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daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

太田米屋と鈴木米屋 3  米の錬金術

2011年12月04日 19時25分19秒 | 地震

一方、鈴木米屋は問題なかったか、というと、そうでもない。

今では焼き肉屋になったY君がH商業高時代に鈴木米屋でバイトをしていた。

仕事は米の配達である。

 

Y君の家は鈴木米屋の隣であり、注文があると呼ばれて袋を担いで配達に行く、という段取りになっていた。

配達一回につき50円ほどもらっていた。

 

Y君が見たところによると、鈴木米屋の親父は徳用米と自主流通米を2対1で混ぜ、すべてを自主流通米として売っていたという。

つまり高い米がいきなり3倍量に増えることになる。

この割合だと、消費者はぎりぎり味の劣化に気づかないのだそうだ。

親父は、「俺が研究した成果だ。3対1だと食べて分かる。儲けもほどほどにするのが企業努力だ」と嘯いていた。

 

事故米を混ぜた太田米屋よりは良心的(?)だが、米屋はどこもごまかしをするものだということを、世の中の仕組みを、私はそのとき知った。

今なら放射線量 500ベクレル/kg 以下の米は堂々と販売できるから、980ベクレル/kg の汚染米に、0ベクレルの古古古古古米を等量ブレンドすれば 490ベクレル/kg となり、売っても構わないことになる。

汚染米と古古古古古米をただ同然で仕入れてブレンドして売れば、「無から有を生じる」ことになる。

490ベクレル/kgに調整したブレンド米10kgを、ホームセンターで買った「N県産コシヒカリ」の袋(39円)に入れて3500円と値付けすれば主婦が買って行くだろう。

10kg 500円と値付けすれば、外食産業が喜んで大量に買って行くだろう。

元はタダだから売れさえすれば利益は上がる。

 

米の錬金術である。

 

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太田米屋と鈴木米屋 2  「腐れ米屋」

2011年12月03日 20時09分11秒 | 地震

米屋の作業場は外からガラス越しに見えた。

しかし親父は背中を向けて作業をしていたし、どの米をどの割合で混ぜているかは分からなかった。

何より一人でやっているから、ブレンド米の中身は米屋の親父しか分からない。

売った米の中身を検査される時代ではなかったから、米屋は「やり放題」だったとも言える。

 

あるとき、太田米屋の米にカビが着いていた、と噂になった。

文句を言った客に、「さっさと食わないからだ」と言い返したらしい。

 

後から分かったことだが、太田米屋は事故米(カビが生えて、廃棄すべき米)を「犬にやるから」とただで仕入れて、ブレンド用に使っていた。

カビのないところを選り分けて使っていたが、いずれカビは浮いてきた。

太田米屋の店頭には、「腐れ米屋」と大きく落書きされた。

 

その後しばらくして、「都合により休みます」という張り紙が出て、太田米屋は店じまいした。

太田T子も学校に来なくなった。

一家でどこかに引っ越して行ったらしかった。 

 

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太田米屋と鈴木米屋 1   高くて不味い自主流通米 

2011年12月03日 00時14分42秒 | 地震

昔、わが家の近くに太田米屋と鈴木米屋という2軒の米屋があった。

鈴木米屋はごく普通の米屋(と思われていた)だったが、太田米屋の評判は良くなかった。

太田米屋にはT子という私の同級生がいた。

 

その頃、米は徳用米と自主流通米の2種類しかなかった。

徳用米は標準米ともいい、安いが不味かった。

自主流通米は今でいうブランド米であり、価格も味も良かった。

 

町内では、「太田米屋の売る自主流通米は、値段は高いのに不味い」という評判が確立していた。

当時、米は米屋が自由にブレンドして袋詰めし、勝手にもっともらしい名前を付けて売っていた。

今と違って遺伝子解析もトレーサビリティもない時代だから、消費者は米がまともかどうか、自分の舌で判断するしかなかった。

 

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山浦玄嗣さんのこと 4   

2011年11月29日 19時11分04秒 | 地震

山浦さんのことを取り上げたのは、12月1日に 「海が呑む 3.11東日本大震災までの日本の津波の記憶」 という本が発売されるからです。

この本に山浦さんの津波体験記が収録されています。

出版社は晶文社。

 

本体価格:1,400円+税 判型:四六 

花輪 莞爾、山浦 玄嗣 :著
 
丹念に集められた被災体験談。日常生活に不意に襲来する大津波の恐怖を文芸的筆致で描いたルポルタージュ集。 
三陸海岸、紀伊半島、奥尻島――。近現代日本を襲った巨大地震津波の傷痕を訪ねて、被災した人々の体験談を丹念に集め、時と共に忘れられがちな大津波の恐怖を文芸的筆致で仕上げたルポルタージュ集。

特別寄稿として、津波被害の大きかった大船渡在住の医師であり、新約聖書を気仙地方の方言〈ケセン語〉に訳したことで知られる山浦玄嗣氏の「3.11巨大地震津波体験記」を収める。


佐野眞一氏(ノンフィクション作家)推薦!

津波は大災害をもたらすとともに、人を夢魔のような幻想に誘う。エドガー・アラン・ポーの『メエルストルムの渦』は、海の底に引き込まれる恐怖感で髪の毛が真っ白になった漁師が魅惑的に描かれている。この『海が呑む』も、日常生活に不意に襲来する大津波が白昼夢にも似た味わいで描写されている。

「胡麻汚しした巨大な蒟蒻のような波が……背をぬるぬる光らせて中空まで持ち上がり迫っていた。小高い鉄道の路床を夢中で這いのぼり……余勢を駆った波頭は、岸壁からのり上げ一切を呑み尽くした」。この形容は、芥川賞の候補に二回あがった幻想文学者でなければできないシュールな表現である。恐怖のすぐ裏に甘美さが張りついていることを見逃してはならない。

本書に併録された、新約聖書を気仙地方の方言の“ケセン語”に翻訳したキリスト者にして医師の山浦玄嗣氏が記した「3.11巨大地震津波体験記」も、当事者ならではのディテールが満載されていて必読である。


はじめに
海が呑む(Ⅰ)――三陸海岸(岩手県三陸町綾里、大船渡町)
海が呑む(Ⅱ)――津軽半島、秋田県能代市
海が呑む(Ⅲ)――紀伊半島(三重県尾鷲市、和歌山県有田郡広川町・湯浅町)
奥尻島悲歌――北海道奥尻郡奥尻町

特別寄稿 3・11巨大地震津波体験記(山浦玄嗣)
これから――エリ・エリ・レマ・サバクタニ(山浦玄嗣)


皆さん、立ち読み、いやぜひ購入してお読みください。

 

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山浦玄嗣さんのこと 3    

2011年11月28日 20時44分07秒 | 地震

カトリック信者の山浦さんは、三陸沿岸南部の気仙地方の方言を「ケセン語」と名付け、新約聖書を訳して出版していた。

この「ケセン語聖書」は出版社の倉庫に保管されていたが、倉庫もろとも津波にのみこまれた。

しかしこのたび倉庫から水につかった3千冊の聖書が見つかったという。

 

2011年6月19日5時6分  Asahi com
 

津波にのみこまれた岩手県大船渡市の出版社の倉庫から、水につかった3千冊の聖書が見つかった。

泥を払い、かわかして販売したところ、「大津波に耐えた聖書」として注文が相次いでいる。

聖書は、地域の出版文化の復興を目指す人たちの心も支えている。

カトリック信者で大船渡市の内科医、山浦玄嗣さん(71)が、三陸沿岸南部の気仙地方の方言を「ケセン語」と名付け、新約聖書を訳したのが始まり。

地元で自費出版などを請け負う出版社「イー・ピックス」が、「ルカによる福音書」など計4巻を9年前から刊行している。

「神様んすぅ、神様んすぅ、なしておれぁどごぉ見捨てやりぁしたれ?」(わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか?)

震災後、変わり果てた街を見たとき、山浦さんは自らが訳した聖書の一節が頭に浮かんだ。病院も浸水し、患者に満足に薬を渡せない状況が1カ月続いた。

山浦さんが4年がかりで訳した聖書も大半が水につかった。イー社の倉庫は津波で天井が落ち、大半の本が水につかった。

同社代表熊谷雅也さん(58)は震災から3日後、聖書が入った段ボール数箱を見つけ、高台にある自宅に持ち帰った。

庭にすのこを敷いて天日干しし、汚れがひどくないものを仕分けした。

 熊谷さんは4月、プレハブで社員3人と営業を再開した。定価で売るのに抵抗はあったが、交流のあった三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)財団副理事長の工藤正広さんが「貴重な聖書。記念館で定価で販売させて」と申し出てくれた。

こうした動きがインターネットなどで広まった。

ここ数年、年間300~400冊で推移していたのが5月以降、信者を中心に620冊が売れた。

郵送で取り寄せた東京都目黒区の高瀬瑞枝さん(70)は「手元に届いたとき、まだ少ししめっていた。

被災した本を手にして津波がどういうものだったのか感じた」と話す。

宮城県の女性は車で5時間かけて買いにきた。

米国・デトロイトの日本人牧師からは120冊の注文があった。

震災後、従業員の給料を払うめどがたたず、「どうしたらいいかわからなかった」と熊谷さんは振り返る。

聖書の販売をきっかけに少しずつ再建の兆しが見えてきた。

聖書はB5判、朗読CD付きで5880~6090円(税込み)。問い合わせはイー・ピックス(080・6003・4319)。 

 

 

山浦さんの話はyou tube でも見られます。  

 

http://www.youtube.com/watch?v=gkZ6UuMnQBE

おとずれ 2009 4月号 ケセン語訳聖書 

 

http://www.youtube.com/watch?v=T3ydN8juOGM&feature=related

山浦玄嗣講演会 上智大学100周年記念

 

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山浦玄嗣さんのこと 2

2011年11月27日 10時18分48秒 | 地震

 山浦玄嗣さんは、新約聖書の四つの福音書を地元・気仙地方の言葉に翻訳した「ケセン語訳新約聖書」の著者としても知られています。

地元のカトリック教会に通う山浦さんは、東日本大震災の大津波が襲った三陸の診療室で何を見たのでしょうか。 

 

 

3月11日午後2時46分。私が理事長の山浦医院の午後の診察が始まる時間でした。

自宅のすぐ隣にある医院に入ると間もなく、大きな横揺れを感じました。

揺れはいつまでも収まらず、船酔いみたいに吐き気がしてきたころ、ようやく静まりました。

幸い自宅も医院も床上に浸水しただけで済みました。

 

でも、津波でたくさんの友だちが死に、ふるさとは根こそぎ流された。

黒い津波が押し寄せるのを見て、イエスが十字架で叫んだ「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか?」を思い出しました。

この一節は当時よく知られた詩の冒頭で「あなたに依(よ)り頼んで、裏切られたことはない」と締めくくられます。

イエスは力尽きて、最後まで口にできなかったとされています。

苦悩のなかで毒づきながら、それでも神への信頼は揺るがない。私も同じです。 

 

重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開けました。

津波の後には寒い日が続きました。

患者さんは停電し暗い待合室で、私が用意した毛布にくるまっていました。

60人はいたでしょうか。患者さんには薬が必要なのです。

 

不通になった鉄道の線路伝いに、家族のため雪で真っ白になり2時間かけ歩いてきたおじさんがいました。

「遠いところ悪いが、5日分しか出せないよ」と言うと、ひとこと「ありがたい」。2時間かけて帰っていきました。

もっと欲しいと言った患者さんもいます。でも「薬はこれだけしかない」と諭すと、はっとした顔になり「おれの分を減らして、ほかの人に」と譲りあってくれました。 

 

「ががぁ(妻を)、死なせた」。目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。

「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。

気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。

そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。

 

この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。 

人はみんな死にます。しかも、死はどれも理不尽なのです。でも、無駄な死はひとつもありません。死には必ず意味があります。

診療室の人たちは不遇を嘆くのではなく、多くの死者が出た今回の出来事から何かを聞き取ろうとしていたのかもしれません。

必要以上に持ち上げるつもりはありません。

 

しかし、あのつらいなか、意味のない問いかけをすることなく、人のために何ができるか、本当に生き生きとした喜びを感じるには何をすればいいのかと、懸命に生きていました。

あっぱれな人たちに、私は出会えたのです。 

 

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山浦玄嗣さんのこと 1  

2011年11月26日 20時13分19秒 | 地震

「あっぱれな被災者を見た 『ケセン語訳新約聖書』著した医師・山浦玄嗣さん」

という記事が朝日新聞大阪版、2011年05月16日夕刊に掲載された。

 

山浦さんは現在大船渡在住ですが、20年前までは仙台に住んでおられました。

私とは30年前からの知り合いです。


彼は敬虔なクリスチャンで、私はキリスト教アレルギーですので、まったく宗教以外でのお付き合いです。

私のアレルギーの原因は幼時体験にあり、それについてはこのブログのあちこちに書き散らかしてあります。

 

たいていのクリスチャンは、少しでも隙を見せると手を引っ張って教会に連れ込み、折伏しようとしますから油断ができません。

しかし山浦さんだけはそういうところのない、「安心できる」クリスチャンです。

非クリスチャンを憐れむこともしません。

 

記事は大阪版なので読んでいない方も多いでしょうから、ここに掲載します。 

 

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石巻岡田劇場 4

2011年11月25日 20時08分34秒 | 地震

 

「エクレール・お菓子放浪記」の被災者向け無料上映会が始まった。

11月23日は石巻専修大学で。

 

 

スクリーンに震災前の石巻の美しい風景がよみがえった。

映画のテーマは「支え合う人の心の優しさ」だった。

今そのテーマが胸に迫る。

 



主演の吉井一肇(はじめ)君(12)は、中国最大の映画祭「第20回金鶏百花映画祭」国際部門で主演男優賞を受賞した。

この日の上映会終了後に舞台挨拶をした。



「大きな賞をいただいて、とても驚いているし、うれしい。石巻市民の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです」。

公開間近で襲われた震災の復興支援の意味合いも重なり、上映運動の輪が広がっている。

さらに吉井君が国際的な賞を獲得したことで、興業も上向いており、ハワイの日本語専用テレビでの放映が決まるなど海外からの照会も増えている。



石巻での被災者向け無料上映会は、「製作と上映を支える宮城県民の会」が、東京などの試写会で集まった義援金約150万円を基に設立した「エクレール基金」の支援を受けて実現した。

24日はビッグバン(定員402人)、25日は石巻市桃生公民館文化ホール(273人)、26日は県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)セミナールーム(100人)で上映する。

上映会場には嗚咽、号泣の声が溢れた。 

劇場公開はワーナー・マイカル・シネマズ新石巻で上映中である。

 

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石巻岡田劇場 3

2011年11月24日 19時53分13秒 | 地震

不幸中にも幸いがあった。

 

昨年、石巻市を中心にロケが行われた「エクレール お菓子放浪記」という映画。

岡田劇場がロケに使われ、その姿を映像に刻んでいた。 

震災により、石巻市は死者・行方不明者約6千人の甚大な被害を受けたが、作品には北上川のヨシ原や日和山公園、岡田劇場などの失われた風景や亡くなった人々も写っている。

http://www.eclair-okashi.com/

 

原作は西村滋の小説「お菓子放浪記」。

小説では岡山や四国が舞台だが、近藤監督は「製作の過程で東北の美しい自然、人の温かさを知り、ぜひ舞台にしたくなった」と語っている。

ストーリー

昭和17年。孤児院を脱走した西村アキオ(吉井一肇)は、金平糖を盗み逮捕される。空腹のアキオに、担当刑事の遠山(遠藤憲一)が菓子パンをくれた。初めて口にする甘味はアキオを夢心地にさせた。やがて若松千吉(太賀)、松尾春彦(根岸泰樹)と共に感化院に入れられたアキオは、指導員・伊集院鉄太郎(松村良太)から暴力的な軍事教育を受ける。希望のない日々を救ってくれたのは、教員・陽子(早織)が歌う「お菓子と娘」だった。昭和18年。野田フサノ(いしだあゆみ)の養子になったアキオは家族ができたと大喜び。だが、フサノにとってアキオは労働力でしかなかった。ショックを受けたアキオは家出し、尾上紋三郎(林隆三)率いる旅一座と共に巡業に出る。ようやく居場所を見つけたアキオだったが、戦争という現実が旅一座をも打ち壊してしまう。更に、陽子や遠山までもが空襲で亡くなったと知った時、アキオは戦争の残酷さを痛感し、世の中に絶望するのだった。そして、終戦。大切にしていた沢山の人の死と巡り会ったアキオは、心を閉ざして社会の片隅で生きていた。そんなアキオを救ったのは、彼を支えた“やさしい人の心”と“お菓子の持っている不思議な力”だった……。


アキオがフサノに養子として引き取られ、芦が茂る川を船で行くシーンがある。

この印象的な場面は、昨年10月、石巻市内の北上川で撮影された。

船頭役は元船頭だった地元の男性が演じている。

しかし、震災による津波で、この美しい芦原はのみ込まれ、この男性も亡くなったという。 

 

 

地元で下記のように先行公開予定だったが、宮城県の映画館も被災し、すべて延期、中止となった。

 

2011年4月23日~仙台セントラルホール /宮城県仙台市

2011年4月23日~岡田劇場 /石巻市中瀬

2011年5月7日~ムービックス仙台(MOVIX仙台) /宮城県

2011年5月7日~109シネマス富谷 /宮城県

2011年5月7日~新石巻:ワーナー・マイカル・シネマズ /宮城県

 

先行公開はなくなったが、全国のワーナー・マイカル・シネマズで11月中公開されている。 

 

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新米が危ない 13

2011年11月20日 20時28分26秒 | 地震

NHKの震災特集番組で、福島の農民がこんなことを言っていた。

「うちの田んぼの土壌を測ったら800ベクレル/kgだったが、採れた米からは検出されなかったので出荷OKとなった。だから消費者の皆さんは安心して福島の米を食べて下さい!」

これを聞いた人はどう思っただろう。

最近、こんな記事が出た。

<放射性セシウム>福島市のコメから規制値超630ベクレル
毎日新聞 11月16日(水)21時58分配信

 福島県は16日、福島市大波地区産のコシヒカリから国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウム630ベクレルを検出したと発表した。農家が自宅に保有していたコメで市場には出回っていないといい、県はこの農家を含む大波地区の稲作農家154戸に出荷自粛を要請した。コメの暫定規制値超過は全国で初めて。

 福島米をめぐっては、国の放射性セシウム検査がすでに終了し、今年10月に「安全宣言」が出されたばかり。

 同地区は東京電力福島第1原発から約60キロ離れた福島市東部に位置する中山間地。福島市によると、この農家の水田はくぼ地にあり、山からの沢水を使っていた。周囲の放射性物質が蓄積された可能性があるとみている。また、セシウムを検出したコメは収穫後に天日干ししていたという。

 原発事故による放射線量が周辺より比較的高く、福島市は10月18日から地区の全世帯を対象に、本格的な除染作業を進めている。

 県によると、この農家は14日、自宅に保管していたコメをJA新ふくしまに持ち込んで簡易測定器で測定。高い数値が出たため、福島市に連絡した。市と県で詳しく検査した結果、630ベクレルを検出した。

 

 

サンプル検査の限界である。田んぼの放射線値は、同じ地区でも地形、風向き、水の流れで天地ほど違う。

全粒検査、最低でも全袋検査をしなければ出荷はしてはいけない。

そもそも今年福島では作付けをするべきではなかった。出来てしまった米は必ずどこかで消費される。

 

高島屋では福島応援として、福島の有機栽培米を5kg、5500円で「お歳暮用」に売り出している(高い!)。

自家用ならともかく、「お歳暮」としてはどうなのだろう。もらった人は嬉しいだろうか。

自分がもらったら、「何か恨みでもあるのか」と思うだろう。

 

食物が出荷されて消費者の口に入ってから汚染が発表されるというパターンは牛肉でもあった。  

 

7月24日、山形県は鶴岡市の農家が出荷した牛1頭の肉から、 国の暫定基準値(1キロあたり500ベクレル)を超える590ベクレルの放射性セシウムが検出された、と発表した。牛の肉の基準値超えは山形県産では初めて。

この農家は宮城県産の稲わらを与えていた。基準を超えたのは、このわらを食べて出荷された23頭のうちの1頭で、一部は鶴岡市の飲食店ですでに消費されたほか、新潟県の卸業者にも販売された。

宮城県産のわらを与えられた県外の牛の肉の基準値超えは 秋田県の1頭に続いて2例目。
福島、岩手、宮城、栃木の4県では、地元産のわらを与えた牛の肉から基準を超えるセシウムが検出されている。  
 
政府は8月1日、原子力災害対策特別措置法に基づき、岩手県に対し県内全域からの肉牛の出荷停止を指示した。肉牛を対象にした出荷停止指示は福島、宮城に続いて3県目。岩手県産の食品の出荷停止は初めて。

このほか県内の2市から汚染牛4頭の出荷が確認された栃木県については、8月2日午後にも出荷停止を指示する方針で、農林水産省と栃木県が最終調整している。
厚生労働省によると、岩手県の肉牛の出荷頭数は年間約3万6千頭。栃木県は約5万5千頭。

 

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ゴ―ヤの収穫 4

2011年10月25日 14時56分29秒 | 地震

ゴ―ヤの食べ方はチャンプルーしか知らなかったが、それはもう飽きた。 

それ以外の料理法がないかと考え、ゴ―ヤの肉詰めを作った。

なかなかいける。 

手前はピーマンの肉詰め。

 

他に薄切りにして油で揚げる(ゴ―ヤ・チップス)、実と葉を天婦羅にする、といった食べ方もある。 

 

黄色くなっても収穫しないでおくと、やがて実はぼろぼろに破れ、赤い種が下に放出される。

 

 

これを「ゴ―ヤの爆発」という。 

こうやって種が地に落ち、また芽が出る。

 

ゴ―ヤはやはり南国のもの。

気温が高い間はどんどん大きくなったが、涼しくなったらぴたりと成長が止まった。

日当たりのよい所に植えないと失敗する。

 

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ゴ―ヤの収穫 3

2011年10月22日 23時45分34秒 | 地震

 黄色くなると苦味は少なくなっているというので、ジュースにしてみる。

ミキサーにいれて、

 

これだけだと苦そうなので、シークワ―サー(次女の沖縄土産)とラ・フランスジュースを混ぜてみる。

 

ミキサーを回すと出来上がり。

不味くはないが、苦味がある。

シークワ―サー、ラ・フランスの味はどこにもない。

氷を入れると飲める。身体には良さそうだ。

 

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ゴ―ヤの収穫 2

2011年10月21日 14時09分06秒 | 地震

 

外側は緑でも中の種は赤くなっている。

ゴ―ヤの収穫時期は、「ある程度大きくなって、黄色くならないうち」。

果物と違って、苦味を食べるものなので、熟さないうちに。

熟すと苦味とサクサク感が無くなる。

 

食べ方はチャンプルーしか知らないので、毎日これが出て来る。

 

もう少し大きくなるかな、とみていると下部から黄色くなって来る。

 

こんな感じ。

 

収穫しても熟成は進み、台所に置いておくと、翌日こんなに黄色くなって驚く。

 

割ってみると種は真っ赤。

 

 

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ゴ―ヤの収穫 1

2011年10月20日 15時21分29秒 | 地震

今年はブームに乗ってゴ―ヤを育ててみた。

 

5月下旬、庭にゴ―ヤの苗を植えた。ホームセンターで248円だった。

7月には次々と黄色い花が咲いた。

 

花の根元が太くなり、いぼいぼが目立って来る。

ここを食べるのだな、と分かる。

 

7月下旬、実はいきなり大きくなっていた。

 

こんなに重くてツルが切れないかと思うが、結構丈夫で、重さで切れることはない。

よく見ていないと、葉っぱの陰で実が巨大化している。

 

初収穫。

長さ22cmある。ダイスケも珍しげにやってくる。

 

今日の収穫。

トマトはルネッサンストマトといって先がとがるタイプ。

実が大きくて収量が多い品種だそうだ。

 

 

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新米が危ない 12 

2011年10月16日 10時51分59秒 | 地震

「広島、長崎のデータなどから、100ミリシーベルト以下では人体への悪影響がないことは分かっている」 という記事をよく見る。

テレビに出る専門家も 「100ミリシーベルト以下の被曝は問題ない」 と言う人が多い。

これは、「100ミリシーベルト以下の被曝では激烈な急性症状は出ない」という意味であり、「人体への悪影響がない」、「問題ない」ということではない。

 

100ミリシーベルト以下は安全だとする説は、ここ数年でほぼ誤りだとされるようになっている。

広島、長崎で被爆した人の追跡調査では50ミリシーベルト以下の低線量被曝でも発がんによる死亡増加を示唆する研究結果が出た。

世界15カ国で40万人の原子力施設作業員を調査したところ、被曝量が50ミリシーベルト以下でも発がん率は上昇していた。

被ばく量が1シーベルト上がるごとに、がんによる相対過剰死亡数が率にして0.97(97 %)増える計算だ。

放射線はわずかな線量でも、確率的に健康に影響を与える可能性があり、今後日本人は低線量被曝の格好の実験モデルとして医学的に追跡される。

 

また人間は放射線被曝だけで発がんするわけではない。

「発がんバケツ」という考え方がある。

それぞれの人が容量に個人差のある発がんバケツを持っていて、放射線だけでなく、タバコや農薬など、いろんな発がんの原因がバケツにだんだんとたまっていき、いっぱいになってあふれると発がんに至ると考える。

バケツの大きさ、たまっている量が違えば、今回の被曝量が同じでも、発がんする、しないに違いが出る。

バケツの容量の小さい人、既に溢れそうになっている人にとっては100ミリシーベルト以下、以上という基準は意味がない。

 

日本人なら日に米を2度か3度は食べるだろう。

米が汚染していればバケツはすぐに一杯になる。 

500ベクレル/kgという基準は受け入れられるものではない。

 

現在TPPに参加するかどうかが議論になっている。

日本が参加してアメリカと米の自由貿易協定を結べば、アメリカ米が10kg1000円で売られることになるという。

全粒検査をしない福島県産米が市場に出るなら、「外国産米は安全性に不安があるからTPP反対」という主張は根拠を失う。

国民は、「500ベクレル以下は安全」とうそぶき、産地が偽装されている国産米よりは、アメリカ米を選ぶだろう。

 

価格は1000円でも10000円でも関係ない。

子どもが日に3度、365日食べる物は、安全を信じられるものでなくてはならない。

 

福島県二本松市では、新米対象の放射性物質予備検査で500ベクレル/kgの放射性セシウムが検出された。

その後本検査で規制値を下回ったことで10月18日、ついに新米が初出荷された。

地区内には自家米のみで販売用は作らなかった農家もあった。

子供用には他県のコメを買っているという農家もある。

 

10月18日、イトーヨーカ堂はコメのプライベートブランド(PB)で、放射性物質の自主検査を始めたと発表した。

同社のコメの売り上げの約60%を占める「あたたかのお米」の平成23年産の新米が対象で、19日入荷分からは同PBのすべてが検査済みとなる態勢を整えた。

まず宮城県や新潟県などの産地にある玄米の保存倉庫で、玄米の入荷ごとに検査を実施。

その後、首都圏近郊にある精米工場で月1回のぺースで検査を行う。

同時に「ゲルマニウム半導体検出器」を持つ第三者機関に検査を依頼し、放射性物質を検出しなかったコメのみを販売する。

「あたたかのお米」の産地は秋田と宮城が多いという。

新米はとりあえずイトーヨーカ堂で買おう。

 

「新米が危ない」  了

 

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