ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

FreeBSD再インストール

2014-10-23 06:02:21 | UNIX/FreeBSD/Linux
えー、お題の「FreeBSD再インストール」です。

先日インストールしたFreeBSDですが、ブートマネージャーのMBMに、
FreeBSDが設定出来ないという状況になり、MBMをやめて、BIOSのブートメニューを使う事にしました。

で、MBMをアンインストールしようとしたのですが、そもそもブートマネージャーはアンインストールという、
概念がありませんので、ハードディスクのMBR(マスター・ブート・レコード)を書き換えるしか、
方法は無い事が判明しました。

その為に色々と手こずったので、メモを残します。

いつもの様にネットで調べると、Windowsの回復コンソールからfixmbrというコマンドで、
元に戻せるらしいという事まで解ったので、やってみたのですが、コマンドが無いというメッセージが出て、
そこから先に進めませんでした。

でもって、またまたネットで調べたら、Windowsのインストールディスクから、Windowsの回復というメニューを選んで、
そこからコマンドプロンプトを選択し、bootsect /nt60 sys /mbr とコマンドを実行するとMBMを消す事が出来ました。

そして、Windowsが正常に起動する事を確認し、FreeBSD 10.1の再インストールをしました。

インストール方法は長くなるのでここには書きませんが、ネットで調べると色々出てくるので、
人柱になりたい方は、自己責任で調べてやってみて下さい。

で、とりあえずFreeBSDのインストールはなんとか出来たので、私の環境ではドライブ0(Cドライブ)に、
Windows7 Pro x64を入れて、ドライブ1(Dドライブ)にFreeBSDを入れて、デフォルトでは電源を入れて、
そのままOSを起動させるとFreeBSDが起動する様になりました。

まだ、試してませんが、きちんとFreeBSDを入れるとFreeBSDのブートメニューが使えるらしいです。
(やってないので、上手く行った方はコメント下さい。)

これから、色々と設定をして、自宅サーバーを構築してみようと思います。

ここに、以前書いた、独自暗号通貨をやり取りするシステムを組もうと思っています。
いつもの事ですが、長い目で見守って下さい。

出来るのか、出来るといいなぁ。

ではでは。

体質改善

2014-10-20 05:24:09 | diary
えー、お題の「体質改善」です。

私は現在、顔のニキビ痕に悩まされています。
元々脂性の私の肌は、ニキビが出来やすい体質みたいです。

それと、この約2年間ほど、ほぼ食事のメニューが同じという、とんでもない状態で体重を落としてきました。

体重は確かにかなり落ちました。
私の身長が167cmで体重が以前は69kgありました。現在の体重は朝は53.7kg、夜は54.7kgぐらいです。

しかし、ちょっと汚い話で恐縮ですが、便秘に悩まされています。

かなり固いものがコロコロと出てしまうのです。

以前は割とまっすぐなものが出てました。
しかし、ダイエットを始めてから、半月ほどで便秘になったのでした。

多分、無理なダイエットの弊害なんでしょうね。

そこで、本日から食生活の見直しにはいります。

まずは腸内環境の改善のため、パン食を辞めようと思います。
これまで、朝食はトーストと目玉焼きでしたが、朝食に果物を取る様にしようと考えています。

予定ではバナナとリンゴとヨーグルトを取る様にしようと思っています。

実は今日は20日で私の家の近くのスーパーがイオンになったので、5%オフの日なのです。

なので、今日買い物に行く日なので、以前に体調が良かった頃のメニューを実験で暫くやってみようと思います。

基本的には予算が決まっていますので、その予算内で出来る事からやって行く予定です。

昼食は納豆を食べる様にしようと思っています。

実は私は納豆が苦手です。
しかし、腸には良い食べ物であると伝え聞いたので、明日から、納豆を食べてみようと思います。

さて、どれくらい効果があるのか、人体実験を私の体でやってみます。

体重はこれ以上落とすと逆に体に悪いので、今の状態をキープしつつ、手軽に続けられる方法を模索してみます。

治るのか、治るといいなぁ。

ではでは。

はじめてのFreeBSD

2014-10-19 06:26:52 | UNIX/FreeBSD/Linux
えー、お題の「はじめてのFreeBSD」です。

私は現在、あるiPhoneアプリを作ろうとしています。
そのアプリは、現段階ではまだ発表出来ませんが、データベースサーバーが必要になることが判明しました。

そこで、UNIX系のOSでサーバーを構築する必要になりました。

ここで、Linux系ではなく、UNIX系にしたのは、私がメインで使っているMacは、
基本がUNIXになるために、その上で動くアプリやコマンドなどを作るのに、
フリーのUNIXを探していたのです。

そこで、Webサーバーなどで実績のあるFreeBSDを使おうと思い立ち、
現時点で最新版のFreeBSD 10.1をインストールするべく、色々とやったので、
その時の備忘録をここに書いていこうと思ってます。

実は、現在私はWindows7 Pro x64を使っています。
このPCは組み立てPCで、全部自作で組み上げました。

パーツの選択から、マシン構成も考えて、CPUとかGPUとかちょっと改造しています。

で、昨日の時点で、内蔵ハードディスク2台でCドライブが250GB、Dドライブが2TBという構成で、
主に動画ファイルを貯めていました。

でもって、その動画ファイルをiMacに接続した外部USB3.0ドライブの3TBの空きスペースにフォルダを作って、
そこにバックアップしました。

そして、昨日、FreeBSDをその開いたDドライブにインストールすべく、色々とハマったので、
ここにその備忘録を書いていこうと思います。

私は、特に何も考えずに、最新版のFreeBSDのisoイメージファイルをダウンロードして、
インストール用のDVDを作って、そこから起動してインストールを行ったのですが、
なんとWindowsのMBRを破壊してしまいました。

そこで、色々ネットで調べた結果、OSを切り替えるブートマネージャーを、
先に入れておかないといけない事がわかりました。

でフリーのブートマネージャーで動作が軽いのを探して、私はMBMというものを使う事にしました。

まずはWindowsの修復から始めました。
Windowsのインストールディスクから上書きインストールで、なんとかMBRを復活させました。

そして、MBMをダウンロードして、FDDが無いので、CD-RWにMBMのイメージファイルからインストールディスクを作り、
それをインストールしました。

そして、色々試行錯誤して、なんとかFreeBSD 10.1をインストールする事が出来ました。

これから色々環境を整備して、自宅サーバーを構築しようと思います。

でもって、これで色々と実験をやってみたいと思います。

出来るのか、やれんのか。出来たらいいなぁ。

ではでは。

はじめてのBASIC

2014-10-15 06:51:29 | diary
えー、お題の「はじめてのBASIC」です。

高校入学祝いとして、パソコンを買ってもらった私は、まずはパソコンでゲームをしたくて、
パソコン雑誌のプログラムリストをパソコンに入力する事から始めました。

コンピューターはソフトウェアが無ければ、ただの箱です。

当時のパソコンはBASICという言語を使って、プログラミングする事によって、
はじめてソフトウェアが使えるのでした。

プログラミングは全くの初心者だった私が、はじめてプログラミングを覚えたのは、
ただただパソコンでゲームがやりたい、という動機だけでした。

当時、パソコンは「マイコン」と呼ばれていました。
マイコンとは、マイコンピューターの略とか、マイクロコンピューターの略とか言われていました。

私の持っていたマイコンは本体のエンブレムにしっかりとパーソナルコンピューターと刻印されていました。
でも、ユーザーはほぼマイコンと呼んでいました。

そのマイコンにBASIC言語で書かれたプログラムリストを入力するのがまた一苦労で、
まずはキーボードの使い方を覚える事から始まり、行番号を入力してスペースキーで1文字分スペースを入力し、
命令や定数、変数の定義を行い、1行の終わりにリターンキーを入力して、
ようやくプログラムの1行が入力出来るというものでした。

1行に入力出来る文字数も決まっており、その文字数を1文字でも超える場合、
エラーになってプログラムが動かないというものすごく使いにくいものでした。

今で言うエディターというアプリケーションもまずはBASICで作ってそれを実行する事で、
はじめてマシン語が入力出来るという、本当に初心者泣かせのシロモノでした。

そして、当時はフロッピーディスクがありませんでしたので、プログラムを外部記憶に保存しないと、
電源を切ったら、それまでの入力したものが消えてしまうのです。

当時の外部記憶はなんとオーディオカセットテープでした。

それをデータレコーダーというカセットデッキにパソコンをつないで録音する事で、
データを保存する事が出来たのです。

データ保存にもコツがあり、音声入力レベルが少しでも違うと、読み込めないという、
これまたとんでもないものでした。

とにかく、一つ何かをしようとすると、それをやるために覚える事が山の様にあって、
よほど根気がないと、パソコンでソフトウェアを動かす事が出来ないのでした。

かくいう私も、何度も挫折しそうになりながら、一つづつステップを進めて、自分のレベルを上げるのに必死でした。

なので、当時からパソコンをやっている人は、何かしらコンピューターに関わっていると思われます。
ただのユーザーがキーパンチャーでもあり、プログラマーでもあり、管理者でもあり、オペレーターでもあるのです。

本当にパソコンには苦労をさせられています。
それは未だに続いています。

それでも私はやっぱりパソコンが好きです。
思った様に動いた時の感動は、何者にも変えられません。

今は便利な世の中になりましたね。

ではでは。

パソコンとの出会い

2014-10-14 06:34:19 | diary
えー、お題の「パソコンとの出会い」です。

私とパソコンの出会いは中学校卒業後の春休みにさかのぼります。

私が工業高校を受験するにあたって、父と合格祝いについて相談した時に、
当時私は祭りの太鼓をやっていて、YMOの洗礼を受けた事もあり、
ドラムセットが欲しくてたまりませんでした。

そこで、私は高校受験合格と引き換えにドラムセットを買ってもらう事を父と約束しました。
もちろん貧乏な私の家では普通に約束したのでは、買ってもらう事は不可能でした。

私は策を練りました。
それは当時、父はアルコール依存症で、私に酒を買ってこさせるほどの状態でした。
父は酒を飲むと気が大きくなり、簡単に約束をするのでした。
私は高校受験合格の祝いにドラムセットを買ってもらう事の証文を取って指紋の捺印をさせて、
確証を取ったのです。

その証文は大事に取ってありました。

高校受験合格で、本当ならドラムセットを買ってもらう予定だったのですが、
合格後の春休みにいとこの住んでいる名古屋に遊びに行く事になりました。

そこで、初めてパソコンと出会うのです。
元々私はコンピューターに少し興味がありました。
あのYMOがシンセサイザーを制御するのにコンピューターを使っている事を知り、
コンピューターで音楽が出来るということを知識として知ったのです。

当時はNECから日本初のパソコンPC-8001が発売された事もあって、
パソコンというものがあることは知っていました。
ただ、実物を見た事も触った事もありませんでした。

まずは、いとこの家の近くの本屋でパソコンに関する情報を集めました。
そこで初めてパソコンはプログラミングをして使う事を知りました。

もちろんプログラミングなんてしたこともありません。
当時、いとこの家から自転車で30分ほど行った所に、家電量販店があり、
そこにパソコンが展示されているという事をいとこに教えてもらったのです。

私はそれを見たい、出来れば触ってみたいと思いました。
で、私はいとこと家電量販店に行って、NECのPC-6001を生まれて初めて見て、
それを触る事になったのでした。

私は、どうやってプログラミングするか全く解らない状態で、
本屋で買ったパソコン雑誌のプログラムリストとにらめっこして、
試行錯誤してプログラムを入力したのです。

が、素人の初心者がそれを実行する事は不可能でした。
なので、電器屋の店員さんに聞いてみる事にしました。

すると店員さんは、そんな事も知らないのにパソコンを動かそうとしている私を、
鼻で笑ってあしらったのです。

小心者の私は恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしてそこから逃げ出したのでした。

後で、いとこと叔母に「知ったかぶりするから恥をかくんだ」と何度も言われて笑い者にされて、
私はショックでその夜は布団の中で悔し泣きをしたのでした。

それから私の心に火がついて、「よし、それならやってやろうじゃないか」と思い、
島の家に帰ってから、父にドラムセットはいらないからパソコンを買ってくれと、
直談判したのです。

そこで、なんと父からOKをもらう事になりました。

当時、家が貧乏なのは痛いほど解っていました。
なのに、買ってもらえるなんて思ってもみなかったので、私は天にも昇る気持ちになりました。

それからはBASIC言語の勉強を独学で覚えました。
それがコンピューターのプログラミングとの出会いでした。

続きます。

ではでは。

進学の秋

2014-10-13 06:46:32 | diary
えー、お題の「進学の秋」です。

中学生になった私は、電子工学を学ぶ為に、高等専門学校の電子工学科に入る為に、
電子工作の勉強を始めました。

しかし、私は学校で習う主要5科目の成績が良くありませんでした。
特に英語と数学の成績が悪く、とても高等専門学校に進学する事は不可能に近い状態でした。

元々小学校で算数が苦手で、分数あたりから授業について行けていませんでした。

中学に入ると、英語と数学が授業で始まりました。
しかし、算数の基礎が出来ていない私は、数学の授業は始めからさっぱり解りませんでした。

しかし、公式を無理矢理覚えて、間違いながら勉強したのですが、
所詮付け焼き刃で、基礎が出来ていないので、授業はどんどん先に進み、
解らないままなんとなくやっていた、という悪循環に陥ったのです。

英語に関しては、始めの1学期はなんとかついて行けてたのですが、
2学期からは、さっぱり解りませんでした。

特に文法用語が出てから、英語が苦手になったのです。

国語は漢字の読みは出来るが、難しい漢字は書けないというこれまた、
「アホ」確定でした。

主要5科目のうち、好きだったのは理科と社会だけでした。
あとは技術家庭科と美術と音楽は好きな科目でした。

好きと出来るは違っていて、理科と社会も、得意と不得意がはっきりと分かれるという、
基礎学力がやはり全然足りないのです。

中学2年になった私は進学を決める基礎考査を受けました。
いわゆる模擬テストってやつです。

そのテストの成績では高等専門学校への進学は不可能である事が判明したのです。

そこで私の学力でなんとか入れる学校を調べると、工業高校の一番簡単な学科か、
商業高校のやはり一番簡単な学科しかありませんでした。

私は卒業したらなるべく早く就職したかったので、自分のやりたい事をやるには、
工業高校の一番簡単な学科を第一志望にして、それがダメなら職業訓練校に進む事にしたのです。

職業訓練校を出ただけでは中卒での就職となります。

私は必死で受験勉強を解らないままやっていました。
とにかく得意な部分だけでも重点的に勉強するという方法で、テスト対策の為の勉強をしていました。

そして、高校入試を受けました。
結果は運良く合格したのです。
こんな「アホ」でも高校に進学出来たのです。

続きます。

ではでは。

YMOの秋

2014-10-12 06:37:48 | diary
えー、お題の「YMOの秋」です。

秋祭りが終わって、私はさとしくんのお兄さんから、YMOのアルバムを録音したテープを、
はじめて聴かされて、カルチャーショックを受けたのが、やはり秋でした。

それ以来私はYMOにハマることになるのです。

私とさとしくんで、即席のセッションをしたりもしました。
私の家に、建て替えでいらなくなった学校の備品の壊れたオルガンがあって、
さとしくんはボウルに紙を貼って輪ゴムで止めただけのドラムを作り、
さとしくんがドラム役をやり、私がキーボード役をやって、
YMOの曲をコピーするという遊びをやっていました。

もちろん小学生の遊びですから、2人とも演奏は下手です。
さとしくんはドラムに夢中になると、ついつい力が入って、紙を破りました。

そして私は、音が出ないキーを弾くとその音を口まねして、2人して大笑いしたのでした。

それ以来中学を卒業するまで、2人してYMOの即席コピーバンドを自己流でやっていたのです。

自己流ですから、弾き方なんて、もうめちゃくちゃです。

誰に習うとも無く弾いていたので、耳コピで同じ音を押して行くというだけの、キーボード奏者でした。
なので、演奏法もなにもあったもんじゃないのです。

当然、全然上手くなりませんでした。

それでも私はシンセサイザーが欲しいと強く思う様になり、雑誌に載っているシンセサイザーの写真を切り取って、
チラシの裏に貼付けては、自分だけのスクラップブックを作っていたのでした。

そして中学生になる頃には、自分の進路について色々と考える様になりました。

私はこの貧乏な家から早く独立したいと強く思う様になり、将来は手に職を付けたいと考える様になりました。

そこで、昔からの夢である、ロボットを作りたいと思う様になり、電子工学を学びたいと思う様になったのです。

当時、県内で電子工学を教えていたのは、県立の高等専門学校でした。
そこは私にとっては、とてつもなく難しい学校だったのです。

でも小学校の頃にはそこに行きたいと父に言ってました。
父は好きな様にしたらええ、と言ってくれました。

中学になると私は、電子工作の通信学習を始める事になりました。
そこでは、インターホンを作るキットと工具、教本をセットにして販売されていたものを、
父に言って買ってもらう事になりました。

その頃から私は家電製品を分解しては組み立てるという趣味を持つ様になったのです。
半田ごてをはじめて握ったのも中学1年生の頃でした。

続きます。

ではでは。

祭りの秋

2014-10-11 06:28:17 | diary
えー、お題の「祭りの秋」です。

私が転校してから、けいちゃんと友達になりました。

それから暫くして、もう1人友達が出来ました。

私が小学4年の終わり頃、家から歩いて10分ぐらいの所にある、
さとしくんという男の子と知り合いになりました。

さとしくんは今で言う所の自閉症の子で、始めはちょっと変わった子かなぁ、
というくらいの子でした。
基本的には無口で、自分の好きな事には一生懸命になるのですが、
興味の無い事は一切目もくれない子でした。

きっかけは小学校の近所にある駄菓子屋で、そこで飼われている犬をかまっている、
さとしくんをはじめて見た頃から、何となく話す様になり、
私も犬が好きだったので、その犬がきっかけで仲良くなりました。

家が近かった、といっても歩いて10分の所ですから、当時としてはちょっとした散歩ぐらいの感覚で、
さとしくんの家に遊びに行ったり、家へさとしくんが遊びに来たりする仲になりました。

そこで、さとしくんのお兄さんとも知り合いになり、そのお兄さんが漫画を描くのが上手で、
その漫画を楽しみにしていたのです。

そして、半年が過ぎた頃、秋祭りの準備の為に私はさとしくんのお父さんに、
太鼓の叩き方を教わる事になったのが、きっかけで、家族ぐるみの付き合いになったのでした。

私は当時、本当に小柄で、ひ弱な子供でした。
その私がハマったのが祭りの太鼓のたたき役になったことでした。

実は祭りの時に太鼓台が出るのですが、そこには子供が2人載って叩く事になっていました。
体が小柄だった私はさとしくんとペアで太鼓台に載る事になったのです。

それからというもの、太鼓の練習に足しげくさとしくんの家に通って、
さとしくんのお父さんやお兄さんから太鼓の叩き方を習って、
家でも練習していたのです。

その地域では、小学4年になると、祭りの太鼓台を引くのに、子供がかり出されるのでした。
そこで、太鼓台を引く役と太鼓を叩く役に分けられて、私は太鼓を叩く役になったのです。

私は手にマメを作ってそれをつぶしても、太鼓の練習をやめませんでした。
それくらいハマっていたのです。

おかげでかなり上達しました。
こんなに一つの事に夢中になったのははじめてでした。

祭りの楽しみは実はもう一つあります。
それは祭りのお花というおひねりを地域の人からもらって、祭りが終わるとそれを
子供たちで分け合って、お小遣いになるという夢の様な時間が待っていたのでした。

私は、太鼓を叩いたので、普通の子よりも、多くそのお花を頂く事が出来たのでした。

好きなことをやってお金をもらえるなんて、なんて素晴らしいんだろうと、非常に感激したのを覚えています。

それ以来、毎年秋祭りになると私は太鼓の叩き手になったのでした。

続きます。

ではでは。

転校の秋

2014-10-10 07:12:31 | diary
えー、お題の「転校の秋」です。

小学4年の秋に転校してから、私はいじめられました。

島には小学校と中学校がありますが、そのクラスは1学年1クラスしかなく、
結局いじめは約6年間続く事になりました。

一番最初のきっかけは、私が転校生だからという理由でした。
転校して最初の1週間は、以前にクラスにいた子が1人転校して行った事から、
私は歓迎されました。

しかし、その頃の私は人見知りが激しく、少しなじめませんでした。
そして、1週間が過ぎた頃、上級生の1人が私をいじめのターゲットにしたのです。

理由は私が転校生だからという事でした。

実は、その上級生は元々東京に住んでいて、家庭の事情で祖母のいるこの香川県の島に転校して来たのです。
で、その上級生はクラスで浮いていて、いじめられていたということらしいのです。
上級生は、私が転校して来た事を知ると、腕力にものを言わせて私をいじめ始めました。

私が嫌がるのを無視して、無理矢理翌日から「朝、俺を迎えに来い」と私に強要したのです。
それから暫くの間、私は嫌々上級生を迎えに行くという役目を負うはめになったのです。

私が、嫌なそぶりをみせると、二言目には「言う事を聞かないとぶっとばす」と脅すのです。

当時私は非常に小柄で痩せていて、上級生は私より大柄で、腕力が強いのです。
性格もかなりのわがままで、自分の思い通りにならないと「ぶっとばす」というのが口癖なのです。

私はその勢いと脅しに屈したのです。

そして、一週間が過ぎた頃、ある事件が起こるのです。
それ以来私は、クラスメートからもいじめを受ける様になりました。
その日から私は、ひどいいじめに悩まされる事となりました。

もう、友達は出来ないと諦めていました。

しかし、ある男の子が、私に声をかけてくれたのです。
その子は、私の住む地区よりも4キロほど離れた漁港に住んでいました。

家から歩いて1時間ほどの場所にあるその子の家に遊びに行く事になりました。
それ以来、その子とは毎週日曜日に一緒に遊ぶ仲になったのです。

私は、その子を下の名前で「けいちゃん」と呼んで非常に仲良くなったのでした。
けいちゃんとは中学を卒業するまで、一番の仲良しになりました。

続きます。

ではでは。

音楽の秋

2014-10-09 06:38:53 | diary
えー、お題の「音楽の秋」です。

前回の続きです。

私はYMOのライディーンを聴いて、カルチャーショックを受けました。

シンセサイザーというコンピューターを使った楽器で、音楽が演奏出来るという事実を、
私はすぐには受け入れられませんでした。

だって、理屈がわからなかったからです。

私はコンピューターとシンセサイザーの関係を本屋で調べました。
すると、シンセサイザーという楽器はコンピューターによって音を作って、
それを元に曲を奏でる事が出来るというものでした。

私はシンセサイザーが欲しいと思いました。

そこで、音楽雑誌で調べてみるととてつもなく高価なものである事を知り、
これは将来の夢にしようと考えたのです。

コンピューターが音を作る仕組みは、当時の私にとっては、非常に難しく、
しかしとてもワクワクするものでした。

これはコンピューターを勉強してみたいと思う動機付けの元になったのです。

元々私は子供の頃から電車や飛行機といった乗り物が好きで、
テレビのロボットアニメの影響を受けて、メカニックなものがますます好きになったのでした。

小学生の頃に文集に、私は大人になったらロボットを作ってみたいと書きました。

ロボットを制御するのにコンピューターを使うということも当時のアニメの知識で、
何となく知っていたというレベルでした。

その頃から、漠然とコンピューターに対して、憧れの様なものを抱いていたのです。

私はYMOの曲を聴いてから、コンピューターの無限の可能性にどんどんと惹かれて行ったのです。

私は小学5年生の頃、島の秋祭りで太鼓を叩く事になりました。
それから、練習して、なんとか本番までにそれなりに叩ける様になりました。

それ以来、暇があったら、自分の手で自分の体を叩く事によって、リズムを刻む様になりました。

実は私は子供の頃から音楽が好きで聴くのも歌うのも好きだったのです。

小学4年生の時に両親が離婚して、大阪から香川県の父の実家の島に引っ越してからも、
つらい事があった時など、お気に入りの歌を歌って発散していたのです。

歌を歌ってる時はつらい事も忘れさせてくれていたのでした。

転校して早々に私はいじめられる事になりました。
それ以来、つらくなると島の家から歩いてすぐにある近くの海岸で歌を歌っていたのです。

続きます。

ではでは。

読書の秋

2014-10-08 06:27:33 | diary
えー、お題の「読書の秋」です。

ここ最近、仕事柄、本を読む事が多くなりました。

プログラミング関連の本を始めとして、アプリ作成に必要な経理事務関連の本、
それから経営関連書籍を読んでいます。

特に、経理事務関連の本では、簿記の知識が必要になって来た為、
経理や仕訳の入門本を読み直しています。

実は私は、社会人になって一番最初に就職した会社で、電算室という部署に配属されました。

そこでは、当時最新式のIBM システム/38という汎用リレーショナルデータベース対応コンピュータを使って、
社内会計システムを作成、運営していました。

当時私は、コンピュータのプログラミング知識として高校時代にFORTRANとBASICという言語を学んでいました。

私が通っていた高校は工業高校で、学校で習ったものは科学技術計算に使われるFORTRANという言語をメインに、
そして趣味で当時マイコンと呼ばれていたパソコンでBASICを勉強しました。

プログラミング言語の入門としては、BASICが割とやさしい部類に入りますが、
高校生の私には、慣れるまでが大変でした。

趣味のマイコンで何をやっていたかというと、ほぼゲームマシンと化していたのです。
ゲームをマイコンでやりたかったのでBASICを覚えたといっても過言ではありません。

私が小学生の頃、インベーダゲームが大流行していました。

私はインベーダーゲームがやりたくて、当時住んでいた島に唯一のインベーダーゲームがあった、
国民宿舎の遊技場へと足しげく通いました。50円玉を握りしめて...

でも家は貧乏の極みだったので、お小遣いなんて週に一回50円をもらうのがせいぜいでした。
インベーダーゲームを知るまでは、週に一回の50円で、駄菓子屋に行って、駄菓子とくじ引きをするのが楽しみでした。

でも、くじ引きはほぼ「スカ」でした。当たった事がありません。
あとは駄菓子で、10円のクッピーラムネやヨーグルを買って食べるくらいです。
私は甘酸っぱ系の駄菓子が好きでした。
マルカワのフーセンガムも確か10円でした。オレンジ味がお気に入りでした。

中学生になってから、祖母の勤める国民宿舎にインベーダーゲームがある事をはじめて知り、
週に一度、そこへと通う様になったのです。お小遣いは相変わらず50円のままです。

50円一回のチャンスをなんとかして、長くインベーダーゲームを楽しむ為に、
毎週通って、ゲームをやるのですが、なかなか1面がクリア出来ません。
半年もやっていたら、クリア出来ない事もあって、飽きてやめてしまいました。

その頃、私の同級生のお兄さんと仲良くなって、音楽を聴かせてもらっていました。
元々、歌う事が好きだったのですが、テレビのベストテン番組を見るのが好きでした。

そのお兄さんが、良く聴かせてくれていたのはお兄さんの好きな松山千春や
ブルースリーの映画のサントラ音楽を聴かせてくれました。

ある日、そのお兄さんが非常に興奮しながら、「これ面白いから聴いてみて」って言われて、
生まれてはじめてYMOのアルバムを聴かせてくれたのです。

私は、わくわくしながらその曲が始まるのを待っていました。
するとドラムの軽快なリズムを刻む音が聴こえて来て、イントロが聴いた事の無い電子音を奏でたのです。

これには私はカルチャーショックを受けました。
そうです、YMOのライディーンをはじめて聴いた時に、この音は何の楽器の音だろうと不思議に思ったのです。

お兄さんは「これはシンセサイザーという楽器で演奏しているんだ、コンピューターが使われているんだ」と
教えてくれたのでした。

コンピューター、その響きは私に電撃を与えたのです。
「コンピューターってあの電子計算機?」私は不思議に思いました。
計算機が楽器になるってどういうことか理解できなかったのです。

それから私はシンセサイザーが欲しくなって、コンピューターの知識を図書室で調べたのです。
でも、当時の島の学校には、コンピューターの専門知識に関する本は一冊もありません。

そこで月に一回、私たち島の人間が本土と読んでいる四国の丸亀へと渡った時に、
本屋でコンピューターに関する本を探して立ち読みしたのです。
そこから私のコンピューターに関する知識欲に火がついたのでした。

続きます。

ではでは。

選挙

2014-10-05 08:45:24 | diary
えー、お題の「選挙」です。

これ、今日私の住む町の町長選挙と町議会選挙が行われています。

朝の5時前に目が覚めて、色々と調べものをしてから、6時40分に投票所へと行きました。

実は私は6時から投票だと勘違いしていて、行ったらなんと2番目で7時から投票と言われました。

で、一番乗りの方が投票箱を確認したり署名したりする様子を見る事が出来ました。
早起きもするもんですね。

報道では知っていたのですが、実査に選挙の時に確認をする場面というのは、
なかなか見られるものじゃないです。

なんか得した気分になりました。

投票所は役場の担当者と、選挙管理人(見届け人)と警察官の方が来ていました。

警察官の方は私より少し遅く投票開始時刻の5分前に投票所に到着していました。
私服だったので、投票に来た人かと思いました。

投票箱の中身を一番乗りの方が確認して、鍵をかけるときに、投票箱の組み立て方が甘かったみたいで、
箱の下がはずれて投票箱が開いた状態になりました。

役場の組み立て担当の方があわてて、鍵を解錠し、投票箱を組み立て直し、
もう一度一番乗りの方に中身が空っぽか確認をしてもらっていました。

その様子は見ていて、田舎の選挙なんだなぁと実感しました。
非常にのどかで、笑い声も聞こえました。

つられて私もなんだかニヤけてしまいました。

投票を済ませて、家に帰りました。

朝飯前の投票ってのを人生ではじめて経験しました。

結構、面白かったです。

さぁ、誰が当選するんでしょうか。楽しみです。

ではでは。

新しい暗号通貨を作りたい。

2014-10-03 05:57:34 | idea
えー、お題の「新しい暗号通貨を作りたい。」です。

現在、暗号通貨として、色んなものが出て来ています。

それらのほとんどが、Bitcoinを元にした暗号通貨で、
その通貨を得る為にはマイニングという作業をしないといけないのです。

このマイニングは、コンピュータの演算能力をかなり必要とします。
その為に消費する電力がとても必要です。

これはエコではないと思っています。

そこで、私はエコな暗号通貨が作れないものかと、現在試行錯誤しています。

今の段階では基本仕様を考えているところなのですが、
暗号通貨の偽造防止の為の仕組みを考えるのに、ちょっと悩んでいます。

今ある暗号通貨で、割とエコなのは、RippleとSTELLARかな、とか思っています。

この暗号通貨も基本的にはBitcoinを元に作られていますが、
メインはWebのシステムを使って作られています。

これにはWebサーバーが必要になります。
この消費電力も結構必要なのではとか思っています。

なので、私はスマートフォンでも動く様な軽い仕組みの暗号通貨を作ろうと、
色々と調査しているのです。

まだ、その様なものは無いと思われるので、どこからかサンプルを持って来て、
改造して作るというやり方は出来ません。

完全なオリジナルのロジックが必要になります。

このロジックを考えるのに現在ほとんどの時間を費やしています。

今のところ1人で考えていますが、出来れば協力者が欲しいなぁとか思っています。
ただ、今の私の財力では、ほぼ対価を支払う事は出来ません。

でも、スタートアップのこの通貨自体を分け与える事は可能だと思います。
もし、このブログをご覧の方で、興味がある方は、コメントいただければうれしいです。

こんなのでコメントつくのだろうか?

ではでは。

iPhone5故障

2014-10-01 05:29:49 | Mac/iPhone/iPod/iPad
えー、お題の「iPhone5故障」です。

これ、私が現在使っているiPhoneなのですが、これのホームボタンが壊れました。

症状として、アプリを起動し、終了させる為にホームボタンを1回押したら、
ダブルクリックした時と同じマルチタスク画面が出るというもので、
Appleに電話して、状況を話すと、本体交換となりました。

バックアップを取って、宅急便での交換を選択しました。
それが、日曜日に連絡をして、昨日の昼過ぎに到着しました。

私は現在、iPhoneでiTunes Matchを利用しています。

しかし、何ヶ月か使ってみて、今のところ使い勝手が悪いので、
これは1年だけの契約にした方が良いと判断しました。

そのまま使っていると自動継続になって、料金が引き落とされるので、
自動契約無しにしようと思っています。

実は今回で本体交換は2回目です。

iPhoneもバージョンが上がるにつれ、なんだか頑丈さが失われつつある様な気がします。

私のiPhoneのキャリア契約が来年の4月までなので、多分次回もiPhoneにするとは思います。
が、もしかしたら、キャリアは変えるかもしれません。

実は自宅のネット回線をフレッツ光から電力系の光回線に変更をしました。
料金が安くなるという事だったので、変えたのですが、これがauのキャリアに変えると、
携帯代の割引が受けられるそうで、今ちょっと悩み中です。

まぁ、来年になってから考えればいいので、暫くは情報収集してみます。

次はiPhone6シリーズなので、多分大きい方のPlusにするかもです。

暫くは色などを何にするか検討してみます。

Apple Watchも出るので、来年は何かと物入りですね。

楽しみだなぁ。

ではでは。