる前、まだ元気だったころに見に来た。
駅からかなり遠く、車が必須だったので、「残念だね」と話し合った思い出がある。

崖線を上り下りしながら、歩く。こういう歩道がたくさんある。

崖の上に畑もあった。

ここは上部に抜けられないので行かなかったがトラスト管理の公園になっている。

ずっと昔、仁川(宝塚市)に家を建てた時に使った雨戸と同じ製品が使われていた。なつかしかった。その家は
勤めていた会社の本社が大阪から東京に移転し、住める可能性がすくなくなったので売却し、その後取り壊され
てしまった。

ここもトラストが管理する崖線上の土地だが立ち入りを禁止して、自然観察をしている。

そこにある湧水が溜まった池を撮ろうとしたが、池の気配が感じられただけだった。

その池から流れて、道路上に出て来たらしい流れ。

その先は喜多見駅近くの野川。

テレビドラマや映画によく出てくる川沿いの道。

もう一度さっきの特別保護区にもどると、また湧水が溜まった池があった。フェンス際なのでよく見えた。


喜多見不動の水行場。崖線には湧水が多くあり、水ごりの修行場が多い。




ここにもトラスト管理の公園があった。

また崖の上へ。

世田谷区指定有形文化財の家。現在も住居として使われている1939年築。庭の一部が公開されていた。


その庭のセンリョウが印象に残った。


ちょうど下校時間だった。さわぎながら坂を駆け下りていた。

もう一度、崖の下に下りた。ここにも崖線の湧水があった。クレソンが生えていた。
この横に二つ目の大型マンションがある。ここも崖下の野川沿いだ。一つ目の大型マンションの一年後にできたと
思う。このころマンションを探していたので、ここも女房と見に来た。駅から遠くなくて、ぼくはいいなーと思ったの
だが、女房がなんとなくいやだというので、やめた。この一年後ぐらいに女房が重病だと判明した、きっと見に来た
ころから元気がなかったのだと思う。けっきょく、社宅住まいのまま亡くなってしまった。おもいだして、あらためて、
かなしくなった。
この後、成城学園駅にもどって、先生を数人で囲んで、お茶して、だべった。かなしい思い出もあったが、ひさしぶ
りの街歩き会はたのしかった。
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