goo blog サービス終了のお知らせ 

daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 5

2012年03月26日 14時44分06秒 | 地震

短歌研究 2011年10月号に掲載された 俵万智 「島に来て」 


島に来てひと月たてば男の子アカショウビンの声聞きわける

醤油さし買おうと思うこの部屋にもう少し長く住む予感して

「帰る理由」「帰らぬ理由」並べれば角のとれないオセロのごとし

孟母にはあらねど我は二遷して西の果てなるこの島に住む

第三者的には「軟禁」とも言える免許を持たぬ離島の暮らし

おしゃれすぎる企画書が来て東電の工程表のように眺める

近海もの国産ものを避けながら寂しき母の午後の買い物

係員の入力ミスか「日本は終了しました」とある掲示板

子を守る小さき虫の親あれば今の私はこれだと思う

縁側に並んでスイカを食べているぷぷぷぷぷっと我が子島の子

海の日が命日となる魚らの死体を煮つけ命いただく


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 4

2012年03月24日 21時46分35秒 | 地震


「歌壇」2011年9月号掲載された俵万智の歌

 

「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり

電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子を食べ放題と喜ぶ

「電信柱抜けそうなほど揺れていた」震度7とはそういうことか

ありふれた心が後ろめたくなる花をきれいと思うことさえ

生きてたとテレビに知りぬ正月を家族で過ごせしホテルの女将

また夏に来ると思いて神割崎見ずに過ぎたり南三陸

山形へ向かえば外は雪景色あきれるほどの美を見せつけて

空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず

ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご

チェルノブイリ、スリーマイルに挟まれてフクシマを見る七時のニュース

簡単に安心させてくれぬゆえ水野解説委員信じる

震災の映像見れば指しゃぶりいよよ激しき七つの心

まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉

子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

世話になる人に頭を深々と下げる七歳板につきたり

「家」という漢字を使う例文に「じぶんの家に早くかえりたい」

今だけはいつもの時間にっぽんの昔話を子に読んでやる

お土産にされて売られて本当は誰のものでもない星の砂

仙台に電話をすればそこにある風呂なし食料なしの生活

男の子三人寄れば鬼ごっこ始まっている白い浜辺に


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 3

2012年03月23日 20時34分21秒 | 地震

仙台から沖縄に逃げた人の中には歌人の俵万智がいる。

5年前から両親と仙台に住んでいたが、震災直後から沖縄へ避難した。

 

著名人の逃避は、「仙台は危険だ」ということを全国に宣伝することになる。

当然仙台での彼女の評判は良くない。

特に、「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」と詠んだ開き直りは反感を買った。

 

縁のない仙台に転居してきたことがそもそも唐突だったが、仙台市民も地元の新聞も彼女を温かく迎えた。

河北新報は彼女のエッセイをしばしば掲載した。

 

そのエッセイは、子どもがああ言った、こう言ったという陳腐な内容で詰まらなかった。

何故仙台に来たのか、父親は誰で、子どもにどう教えているのか、に一切触れなかった。

作家なら血を流して自己を語らなければならない。

傷口を面白く見せてなんぼの商売である。

 

彼女は、5年間仙台にいた、というだけで仙台の人になってはいなかった。 

ただの旅人だった。

逃避行の歌が「歌壇」2011年9月号と「短歌研究」2011年10月号に掲載されている。 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 2

2012年03月22日 20時28分01秒 | 地震

来る人あれば逃げる人あり。

 

雪遊びイベント中止に   「放射性物質心配」の声   青森からの630キロの雪が無駄に 

時事通信 2月21日(火)

那覇市と海上自衛隊第5航空群(同市)は21日、23日に予定していた子ども向け雪遊びのイベントを中止すると発表した。雪は同航空群が青森県十和田市から搬送したが、沖縄県に自主避難している父母らから、「放射性物質が含まれているのでは」と懸念する声が相次いだためという。イベントは2004年度から続く恒例行事で、中止は初めてという。

 イベント用の雪は約630キロ。八戸航空基地(青森県八戸市)の訓練に参加した隊員らが16日、十和田市内で集めてP3C哨戒機で運んだ。搬送時と到着時の2回、放射線量を計測した結果、過去の平常値と同じ水準だったという。

一方、那覇市には2月中旬ごろから、東日本大震災後に自主避難してきた人たちから、会場となる児童館や市に対し、中止を求める声が10件程度寄せられた。市は20日、児童館で説明会を開催。集まった約20人の父母らに対し、放射線量の測定結果を伝え、危険性はないとして開催への理解を求めた。

しかし、参加者からは「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのでは」「放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」などの声が上がった。 

イベントは2004年度から続く恒例行事で、中止は初めてという。
イベント用の雪は約630キロ。八戸航空基地(青森県八戸市)の訓練に参加した隊員らが
16日、十和田市内で集めてP3C哨戒機で運んだ。

搬送時と到着時の2回、放射線量を計測した結果、過去の平常値と同じ水準だったという。
 一方、那覇市には2月中旬ごろから、東日本大震災後に自主避難してきた人たちから、
会場となる児童館や市に対し、中止を求める声が10件程度寄せられた。

市は20日、児童館で説明会を開催。集まった約20人の父母らに対し、
放射線量の測定結果を伝え、危険性はないとして開催への理解を求めた。
 しかし、参加者からは「雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのでは」
「放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい」
などの声が上がった。 

 

被災地から沖縄に逃げた親子が相当数いることは聞いている。

彼らは、「利己的だ、戻ってくるな」とネットで激しく非難もされている。

日本国民には居住の自由があるし、沖縄で仕事を探すのは相当大変だとも思うから、私は批判する側に立たない。  

しかし、危険性がないと判明している青森の雪を、彼らが声高に拒否するのはどうだろう。

被災地の風評被害を助長し、被災地を離れず復興に努めている人、離れられない人、わざわざ被災地に転居して手助けしてくれている人たちに唾し、足を引っ張る行為である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 1

2012年03月21日 19時47分41秒 | 地震

 

日本文学者のドナルド・キーン氏が日本に帰化した。

震災で決心したのだそうだ。

「日本のことを考えない日は1日もなかった」

国籍変更は日本への最大限の愛情表現といえる。

震災後、外国人の日本脱出が相次ぐ中で、やって来たキーン氏の存在はそれだけで復興の希望の灯である。 

 

【日本人よ、勇気をもちましょう】  ドナルド・キーンさんの言葉

かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的ではないか」。

日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。

長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。

昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。

しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。

昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁いからです。

私は今年六月で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。

勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、強く歩を運び続けようでありませんか。

(2012年1月1日付け朝日新聞朝刊掲載の新潮社広告より) 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 8

2012年03月19日 19時44分13秒 | 地震


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 7

2012年03月18日 18時25分27秒 | 地震


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 6

2012年03月17日 16時15分41秒 | 地震

 

ある雑誌に山浦さんが寄稿した震災の記録です。

本人の許可を得て転載します(全3回)。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山浦玄嗣さんのこと 5

2012年03月16日 20時13分22秒 | 地震

 

1月10日、朝日新聞に載った「イエスの言葉 ケセン語訳」の書評↑

 

本書は三陸の巨人、山浦玄嗣医師のベストエッセイである。

昨年大船渡市は巨大津波に襲われ、山浦医院も大きな被害を受けた。

冷たい雪とまっ黒な泥におおわれた見わたす限りの瓦礫の野を前にして呆然と立ちつくすばかりだった。

その時心に響いてきたのは故郷の言葉ケセン語で語りかけてくるイエスさまの御言葉であったという。

 

御言葉は、市販の聖書には例えばこのように記されている。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(新共同訳)

 

しかし、気仙衆の耳には次のように聞こえてくるという。

 この俺(おれ)にァ、人(ひと)ォ立(た)ぢ上(あ)がらせる力(ちから)ァある。活(い)ぎ(・)活(い)ぎ(・)ど人(ひと)ォ生(い)が(・)す力(ちから)ァある。この俺(おれ)ァ語(かだ)っ事(こど)ォ本気(ほんき)で受(う)げ(・)止(ど)め、その身(み)も心(こゴろ)も委(ゆだ)ねる者(もの)ァ、仮令(たどえ)死(し)んでも生(い)ぎ(・)るんだ。(ケセン語訳/ヨハネ一一・二五)

ケセン語の聖書によってどれだけの人が生きる勇気を与えられただろうか。

 

山浦さんは、村でただ一軒のキリスト教の家に育った。彼の夢はケセン語で大好きなイエスさまの言葉を友人に伝えることだった。

その夢を果たすべく開業医生活と翻訳研究に没頭してきた。

 

まずケセン語を整理し文法を確立する必要に迫られた。

25年を費やしその集大成「ケセン語大辞典」を完成したのは60才。

それからギリシャ語を学びケセン語訳聖書を上梓した。

ギリシャ語からケセン語に翻訳する過程で学ばされることがどれだけ多いことか。

 

本書にはそのプロセスが綴られている。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都、女川町のがれき受け入れ 3

2012年03月15日 19時20分11秒 | 地震

賛成派と反対派とは何百年、何千年話し合っても合意には至らない。

話し合いの結果、反対派が納得して結論が変わるかというと、絶対にそんなことはない。

反対派は何千年経っても反対派のまま。

最初から「話し合い」などできない。「話し合うふり」をするだけ。

 

被災地から見たら、石原知事は(今回ばかりは)神のように映った。

瓦礫がなくなるまで何期でも務めてもらいたい、と思うほど事態は切迫している。

 

被災地としてはお願いするしかない立場だが、放射線量が問題ないものを拒否するなら「絆」なんてどこにあるのだろう。

「余った物はあげるけど、自分は毛ほども傷つきたくない」人たちの群れ。

 

福島原発の電力でオール電化を享受していたのは、東京、神奈川、千葉ではないのか。

原発の危険性に沈黙してきた者はオール加害者だ。

 

首都直下型、東海、東南海、南海地震だって間もなくではないのか。

今回の何百倍、何千倍の死者と瓦礫が出るだろう。

火葬と瓦礫はどうするつもりか。

 

「明日は我が身」、「情けは人のためならず」。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都、女川町のがれき受け入れ 2

2012年03月14日 17時27分48秒 | 地震

東京都は女川町の瓦礫を一般ごみと一緒に試験焼却し、焼却灰や排ガスの放射性物質濃度に問題がなかったため、本格的な受け入れを決めた。

3月2日は木くずなどを収めたコンテナ9個が、貨物列車で品川の東京貨物ターミナル駅に到着。

トラックに積み替えられ、中央区の清掃工場に搬入された。

工場では、瓦礫をコンテナから一般ごみの一時貯留設備に移す作業が行われた。

3月3日、処理を開始。瓦礫そのものから放射線量は検出されず、都内の処理施設周辺の空間放射線量にも影響はなかった。

 

しかし清掃工場の前では、受け入れに反対する住民ら約15人が「住民への説明が不十分だ」、「被災地で処理しろ」などと訴えた。


石原知事は4日の定例会見で「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」、「放射線が出ていれば別だが、皆で協力して力があるところが手伝わなければしようがない」と指摘。「皆、自分のことばかり考えている。日本人がだめになった証拠だ」と述べた。

瓦礫の受け入れを表明した9月末から今月3日までに、都には3328件のメールや電話が寄せられ、うち2874件が反対や苦情。賛成などの声が200件だったという。

都は今年度内に1万1千トンを受け入れ、平成25年度までに岩手・宮城両県のがれき計50万トンを処理する方針を示している。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都、女川町のがれき受け入れ 1

2012年03月13日 20時09分00秒 | 地震

 

被災地は大量の瓦礫に困っている。

3県で5.6%しか処理が終わっていない。

 

瓦礫があると何が困るか?

瓦礫は港、観光施設、運動場などに山積みにされているため、それらの復旧が直接妨げられる。

置き場所は既に満杯になっているため、多く残っている被災家屋、被災ビルの撤去ができない。

撤去できないと、家、工場が建てられず、市街地の復興が進まない。

瓦礫を地元だけで処理するとなると20年はかかる。

 

東京都は3月2日、東日本大震災で発生した宮城県女川町のがれきの本格受け入れを始めた。

都の震災がれき受け入れは岩手県宮古市に続き2カ所目。

2013年度までに両県から計50万トンのがれきを受け入れる計画だ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月11日の朝刊

2012年03月12日 20時05分52秒 | 地震

震災1年目の朝日新聞の朝刊。

仙台市の荒浜の被災地の写真を配置している。

大人しい作りだ。

 

河北新報は、雄勝公民館の屋上に流された大型バスの撤去シーンを持ってきた。

 

今回1番良かったと思うのは読売新聞。

 

時は流れない。雪のように降り積もる。

人は優しくなったか。賢くなったか。

 

この2行で、被災者の心境、「絆」というものの薄っぺらさ、国民のエネルギー政策への無関心、を見事に表わしている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の花火

2012年03月11日 10時59分50秒 | 地震

3月10日、仙台市の泉ケ岳で震災の犠牲者を追悼する花火が打ち上げられた。

「天国にぶっ放せ!」HP  http://blog.goo.ne.jp/schop-dan_2011

花火の動画が見られます http://www.1101.com/schopdan/hanabi/index.html

 

 

当日は朝からあいにくの雪。

 

打ち上げ時刻になっても冷たい霙が降り続いた。

 

犠牲者・行方不明者の数とほぼ同じ2万発が打ち上げられた。

 

会場には犠牲者の遺族と関係者しか入れない。

 

晴れていれば仙台市の各所から望めるはずだったが、悪天候でそれもかなわなかった。

一般市民はテレビのニュースで思いをはせるしかなかった。

復興と同じで、何でも計画通りにはいかない。

 

それでも遺族を元気づけることはできたようだ。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月の被災地 22 長淵剛 「ひとつ」

2012年01月17日 19時35分27秒 | 地震

 

昨年大晦日の紅白歌合戦。

見るべきものは、石巻・門脇小学校校庭から中継された長淵剛だけだった。

 

真っ暗な校庭に100台のライトを並べ、廃墟となった校舎と長淵を浮かび上がらせた。

光と闇の圧倒的な落差は、津波が切り裂いた生と死を象徴していた。 

 

人は無意識に、「忌まわしいこと」を 「終わったこと」にしようとする。

2011年最後の日に、「終わってないよ」、「忘れてないよ」 と歌う鎮魂の演出があって良かった。 

 

ヒット曲なく、大道具だけが売りの小林幸子は、もう紅白から卒業してもらってもいいのではないか。 

美川憲一も出なくなったし。 

 

「ひとつ」 
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%95%B7%E6%B8%95%E5%89%9B+%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4+YouTube&tid=97a338bf6e87d568de8a2fb86c3c3c3f&ei=UTF-8&rkf=2

紅白前の準備  http://www.youtube.com/watch?v=CJbJhkyprZY&feature=related  

紅白後のコメント  http://www.youtube.com/watch?v=yvMcEGMD_mk&feature=related  

 

 

 

連載「12月の被災地」 了

 

にほんブログ村 犬ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 仙台情報へ
にほんブログ村

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする