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daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

12月の被災地 7  女川 No Man's Land

2011年12月21日 21時21分25秒 | 地震

女川港付近。

津波をかぶり、打ち捨てられたビル。

木造の建物は一軒も残ってない。

もちろん人の住んでいる家はない。

 

土台ごとひっくり返ったビル。

しかも周りは地盤沈下し、海の中に頭を突っ込んだ状況になっている。

 

 

車が入り込んだままの生涯教育センター。

車が倒れないようにロープがかけられているが、町にはこの車を片づける余力もないのだろうか。 

 

カーナビで見るとここが女川駅なのだが、駅だった痕跡は何もない。

レールも駅の看板も流失した。

 

かつての女川駅。

 

広い範囲が地盤沈下して、海が陸側に寄ってきた。

一帯にはコンクリートの建物しか残っておらず、それはすべて廃墟である。

なにより人の姿が見えないのが恐ろしい。 

  

住宅も人も消えた鷲神浜。

 

マリンパルは敷地全体が水没していた。

まるでベニスのような風景。

時刻は午後4時。カメラの露出を最大にしているから明るく見えるが、辺りはもう薄暗くなっている。

 

露出をノーマルにすると、このように写る。

灯りのない世界。もうすぐ漆黒の闇が降りてくる。

 

 

 

かつてのマリンパル。

このように賑わっていた。

 

けっして海の中ではなかった。 

万石浦に移転した「おさかな市場」もここにあった。

 

遠くの高台に建つのは町立病院である。

病院は海抜18mに位置するが、驚くことに津波は病院の1階の1.9mの高さにまで来た。

 

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12月の被災地 6  石巻線

2011年12月20日 19時55分48秒 | 地震

万石浦沿岸を走るJR石巻線。

小牛田~石巻~女川を結んでいた。

現在は運行されておらず、線路はロープで立ち入り禁止になっている。

 

石巻線の路線図↑

 

これは浦宿駅のホーム。

昔、浦宿浜の友人を訪ねて、この駅で降りたことがある。

万石浦の風景を満喫できる路線だった。

 

今午後3時。

満潮に向かう時刻なのだろうか。

万石浦からひたひたと潮が満ちて来る。

線路は今にも水没しそうだ。線路は既に赤く錆びている。

 

JRは石巻線の浦宿駅―女川駅間2.5キロのルートを山側に移転する予定だ。

この駅も廃止になる(もうなった)。

レールが錆びても、駅が水没しても、もうどうでもいいのだ。

 

 以前の石巻線。浦宿駅付近で撮影。

海より大分高い場所を走っていた。

 

万石浦を過ぎ、女川第一小学校を脇に見て、女川港を見晴らすところに出ると景色は一変する。

「天国と地獄」と言っていいほどの違いである。 

 

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12月の被災地 5  鯨大和煮缶

2011年12月18日 19時55分13秒 | 地震

旧北上川、太平洋の両方に面して立つ石巻市立病院。

もとより津波を考慮しない危険な場所にあった。

ここがちゃんと機能していれば、石巻日赤の負担は半分になったのだが、津波に直撃され、被害は甚大。

現在も休院中。

当初同じ場所に再建される方針と聞いて耳を疑ったが、その後内陸部に再建されることになった。。

 

 

日和大橋を越え、女川方向に向かうと、巨大な缶詰が転がっていた。

 

タクシーを停めて写真を撮っている人もいる。

ここはちょっとした観光名所になっている。 

 

この巨大缶詰は、「木の屋石巻水産」のシンボルマークだった。

木の屋石巻水産は、「鯨の大和煮」からスタートしたが、津波で工場は流され、跡形もなくなった。

「巨大鯨大和煮缶詰」には20t以上の魚油が入っていたが、元の場所から300mも北に流されていた。

それはちょうど240号線の中央分離帯のまん中に位置していたため、交通の邪魔にならず撤去を免れた。 



木の屋石巻水産の作った金華鯖の缶詰が、工場跡の泥の中に残っていた。

その缶詰は掘り出されて、避難所の人たちの貴重な食料になった。

 

 

女川街道を万石浦まで来た。

海面が目の高さにあるように見えて怖い。

かつては防波堤の下に砂浜があり、潮干狩りもできた。

地盤が沈下したせいか海面が上昇し、浸水防止の土嚢積みが行なわれている。

 

この地区は万石浦の緩衝作用で津波の影響は小さかったが、地盤が80cm沈下した

万石浦は干潮でも干潟が出現しなくなり、海岸線が場所によっては数10m後退した。

アサリ採取用に造成された砂州も干出しなくなり、岩礁の貝類がほとんどいなくなったという。

 

地震後、満潮になるとマンホールや家の風呂などから徐々に海水が逆流するようになった。

最終的に地区のほとんどが大人の膝下ぐらいまで浸水してしまう。

浸水によって家が腐り、汚水が逆流する。

台風と大潮が重なった場合洪水の恐れもある。

 

 

沿道にできた「おさかな市場」。

かつては女川港のマリンパルにあったのだが、廃業したドライブインを買い取り、10月7日、ここに再興した。

 

ホヤ、なめた鰈、鮭、かわはぎ、金華鯖が安い。

 

ヤリイカが5杯で800円。

 

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12月の被災地 4  門脇小学校

2011年12月17日 20時42分38秒 | 地震

南浜町は、海も川も近い日当たりの良い住宅街だったが、この9ヶ月で草原に変わってしまった。

津波で破壊されたガソリンスタンドもそのままです。

 

半分だけ無残に破壊された新築の家。

住民は何日ここに住んだのだろうか。

 

門脇(かどのわき)小学校。

石巻では由緒ある学校だ。

一見、建物は大丈夫なようだが・・・

 

3階の窓が黒い。

プールには水がたまっている。海水だろうか。

 

1階、2階の窓ガラスは残っているが、3階の窓は破れ、燃えた跡がある。 

 

3階の教室の内部。

 

地震の後、近隣の住民が門脇小学校に自動車で避難してきた。

そこに津波が押し寄せてきて、校庭に駐車していた自動車を校舎に衝突させた。

衝撃でガソリンが発火し、校舎に引火した。

1階、2階は水没していたので燃えなかったのだ。

 

墓標のように立つ家。

 

 小学校の西側の墓地。

北側に向かって墓石が倒れている。

全く手が付けられていない。

お盆、彼岸のお参りはどうしたのだろうか。

 

南からやってきた津波が墓石を押し倒す光景を想像してみる。

 

12月2日現在、石巻市の不明者は645人。

 

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12月の被災地 3  南浜町のサンタ

2011年12月16日 19時11分06秒 | 地震

日和山山頂にある蛇の目寿司。

ここで昼食にする。

 

以前の建物は地震で倒壊した。現在は仮の建物で営業している。

 

これがランチ。

寿司7貫と小鉢(千切り山芋のイクラ和え)、鮭の粕汁、漬物で1000円。

さすが魚の町。

寿司はもちろん、熱い粕汁がとても美味しかった。

 

以前の店内の写真が看板になっている。

「こんなに立派だったんですよ」・・・看板が泣いていた。

 

240号線沿いの南浜町に慰霊所がある。

ここから海岸まで600mあるが、何もなくなってしまったので海が望める。

 

多くの献花。手を合わせる人が後を絶たない。

 

クリスマスツリーも立った。

夜は点灯するのだろうか。

 

もうすぐクリスマス。

被災地にもサンタクロースはやってくる。

 

天気は良いが海の風は肌に突き刺さるように冷たい。

 

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12月の被災地 2  石巻・岡田劇場

2011年12月15日 19時42分09秒 | 地震

日和山を降りて、旧北上川の中州にやってきた。

これは川の東西をつなぐ内海橋。

津波の際、流された瓦礫とか家屋がぶつかってあちこちが傷んでいる。

 

震災直後の内海橋。

川を流れてきた瓦礫が乗っていて、人はそれを乗り越えて通っていた。

 

 

石ノ森萬画館は浸水したが、建物は無事だった。

現在休館していて、中を見ることはできない。

 

全国からやって来た人の書き込みがある。

 

岡田劇場があった場所。

石ノ森章太郎が映画を見るため、自転車で毎日通ったという。

今は跡形もない。

 

 

風格あった岡田劇場。

 

岡田劇場は川のすぐそばに立っていた。

思えば危険な立地だった。

 

過去記事参照↓

  http://blog.goo.ne.jp/daisuke-nana/m/201104

 

これは修復中の旧石巻ハリストス教会。 

 

看板が土台ごとひっくり返った。

 

看板もまだ泥だらけだ。

石巻市の重要文化財に指定されている。

 

以前の旧石巻ハリストス教会。

 

河畔のプロムナード。

柵は傾き、地盤沈下のため水がベンチの目の前まで迫る。

とてもくつろいで座ってはいられない。

 

中州を歩く水鳥のつがい。

どこに行くにも一緒。

 

嫁が突然、「ふふふ、私たちみたいね」とつぶやいたので私はひっくり返った。

 

 

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12月の被災地 1  石巻・日和山

2011年12月14日 20時28分48秒 | 地震

今日で震災からちょうど9カ月。

被災地の様子が気になり、三陸道で石巻に向かう。 

 

石巻河南ICで降りて、石巻市内へ。

これは石巻市役所。

ここはかつて石巻ビブレだったが、撤退後市役所が中に入った。

ここにも波はやってきた。

この辺りの建物は大丈夫そうだが、

 

市内はどこもシャッター通りになっている。

この辺りは水没したが、ようやく残った建物である。

しかし人通りは全くない。

 

石巻のシンボル、日和山に登ってみる。(ここは車で上まで行ける。)

日和山の南側。

市立病院などの鉄筋コンクリート建物などを残して、住宅地が丸ごと消えていた。

称法寺の伽藍はかろうじて残った。

 

日和大橋は津波を被ったがなんとか残った。

この青い海が、あの日牙を剥いた。

 

北西側に見える旧北上川中州。

劇場、料亭、料亭、マリーナなどがあり、かつては石巻のシンボルだったが、ただの砂地になっってしまった。

地盤沈下で中州の大きさも一回り小さくなった。

 

石ノ森萬画館。

隣には岡田劇場があったが、跡形もない。

 

かつてはこのように、水と緑の美しい風景だった。

 

日和山の神社の飼い猫。

誰にでも懐く。

 

「海辺の風景8 石巻」 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=e178c239700d06bc223ca1be57db97f1

 

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粉ミルクが汚染

2011年12月13日 18時51分34秒 | 地震

今度はついに粉ミルクだ。

食品大手の明治は12月6日、生後9カ月以降の乳児向け粉ミルク「明治ステップ」から、1キロあたり最大30.8ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。乳製品の国の暫定規制値である1キロあたり200ベクレルは下回っているが、明治は新たな商品と無償交換する。

 850グラム入り缶で賞味期限が「2012年10月」の商品が対象。36万缶が出荷され、全国のドラッグストアやスーパーなどで4月以降に販売していた。

 明治によると、対象商品は埼玉県春日部市の工場で3月14~20日に生産した。原料の牛乳は11日以前に生産されたが、乾燥させるために使った空気に、東京電力福島第一原発から飛んできた放射性物質が混じっていたとみている。今月3、4日の検査で検出された。

 厚労省によると、原発事故以降、粉ミルクからセシウムが検出されたのは初めて。30ベクレルを検出した粉ミルクの安全性について担当者は「飲む際にはさらに薄まる。健康への影響はないと言える」と話している。

 

国立医薬品食品衛生研究所の食品部長のコメント・・・

 

 

↑ 「ミルクは7倍に薄めて飲むから大丈夫」 だそうです。

企業擁護のため思ってないことをしゃべるから、どうしても表情が卑しくなる。

 

 

 薄めようが、薄めまいが、内部被曝総量は同じ。

しかも赤ちゃんが毎日飲むもの。

 

本当に大丈夫なら回収などやめよ。

自分の孫に汚染ミルクを毎日飲ませよ。

  

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太田米屋と鈴木米屋   10  汚染地で米は作るな

2011年12月12日 20時43分27秒 | 地震

心配していたことが次々と現実になる。

 

「おれの田んぼの土は800ベクレルあったけど、取れた米はセシウムが検出されなかった」、と福島の農家がテレビで発言していた。

しかし、土壌が放射能で汚染されているのに、そこから取れた米が大丈夫なことがあろうか。 

 

汚染土壌から取れた米から放射能が検出されなければ、検査手技が杜撰か、計器が壊れているか、政治的に隠蔽されているか、と考えるのが健全な考え方である。

出来てしまった米は、汚染していようがしていまいが必ず出荷され、誰かの口に入る。

だから汚染地域では作付けして欲しくなかった。

 

「ケンベイは仕入れや出荷などの帳簿や台帳を適正な形で作成・保管しておらず、取引の実態が不明確」だった。

この会社は汚染米をただ同然で仕入れ、既に銘柄米として出荷したはずだ。

それは消費者の口に入っているだろう。

 

汚染米は、我々が「ならば」と考える九州産米、北海道産米にも化けているだろう。

コスト最優先の外食産業やコンビニのおにぎりにも使われるだろう。

 

太田米屋も、鈴木米屋も、ケンベイも、「米屋はごまかす」・・・それは今も昔も変わらない。

 

だから、汚染地で米は作るな。

 

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太田米屋と鈴木米屋  9  いつの時代も「米屋はごまかす」  

2011年12月11日 18時53分04秒 | 地震

今も昔も、米屋は・・・・・

 

仙台の大手米穀卸「ケンベイミヤギ」米産地や銘柄を不正表示 (河北新報)
 
 
米穀卸の宮城県内大手、協同組合ケンベイミヤギ(仙台市太白区、岡部英之理事長)が一般消費者向けの精米商品で、実際とは異なる産地や銘柄を表示し、販売していたことが28日、分かった。

東北農政局や宮城県など関係機関は日本農林規格(JAS)法違反などの疑いがあるとして、ケンベイへの立ち入り調査を実施。行政指導・処分の検討に入った。


 関係者によると、ケンベイは2010年から11年にかけて(1)福島県産のコシヒカリやひとめぼれを宮城県産と表示、(2)一般の宮城県産ササニシキを同県産の特別栽培米ササニシキと表示、(3)未検査米を青森県産つがるロマンや宮城県産みやこがねもちと表示―するなどして販売した疑いが持たれている。


 農政局などの調査に対し、ケンベイは事実と異なる表示をしたことを認めているという。


 調査では、ケンベイが仕入れや出荷などの帳簿や台帳を適正な形で作成・保管しておらず、取引の実態が不明確なことも判明。宮城県は、取引記録の作成・保存を義務づけた米トレーサビリティー法に抵触する疑いもあるとみている。

 ケンベイの岡部理事長は河北新報社の取材に対し、「経営改善のための大幅な人員削減や東日本大震災後の混乱の中で表示ミスが起きた。管理不十分と言われれば返す言葉がないが、意図的な偽装ではない」と説明。「消費者には申し訳ない結果になったという気持ちはある」と話した。
 ケンベイミヤギは1951年、宮城県米穀卸販売協同組合として設立。91年に塩釜米穀卸協同組合と合併し、現在の名称となった。組合員は小売業者などの108人(2010年度)。帝国データバンクや東京商工リサーチによると、11年3月期の売上高は約13億3000万円。

 

ケンベイには帳簿も台帳もないという。

もはや自分が汚染米を食べたのか、子どもらが給食でセシウムを食べたのかどうかも分からない。

 

今も昔も、米屋はごまかす。

 

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太田米屋と鈴木米屋 8  怪しいお米セシウムさん

2011年12月09日 20時53分15秒 | 地震

「怪しいお米セシウムさん」とは、東海テレビが8月4日に起こした岩手県産米に対する放送事故だった。

岩手県はとんだとばっちりだったが、今度は「汚染された大地」から、本当に「汚染された米」が取れた。

 

<放射性セシウム>コメからの検出

時事通信 11月29日(火)

福島県は28日、伊達市の旧小国村と旧月舘町の農家3戸で今年生産されたコメから国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を上回る放射性セシウムが検出されたと発表した。

最高値は1050ベクレルだった。既に少量が流通したとみられ、県は農家などに出荷自粛を要請した。

県農林水産部の鈴木義仁部長は「(県産米の)安全性については調査を進め、改めて判断する必要がある」と述べ、県が先月出した「安全宣言」を見直す可能性を示唆した。

福島県では、先に福島市大波地区(旧小国村)で暫定規制値を超えるセシウムが検出されている。

政府は同地区のコメの出荷停止を県に指示しており、旧小国村と旧月舘町に対しても同様の措置を取る見通し。

3地域はいずれも近接している。 

 

<放射性セシウム>コメからの検出 福島市渡利地区でも

毎日新聞 12月2日(金)

福島市と伊達市の一部地区のコメから国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された問題で、福島県は2日、福島市中心部に近い渡利地区の農家計3戸のコメも規制値を超え、最大で590ベクレルのセシウムを検出したと発表した。県は同地区を含む福島市東部の農家約400戸に対し、コメの出荷自粛を改めて要請した。

 渡利地区は10戸で規制値超えが確認された大波地区に隣接。今回規制値を超えた3戸は今年計65袋(2トン)を収穫したが、市場には流通していない。

 一方、大波地区の全袋調査は154戸計4752袋(142.6トン)のうち111戸2679袋(80.4トン)で完了し、新たに2戸で規制値を超えるセシウムを検出した。同地区で規制値を超えた農家は計12戸になったが、流通はしていない。

 JA新ふくしまの菅野孝志代表理事専務は「空間放射線量が高いことが分かっていた地域の(収穫前後の)検査は、サンプル数を増やすなどもっと配慮すべきだった」と話した。

  

・・・そうじゃなくて、「空間放射線量が高いことが分かっていた地域では、米を作るべきでなかった」のだ。

汚染米はサンプル検査をすり抜け、既に消費者の口に入っている。

 

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太田米屋と鈴木米屋 7  米屋の没落

2011年12月08日 21時00分28秒 | 地震

食管制度は、太平洋戦争の開始に伴い1942年に成立した。

逼迫する食糧を国により管理・統制しようという制度である。

米穀通帳は戦時下における米の配給のため、同年から発行されていた。

紛失しても再発行は受けられず、譲渡・貸与・偽造・変造には罰則が存在した。

運転免許証がない時代には身分証明書としても使われた。

 

戦後も食管制度は引き継がれたが、食管会計は赤字となり、消費者のニーズにも合わなくなった。

1969年から自主流通米制度が始まり、1972年には米が物価統制令から外れた。

さらに米余りとなって、なし崩し的に米穀通帳なしでも米の購入ができるようになった。

海外からの圧力もあって、食管制度は1995年に廃止された。

 

食管制度下では、国が買い上げる政府米の価格は年一回の生産者米価によって決まった。

毎年秋になると農家が国会を取り囲み、族議員を拍手喝采で送り出したシーンも今は昔である。 

 

米屋は、免許なしで米を販売している店を「ヤミ米屋」と蔑み、食管制度末期にはそのヤミ米屋に免許を貸して商売していた。

この頃からスーパーに米が並ぶようになり、米屋で米を買う客は減った。


 

1994年、食糧法が成立する。

地元の役所に印紙代9000円を払い、販売店の登録をすれば(ただし年間20トン以上の米を扱うことが必要)、誰でも米を売ることができるようになった。

生産者も自由に売ることが法律的に認められ、ヤミ米という言葉が死語となった。  

 

米屋は長年の特権を失い、廃業するものが続出したが、世間は同情しなかった。

 

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太田米屋と鈴木米屋 6  食管制度  

2011年12月07日 20時23分56秒 | 地震

米屋の話に戻る。

当時は食糧管理制度(食管制度)というものがあって、国民の主食である米は勝手に売り買い出来なかった。

 

農家は、取れた米を指定された集荷業者(主に農協)に売る。

国は集荷業者を通じて米を買い上げ、免許を持っている卸・小売店のみに配給する。

 

「良い米を、安く売りたい」と考える者がいても、新たに米販売に参入することは出来なかった。

農家は非営利的な贈与(子ども、親戚に贈る)を除き、自分で販売することを禁止されていた。

米屋は免許に守られ、特権的に米を売ることができた。

競争がなければ錬金術も使ってみたくなるだろう。 

 

国民は役所で米穀配給通帳なるものを発行してもらい、それを持って小売店で米を買わなければならなかった。

米屋も通帳のない者に販売してはならなかった。

家族の人数によって販売量を制限された時代もあった。

 

1970年を境に食管制度は有名無実化したが、信じられないことに1981年に食管法が改正されるまで、「法律」は生きていた。

米穀通帳なして米を買ったり、売ったりすることは厳密にいうと法律違反だったのである。

当時の国民のほとんどが法律に違反して米を買っていたことになる。

 

昭和40年代は学生運動激しき時代だった。

刑事が米屋に張り込み、活動家が通帳なしで米を買った瞬間、食管法違反で別件逮捕したケースもあるそうだ。

 

引っ越し手続きで市役所に行くと、「米穀通帳はどうしますか? 」と聞かれたものだった。

「それがないと米は買えないんですか?」と聞くと、所員は「なくても買えますよ」と言った。

 

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太田米屋と鈴木米屋 5  「トリスを10年おくとオールドパーになる」

2011年12月06日 20時47分08秒 | 地震

話は米から逸れるが、トリスは不味い。

 

トリスをストレートで口に含めば、舌にびりびりと突き刺さる感覚がある。

喉を通過させることはとうてい不可能である。

水:トリスを9:1の水割りにしてようやく口に含むことはできる。

学生の頃は、トリスはコーラで割ってコークハイとして飲むウィスキーだった。

コーラ:トリスを7:3にすると、コーラの甘さと炭酸で刺激性が隠蔽された。

 

友人のSは、トリスの不味さは熟成年数が短いせいだと考えた。

仕送りがあった日、トリスを10本買ってきて、「おれはこれを10年間熟成させて、まろやかにしてから飲むのだ。10年後にはこれがオールドパーに変わっておるのだ。1本780円が10000円に化けるのだ」とほくそ笑んでいた。

樽でなく、瓶のまま10年おいて、はたしてまろやかになったのか?

その結果は不明だ。

なぜならSは10年おくどころか、1カ月でその10本を飲みほしてしまったからだ。

考えてみれば、酒飲みが酒を目の前において、10年も我慢していられるはずがない。

 

日本は酒造法がなく、酒税法で製造方法が決められているのだが、ウィスキーに関しては熟成年数が決められていない。

スコッチはイギリスの酒税法で、最低3年以上熟成させないと出荷できないと決められている。

 

オールドが年間1億本以上売れた年があった。

2年熟成するとして2億本分の原酒を貯蔵する設備があるのか疑問に思ったが、熟成年数が決められていなければこれは可能である。

蒸留するそばから瓶詰めして発送すればいいのである。

日本消費者連盟がウィスキーの熟成期間についてメーカーに公開質問した際、ニッカとキリンは最低でも2年と回答したのに対し、サントリーは企業秘密として回答しなかった。

ウイスキーは安いから必ず不味いわけではない。

キリンの「富士山麓」は980円でも美味い部類に入る。

 

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太田米屋と鈴木米屋 4  「酒屋もごまかす」

2011年12月05日 23時28分30秒 | 地震

太田米屋の向かいには山口酒店という酒屋があって、もちろん小売りもするが、飲み屋に酒を卸して利益を上げていた。

酒を売る以外に、飲み屋に空き物件をを紹介したり、店の内装、従業員集めまで面倒を見ていた。

もちろん飲み屋は、あとあと山口酒屋から高い酒を買うことになる。

 

ある日の新聞に、山口酒屋に警察の手が入ったと、大きな記事が出た。

何でもサントリーオールドの中身をトリスに入れ替えて売っていたという。

当時オールドは2800円、リザーブは3200円、トリスは780円だった。

山口酒店はウイスキー1本の中身を入れ替えるだけで、2800円-780円=2020円を手にしたのだ。

 

その手口はこうである。

山口酒店は取引のある飲み屋から、空になったオールドのボトルを回収してくる。

それを洗うんだか洗わないんだか知らないが、漏斗を使ってトリスを注ぐ。

多分満タンにしないで、50mlほど少なめに入れただろう。

結託した工務店がボトルの口金を再封印する。これで完成。

濡れ手で粟の錬金術であった。 

 

偽装がばれたのは、やはり客の舌によってだった。

ある客が飲み屋で「オールド」を飲み、「これは不味い。絶対にオールドではない」と騒いだことから、サントリーが現物を分析して発覚したのだ。

「トリス」を「オールド」として売られたのでは、サントリーだってたまらない。

 

オールドは「だるま」と呼ばれて人気があったが、それほど美味い酒ではなかった。

小洒落たCMで売れていただけで、ほんとに美味いと思えるのはリザーブ以上の酒だった。

オールドは今安くなり、1280円ほどで買えるが、味相応の価格は980円ほどだろう。 

 

間もなく山口酒屋は廃業したが、店主の弟がK市で別の名前で酒屋を出した。

この店は今も営業中である。

 

「米屋はごまかす」が、「酒屋もごまかす」ことが分かった。

 

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