ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

cgminer3.7.2を作る方法

2014-04-09 11:53:21 | programming
えー、お題の「cgminer3.7.2を作る方法」です。

これは何かというと、少し前に話題になった仮想通貨の、
ビットコインを発掘する為のアプリです。

これはWindowsのコマンドラインで動くアプリで、
パソコンの知識がある程度無いと、多分、訳が分からないと思います。

で、以下はその試行錯誤のメモです。

cgminer 3.7.2のソースコードを探して持ってくる。

GitHubのwindows-build.txtを参考にする。

mingw32を使えと書いてあるのでmingw32をインストールする。

MinGW Installation Managerを使ってMinGWのインストールをする。

C:\MinGW\msys\1.0\etc\fstab ファイルを作る。(メモ帳で)

中身はこれ。

C:\MinGW /mingw

拡張子がtxtになるのでそれを削除する。

C:\MinGW\msys\1.0に、msys.batというファイルがあるので、
それをダブルクリックすると、MinGWの環境が起動する。

MinGWの環境で、以下を実行する。

mingw-get install mingw32-binutils mingw32-gmp mingw32-mpc mingw32-mpfr

mingw-get install mingw32-mingwrt mingw32-pthreads-w32 mingw32-w32api

以上でMinGWのインストールは終了。

AMD APP SDKのインストール。

http://developer.amd.com/tools/heterogeneous-computing/amd-accelerated-parallel-processing-app-sdk/downloads/

ここへ行ってSDKをダウンロードする。

ダウンロードには5時間以上かかるのでひたすら待つ。

AMD APP SDK 2.9をインストールする。

GTK-WINのインストール。

http://sourceforge.net/projects/gtk-win/

ここへ行って
libglib-2.0-0.dllとintl.dllをインストールする。

pkg-configのインストール。

http://www.gtk.org/download/win32.php

ここへ行ってpkg-config.exeとpkg.m4をインストールする。

libcurlのインストール。

ここへ行って

http://curl.haxx.se/download.html#Win32curl

をダウンロードして所定の場所にコピーする。

MinGWの実行。

C:\MinGW\msys\1.0\msys.batを実行する。
(ショートカットをデスクに作っておくとよい)

以下を実行。

cd \cgminer-3.7.2

adl.sh (optional - see below)

autoreconf -fvi

CFLAGS="-O2 -msse2" ./configure (additional config options, see below)

make

strip cgminer.exe <== only do this if you are not compiling for debugging

(メモ)windowsのbatファイルにコメントを付けるには:を先頭につける。

以上が昨日1日費やして、今日も昼までかかって、やった作業です。

普通の人には、暗号に見えると思います。

わかる人は、チャレンジしてみて下さい。

なお、まだcgminer.exeの作成には現時点で成功していません。

これから色々、調べます。

出来るといいなぁ。

ではでは。

iPhoneアプリ開発『超』入門

2014-04-08 06:17:44 | programming
えー、お題の「iPhoneアプリ開発『超』入門」です。

これ、私がiPhoneアプリを作る為に、1年ほど前に入手した本です。

この4月から本格的にiPhoneアプリを開発しようと思って、
この本を見ながらサンプルコードを作っています。

最初、アプリ開発は難しい事だと考えていましたが、
この本は本当に初心者向けに書かれていますので、
とにかくやってみると、非常に容易にアプリが作れてしまいました。

まぁ、サンプルですので、出来る事は限られていますが、
それでも、最初に懸念したほど、難しくは無いみたいです。

これはAppleの開発環境であるXcodeが非常に良く出来ていて、
多分、慣れればかなり使い勝手が良いと実感しています。

私が現在サンプルアプリを作るのに使っているXcodeのバージョンは、
4.6.3で、これはAppleのiOSデベロッパーに有料で登録しないと、
ダウンロード出来ません。

私は、2年前からiOSデベロッパーに登録していて、
今年も7月には更新月になります。

執筆時点で年間8,400円必要ですが、これでAppStoreに開発したアプリを
公開する事ができるのです。

そして、うまくいけば、それで収入を得る事も可能なのです。

私は、その為に、色々と準備してきました。

基本的にXcode自体、英語版なので、英語がわからないと、
操作方法の詳細がわかりません。

困った時に自分で解決するにはやはり、英語が必須なのです。

英語を1年ほどやってきて、少しは英語が読める様になりました。

最新情報はどうしても英語で提供されていますので、
それに必要なのです。

これもSecond LifeのCypris Chatの皆さんのおかげです。

本当に感謝しています。

私のレベルではまだまだ英語の学習が必要ですが、
これもなんとかなりそうです。

これから、コツコツとサンプルを作って覚えていこうと思います。

上手く出来るといいなぁ。

ではでは。

業務日報2014-03-31

2014-04-01 06:46:46 | programming
えー、お題の「業務日報2014-03-31」です。

この日記を書いている時点で4月1日になっています。

4月と言えば新年度ですね。

私、この度事業を始める事にしました。

正確には昨日から、iPhoneアプリ開発を始めました。

まだ、実際のアプリ開発の前段階である、
Objective-Cの習得を始めたのです。

実は、アプリ開発自体は、Windowsのアプリを
開発してきた経験が10年以上あります。

Windows以前はパソコンがマイコンと呼ばれていた頃から、
BASIC言語やMS-DOSでのC言語でのプログラミングの経験が
ありました。

Windows 95の頃から、Windows XPまでの業務用アプリを
色々と作ってきました。

で、色々あって、体を壊してしまいました。
その後現在まで、自宅療養を続けながら、色々と仕事を探していました。

しかし、私の現在の年齢では、仕事自体がありませんでした。

そこで、私は今までの経験を生かして、
アプリを作って販売しようと思いつきました。

その時にWindowsのアプリ開発は、
もうWindows XPのサポートが終わるという事もあって
クロスプラットフォームと呼ばれるOSに依存しないアプリを作ろうと、
非常に地味に色々と調査していました。

そこで最終的にパソコンからiPhoneのアプリを開発する方向に、
方針を変えたのです。

その為にはMacにスイッチする事が必要となりました。

でもって、頑張ってお金を少しずつ貯めて、
MacBook Proを購入したのです。

次に本格的にMacやiPhoneのアプリを作るには、
英語の知識が必要である事を知りました。

それで、英語を勉強する為に、これまた色々と調べた結果、
パソコンを使ってSecond Lifeで英語を勉強出来る
コミュニティがある事を知りました。

そのコミュニティに参加して今日でちょうど1年になりました。
今日も夜にアクティビティがあります。

で、新年度に変わる事をきっかけに、本格的に開発に着手する事にしたのです。

その為に2年ほど前から、MacやiPhoneのアプリ開発関連書籍を
これまた少しずつ買い揃えて、ざっと目を通していました。

そして、昨日からサンプルコードを一つづつ作ってみました。

iPhoneで地図だけを表示するアプリを作るのに、1時間ほどで作れました。

正確に言うと、サンプルコードを開発ツールであるXcodeを使って、
入力し、サクッと作れてしまうのです。

これには非常に驚きました。

昔のプログラミングに比べて、覚える事は確かに多いですが、
作業効率が全然違いました。

この開発ツールは、かなり使いやすそうだと直感しました。

昨日やった事は以下の様な事です。

9:00~
iPhoneアプリ開発「超」入門
P1~P42
Welcome作成

P43~P90
制御文sample作成

地図アプリsample作成
~16:10

ここまでで、とりあえずの作業を終えました。

これからしばらくはこの本とMacBook Proの出番が待っています。

まずは初日なので、このくらいでやめました。

途中、自炊をしているので食事を作ったり、
雑用をしたりしながらの開発です。

私が作りたいアプリがいつ出来るのかは未定ですが、
アプリの設計にも本格的に取り組みたいと思います。

いつできるんだろう。

ではでは。

Xcode 5.0.2

2014-02-27 06:30:20 | programming
えー、お題の「Xcode 5.0.2」です。

これ、今使っているMacの開発環境です。

このアプリで、MacやiPhoneのソフトウェアを作成します。

今これの使い方を色々と勉強しています。

私は、以前Windowsのアプリを作るのに「Delphi」という統合開発環境を
使っていました。

これは、MicrosoftのVisual Studioが出る以前に発表されていた、
Windowsアプリを作るソフトウェアです。

このDelphiの特徴は、言語がObject Pascalという言語で、
今はDelphi言語と呼ばれていますが、これでオブジェクト指向での
アプリ開発が出来るものになっています。

このDelphiは開発生産性が非常に高く、簡単にしかも早く、
Windowsのアプリを作る事が出来るのです。

で、Xcode 5.0.2ですが、これは、まだ深く触っていないので、
アプリが素早く作れるかは、よく解っていないのですが、
MacやiPhoneのアプリを作るのに必須の開発環境になっています。

これも慣れだとは思いますが、今、色々とネットで転がっている、
サンプルソースコードを落としては、コンパイルしています。

プログラミングに慣れるには、他人の作ったものを調べながら
覚える事が近道だと思っています。

私の作りたいアプリは、データベースが必須です。

このデータベースを使ったアプリが、いかに簡単に作れるかにかかってきます。

Macには標準でSQLiteというデータベースが使われており、
iPhoneやiPadにも、このSQLiteが使われています。

まずは、このSQLiteの使い方を覚える事が必要なので、
その為の本も入手しました。

暫くはこれらとの格闘が待っています。

出来るのか、やれるといいなぁ。

ではでは。



調査

2014-02-26 06:47:11 | programming
えー、お題の「調査」です。

調査といっても、この調査は仕事に必要な調べ物の事です。

私は現在、iPhoneアプリを作る為に、色々作業をしています。
この作業の1つに技術的調査と論理的調査があります。

アプリを作る為に、アプリの仕様というものを決めます。
ここで言う仕様とは、アプリの目的とそれに伴う入出力データや、
処理内容を決める事です。

その為に必要な調査が技術的調査と論理的調査なのです。

技術的調査は、その名の通り、そのアプリを作るのに必要な、
技術的に可能かどうかについて調べます。

論理的調査は、内部ロジックについて調べます。
内部ロジックとは、アプリの挙動の事で、どのように動くか、
中身の動き方を決めるのに必要な資料を集めて、調べる事です。

この2つの調査がとても重要で、昔は手作業で色々やっていました。

今は、インターネットという便利なものがあるおかげで、
大体の調べ物は解る様になりました。

ただ、このインターネットの情報というのは、
必ずしも正しい情報であるという事ではありません。

古い情報や、間違った情報も多く、内容の精査をしなければならないのです。

簡単なアプリなら仕様書はメモ書き程度で済みますが、
内容がしっかりしたものを作ろうとする為には、
きちんとした仕様書を作る必要があります。

その為の調査と情報の精査を行う事が非常に重要になるのです。

では、何の為にこのような手間隙をかけて仕様書を作るのかと言えば、
後で見返した時に、自分自身が結構忘れている事が多かったりするので、
未来の自分に対しての、作業指示書を残す為に仕様書を作るのです。

将来の機能追加や、不具合の修正の為に、資料を残しておかないと、
後で調べる事が大変になるからなのです。

例えば私以外の人にアプリの作成を手伝ってもらったとします。
その場合、仕様書がきちんと作られていなければ、
アプリの整合性がとれなくなるのです。

アプリの整合性が取れなくなると、不必要なバグ(不具合)を起こします。
その為にも必要なのです。

また、自分1人で開発していても、過去に作ったものは、意外と忘れていたりします。
それを思い出す為にもこの仕様書が非常に重要になるのです。

建築物で言えば、仕様書とは、基礎部分の設計図の様なものなのです。

これがいい加減であったら、アプリはめちゃくちゃなものになるのです。

私は、未来の自分自身は他人だと思う様にしています。
他人に解りやすく情報を伝える事も、また仕事の1つなのです。

昔作った仕様書を、今見直してみると、結構いい加減な所が見つかります。
これは時間がなかったからとか、当時は未熟だったからに他なりません。

調査はしっかりとする事が重要になります。

これからが大変です。

出来るのか、やりましょう。

ではでは。

アプリケーション

2014-02-24 06:47:09 | programming
えー、お題の「アプリケーション」です。

アプリケーションとは、ソフトウェアの種類の1つで、
プログラミングという作業で作る、プログラムの事です。

よく省略されてアプリとか言われたりもします。

最近のスマートフォンでも、このアプリが動く様になりました。

元々は、パソコンのソフトウェアのうち、1つの仕事をさせる為の、
プログラムの事をアプリケーション、と呼んでいました。

私が社会人になって、初めてIBMにプログラミングの研修に行った時に、
アプリケーションとは「適用業務」と日本語では訳されます、と教わりました。

適用業務って何?とか思いましたが、その時は英語を適切な日本語に訳す事が
IBMでも出来きれていないと理解しました。

昔、コンピュータが非常に高価で、大きさもかなり大きい時代に、
会社などで、会計処理をさせる為に汎用コンピュータを使っていました。

その時に、会計業務の1つを作業の種類で分割して、
1つのソフトウェアを作っていました。

このソフトウェアの事を適用業務(アプリケーション)と呼んでいたのです。

今では、当時の汎用コンピュータの機能以上の能力を持った、
コンピュータの1つのスマートフォンでも、会計処理が出来る様になりました。

スマートフォンも広い意味ではパーソナルコンピュータなんですね。

アプリの価格も、昔は何千万円も費用を掛けて開発していました。

今では、安いものでは100円から購入出来ます。
その上、無料のものも沢山あります。

アプリケーションを1つ作るのに掛かる手間は、昔も今も変わりません。

始めにアプリケーションを作りたいと思った時に、
それがコンピュータで再現出来るのか(作る事が出来るのか)調べます。

そして、それが可能と解った時に、開発に着手するのです。

アプリケーション作りは、家の建築に似ています。

まず、作りたいアプリを思い描き、それをデザインします。

そして、それを実際に作る為に必要な、
1つ1つの部品になる部分を考えていきます。
これが、設計作業という作業になります。

設計が出来たら、それがコンピュータに異常をもたらさないか調査します。

そして、正常に動く事を確認しながら、部品の1つ1つを作っていくのです。

そして部品が出来上がったら、それを組み立てていきます。

組み立てて行くにつれ、上手く繋がらないとか、思った通りに動かないとか、
色々とトラブルが発生します。

そのトラブルを解決するのも、プログラミングの作業の1つになります。

そして、全体のアプリが出来たら、設計通りに動くか確認します。
その作業をデバッグといいます。

動かない場合は、1つ前の手順に戻り、その部分をやり直します。
それでも問題が解決出来ない場合、根本の設計からやり直しします。

アプリケーションを作るのにはこの様な手間ひまを掛けて作っているのです。

私がやっている仕事のシステムエンジニアとは、
このアプリケーション全体を、管理、監督する仕事なのです。

大工で言う棟梁なのです。

アプリケーションも建築も規模に応じて手間と費用と人員が必要になります。

1人で出来る事には限界があります。

プロジェクトが大変そうだったら、複数の人と組んで仕事をしたりとかもします。

アプリケーションは簡単には出来ないのです。

ゼロから1を作るのは、非常に骨の折れる仕事です。

私の場合は、半分趣味が入っていますので、
割と苦労する事が逆にやりがいになってたりします。

苦労して思った事が出来たら、RPGでレベルが上がった感覚になります。

楽しめる仕事を見つけられた私は、幸せなのでしょうね。

もっと幸せになりたいなぁ。

ではでは。

システムエンジニア[その14]

2013-12-24 07:21:03 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その14]」です。

英語の勉強をSecond Lifeで始めた私は、今では週に3回、
1回に付き1時間半から2時間のアクティビティを受けています。

最初はさっぱり解らなかった私ですが、今は、何となく
話している事が解る様になりました。

でも、初心者向けのアクティビティなので、解りやすい英語を
使ってくれているという事も理由のひとつです。

英語の文章も、辞書を引きながらなら、なんとか解る様に
なったみたいです。

これだけでもかなりの収穫があったと思います。

なにせスタートしたレベルが中学生英語で挫折したレベルだったので、
英語の苦手意識が取れるまで暫くかかりました。

今では、英語が趣味になりつつあります。

さて、話をシステムエンジニアに戻して、今私は、システムエンジニアの
経験を活かして、iPhoneアプリの作り方の勉強をしています。

具体的にはMacが必要なのですが、Macでプログラミングツールの
Xcodeを使って、言語はObjective-CというC言語の拡張されたものを
使ってプログラムを作っていきます。

今は、サンプルを色々作って、Objective-Cを習得するのに
時間を費やしています。

その為に本を全部で9冊購入しました。
パソコン技術書って1冊の価格が3000円から5000円程かかります。

今の私にとっては、結構な出費です。
でも、1つのプログラミング言語を覚えるにはそれくらいの
本が必要なのです。

まぁ、私の全盛期に比べて、読み進めるスピードは遅いですが
一歩一歩確実に物にしていこうと考えています。

何でもそうですが、習うより慣れろですね。

私の場合、プログラミングが趣味なので、覚える事は苦労ではありません。
作りたいアプリに必要な情報を本やネットで調べて、
実際にアプリの製作に入るのはもう少し先になりそうです。

それまでにアプリの設計を少しずつして行こうと思います。

アプリの設計は紙と鉛筆があれば出来るので、思いついた事を
メモに書き留めています。

目標は来年度中にアプリをリリースする事です。

なんとか頑張ってやり遂げたいと思います。

長くなりましたがシステムエンジニア編はこれで終わりにしたいと思います。

ではでは。

システムエンジニア[その13]

2013-12-23 07:56:01 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その13]」です。

毎月、9万円でやり繰りしていた私は、始めの2年でなんとか
お金を貯め、MacBook Proを買う事が出来ました。

それから暫くはMacに慣れる為に、標準搭載のアプリの
使い方を覚えて行きました。

そして、その頃から、今後の目標を立てたのです。

まず、第一に、うつ病を克服する、という目標を立てました。

私は、ドクターと相談しながら、生活リズムを安定させる事と、
薬を少しずつ減らして行く事を行いました。

それにほぼ2年かかりました。

それから、現在に至っています。

現在は、薬は減ったとはいえ、抗鬱薬2種類と睡眠導入剤と精神安定剤の
4種類の薬が今の所のベストとなりました。

もう、うつ病は、糖尿病の様に、自分がこれから一生付き合って行くと
決心したのです。

その為に、自分が普通の会社には勤められない事を自覚して、
無いものは自分で作ろうと考えました。

自分自身で自宅で出来る仕事で、今までの経験から出来る仕事は
何かと色々考えた結果、アプリを作って売ろうと考えました。

私は、Windowsのアプリは作った経験があるので、その経験を活かして
MacとiPhoneのアプリを作ってAppStoreで販売しようと考えました。

その為に現在、Objective-Cの勉強とAppleのドキュメントを読む為に
英語の勉強をしています。

毎月使えるお金は限られているので、アプリ製作の勉強に技術書を
少しづつ揃えていきました。

そして、英語は無料で、ネットで勉強出来る方法を色々模索した結果、
Second Lifeで英語を無料で教えてくれる所を見つけたのです。

Second Life自体、パソコンさえあれば、無料でアカウントが作れます。
そして、Second Lifeは基本的に英語の世界なので、
自宅にいながら海外留学が出来るのです。

私は以前、ちょうどネットで話題になっていた2007年頃、
Second Lifeのアカウントを取りました。

そして色々やってみたのでしたが、何でも出来ると聞いていたのですが、
実際は、目的意識を持たないと何も出来ない事が解り、
暫く放置していたのです。

それで、再会しようとしましたが、アカウントを失念したので、
改めて今年の4月にアカウントを取ったのです。

今回は目的がはっきりしています。
Second Lifeで英語でコミュニケーションする事を目的に、
そこで英語の勉強を無料で出来る場所を、Second Life内のフレンドに
教えてもらったのです。

そこはCypris Chatという場所で、基本的には無料で英語を
勉強する事が出来ます。

私は何故無料で勉強出来るのか興味を持ちました。
すると、お金がある人はドネーション(寄付)することで、
Cypris Chatを運営しているという事がわかりました。

Second Life内でアルバイトをする事で仮想通貨のリンデンドルを
稼ぐ方法もあるのですが、私は暫くお金に余裕が出来るまで、
この無料で英語を勉強する方法を実践する事にしたのです。

週に3回、1回に約1時間半から2時間ほど、マイクとヘッドホン、
私の場合iPhoneに付いて来たイヤホンマイクをMacBook Proに接続して
アクティビティを受けています。

始めの頃はさっぱり解らなかったのですが、だんだんと話している事が
解る様になって来たのです。

もちろん初心者向けのアクティビティですから、それなりに簡単な
内容になっています。

もう暫くは初心者向けのアクティビティにお世話になろうと思います。

その14へ続きます。

システムエンジニア[その12]

2013-12-22 06:23:12 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その12]」です。

ハローワークから紹介された電気工事士の国家資格を取る為に
職業訓練校に通う様になった私は、最初の半年は自転車で自宅から
通学していました。

その時の収入は失業保険から出ていたのですが、
前職の社内システムエンジニアの時の給与が高かったので、
貯金が出来るくらい少し余裕がありました。

職業訓練校では、色んな年齢の方がいました。
若い方で21歳、最年長は65歳でした。

皆さん離職した理由は、リストラにあった方が半数以上を占めていました。

国家資格を取り、次の就職に役立てようと、みんな必死で勉強していました。

かくいう私もなんとかついて行くのがやっとで、とにかく心がけたのは
丁寧な仕事をしようと言う事でした。

早さでは若い方にかなわないので、とにかく丁寧にコツコツと真面目に
訓練を受けていました。

そこで、何人かの友人が出来ました。

卒業してから、電気工事士の仕事を探して、十数社受けたのですが、
全て、年齢で落とされました。

私でさえ落とされるのですから、もっと年齢の上の方は、
仕事自体が無いという悲惨な状態でした。

そこで、私はその友人と一緒に派遣会社に登録に行きました。

しかし、昔の派遣会社と違って、請負派遣という形でしかも短期の職しか
無かったのです。

私は仕方なく3ヶ月更新の短期の派遣工としてアルミサッシの製造工場で
働く事になりました。

その時の手取りで12万円くらいでした。
いわゆるワーキングプアというやつです。

私は派遣が切られない様に必死で働きました。
体重が15キロ程3ヶ月で減りました。

その工場では派遣社員は正社員から、ボロカスに扱われていたのです。
私はそのストレスから、体調を崩し、結局9ヶ月でその工場を辞める事に
なったのでした。

結果として派遣切りに遭ってしまったのです。

それから、何社か派遣会社に登録していたので、そこで仕事を
探してもらっていたのですが、なかなかありませんでした。

私は、ハローワークでプログラマーの仕事を見つけました。
そこを受けて、通う様になったのですが、始めはプログラマーとして
自宅で仕事をやっていい、という話だったのが、何故かパチンコ屋の
新台入れ替えの撤去作業を徹夜でやらされる事になり、
結局うつ病が悪化して、辞める事になりました。

収入も途切れ、貯金も底を着いた頃、役場へ相談に行きました。
生活保護の申請をしようとしたのです。

しかし、役場では、「あなたはまだ若いんだから仕事位あるでしょ」と
言って、いわゆる水際作戦によって2ヶ月程放置されたのです。

私は通っていた病院のドクターに相談したら、すぐにうつ病の診断書を
書くのでそれを渡しなさい、と言われて、それを渡したら、渋々申請を
受け付けてもらう事が出来たのです。

その時の所持金は3千円でした。
もちろん、家賃は3ヶ月滞納で、出て行けと不動産会社から催促が
ありました。

もう、どん底でした。

私は、とりあえずその3千円で、とりあえずコメを買い、
生活に必要の無いパソコンやCDなどを売り払い、5千円のお金を
作りました。

残りの6千円で一ヶ月暮らしたのです。最後の方は水かけご飯でした。
生きるのに必死でした。

ようやく、生活保護が受給され、とりあえず家賃の滞納分を支払い、
手元に残ったのが2万円でした。

8千円で生活したので、とりあえず、電気と水道代、ガス代、電話代で
1万円使い、残りの1万円で食費にしました。

翌月からは、徹底的に予算をきっちり決めて、まずは貯金出来る様に
しようと考えました。

本来、生活保護は貯金はダメなので、タンス預金をする様にしたのです。

やっぱり、何かあった時の為に最低でも5万円くらいは
常に貯金しておきたいと考えたのです。

始めは月に5千円づつ貯めて行きました。

それからは、今後の仕事に必要なノートパソコンを買う為に、
月に2万円貯める事にしました。もちろん食事は自炊です。
食費を切り詰めるとなんとかギリギリやって行ける様になりました。
今は、月に家賃も含めて9万円で生活しています。

その13へ続きます。

システムエンジニア[その11]

2013-12-21 06:32:00 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その11]」です。

私は、うつ病を抱えたまま、次の仕事に就く為に職業訓練を
受ける事になりました。

その職業訓練とは、Webエンジニアの講座を受ける事にしました。

Webエンジニアとは、インターネットのホームページを作ったり、
裏で動くJAVAという言語の基礎だったり、SQLサーバーという
データベースのWebでの利用方法だったり、とにかく3ヶ月で、
詰め込み型の講座を受ける事になったのです。

大雑把に言うと、動的なホームページを1人で作れる様にする、
という講座でした。

私の様なプログラミングの経験者でないとついていくのがやっとの
ペースで進んで行きます。

案の定、ついて来れなくなる人も出てきました。

結局、受講したけど最後までわからなかった人もいました。

私は個人で勉強する事を考えたら、かなり効率のいい講座だったと
記憶しています。

ちょうどインターネットで動くアプリを作る事が
流行り始めた頃だったので、今で言うWebサービスの構築に
必要な知識と経験を積む事が出来ました。

で、この知識が役に立つ仕事を探していたのですが、年齢的に
34歳になっていたので、募集は20代がほとんどで、
私の出る幕ではなかったのです。

そこで、ハローワークで紹介された会社の社内システムエンジニアの
仕事を受ける事にしたのです。

結果は合格しました。

やっとこれで生活して行けると思いました。

しかし、その会社は社長が一代で立ち上げた会社で
ワンマン経営だったのです。

社長は次々と仕事を増やして行きました。
私はそれに答えるのに必死で、約一年程勤めた頃、
うつ病を抱えたまま徹夜の仕事をしてしまい、体調を崩してしまったのです。

それからは、仕事どころではありませんでした。

収入も途切れ、傷病手当も受ける事が出来なくなりました。

その為、私は借金をして生活していたのです。
返せる当ても無いので、まさに自転車操業でした。

でもって、にっちもさっちもいかなくなって、もう死ぬしか無いと
考える様になりました。

今考えると、この頃、うつ病が悪化していたのでした。

で、役場で相談した結果、生活保護を受ける事になったのです。
それと同時に精神科へ入院しました。

この頃の約1年間はあまり良く覚えていません。

やった事は入院中に自己破産の手続きの為に司法書士の方に
連れられて、家庭裁判所へ行って、色々手続きをしました。

入院は長期にわたりました。

退院してから、暫くはリハビリとして、デイケアに通所する事に
なりました。
約2年程、デイケアに通いました。

その後、通院を続けながら、職業訓練を受ける事になりました。
職業訓練学校で、電気工事士の国家資格を取りに一年間通いました。

その12へ続きます。

システムエンジニア[その10]

2013-12-20 05:06:55 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その10]」です。

人事異動で、希望する家の近くのショップに移動になった私は、
それから、店員の1人として働く事になりました。

私は、今までの経験から、お客様の問題を解決する事と、
お客様の満足を増やす事に努力しました。

もちろん、私1人の力では到底出来ません。

たまたま、良い仲間に恵まれて、ショップの売上もなんとか
目標をクリアーする事が出来ていました。

そして、2年ほど経った頃、店舗が手狭になってきました。
いつも店の中が狭くなって来たのです。

そうしているうちに、店舗の移転の話が出てきました。

高松の店は、結局この2年で客足を増やす事は出来ませんでした。
理由は、高松店の近所に東京からパソコンショップの量販店が
オープンし、客足がそちらに流れていってしまったのでした。

そこで、私の働くショップと、高松店のスタッフとで、広い店舗に
移転するという事になりました。

このショップはオーナー社長が実質の権限を全て持っていました。

何をするにも社長の許可が必要だったのです。

実は、移転話は社長の方から出た話でした。

私達スタッフは、移転先を探していました。
すると、あるスーパーマーケットの店舗が開いているという事で、
その店舗を移転先にせよ、と社長命令が出たのです。

私達スタッフは、その店舗を見て、あまりの広さに実情と合わないと
感じていました。

しかし、話は社長がどんどん進めていきました。

そして、私に新しい仕事を社長が打診して来たのです。

それは、パソコンショップ内に併設するパソコン教室の
インストラクター兼責任者になる事だったのです。

私は、自分はインストラクターには向いていないと思い、
固辞したのですが、社長はそれを許してくれませんでした。

話は、どんどん進んでいき、いつの間にやら私がインストラクターの
研修に行かされる事になったのです。

私は嫌々ながら、社長命令なので従っていましたが、
悩んでいるうちに不眠症になっていきました。

そうこうする内に、移転オープンの日程が決められたのです。

私は、何故か、仕事に興味を持てなくなりました。
そして、体が妙に疲れて、疲れが抜けないのです。

その内に、私は、オープン初日にめまいを起こしたのです。
立っていられない程でした。

私はそのまま総合病院へ診察に行きました。
体の隅々まで検査を受けました。
しかし、どこも悪くないと言われて、最後に、ストレスかもしれないと
心療内科に回されたのです。

そこで、うつ病である事が判明しました。

心労と過労から来る不眠症で、うつ病を発症したのです。

私は目の前が真っ暗になりました。

仕事なんかしている場合ではないという事で、そのショップを
泣く泣く辞める事になったのです。

暫く休養が必要と判断されました。

結局2年程仕事をしない日々が続きました。

そして、また、システムエンジニアの仕事に就く事に
なっていったのです。

その11へ続きます。

システムエンジニア[その9]

2013-12-19 05:47:18 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その9]」です。

高松店の実情を内密に調べる為に、店員として働く事になった私は、
販売員の一員としてパソコン販売とレジ担当になりました。

レジ作業と、パソコン販売の仕事をしながら、この店の問題点を
探して、暫く様子を観察しました。

私のこの店の第一印象は、以前の店とは全然違う店になっていたという
感覚を味わいました。

暫く観察していると、この店の問題点が少しずつ解ってきました。

まずは、店員がやる気が無い事でした。

私はその理由を探る為に、バイトの子達と色々話しました。

すると、どうやら、社員の1人が店長でもないのに実質、
裏の店長と化していたのです。

私は、その人の様子を仕事をしながら観察する事にしました。

店内にも社長に内緒で勝手に自動販売機を置いたり、
自分専用の電話回線を店に引いていたりしていたのです。
その人は店を私物化していたのです。

そして、なんと、その人はどう見ても裏社会の人たちと
繋がっている事がわかりました。

お客さんとして来ていたその人たちは、普通は入らない
バックヤードへその人と一緒に入って、色々と内緒の話をしていました。

私は、このままでは、この店は潰れると思いました。

この店で1ヶ月を過ごした頃、社長から報告書を作って
送って欲しいと依頼を受けました。

私は、自分が見聞きした事実をありのまま報告しました。

社長は対策として、その人たちと付き合わなくする為に
出張メンテナンスに行くのを辞める様に指示したのです。

それから数日後、明らかにヤクザの様な格好をした人が
大声を出しながら、「うちにサポートに来ないとはどういうことだ」と
店内で騒いだのです。

そして、店長を出せと言ってきました。

その店には店長はいません。変わりに私の家の近くの店の店員さんが
店長代理として高松店に来ていました。

その店長代理の人が、バックヤードにそのヤクザに連れて行かれました。

私は、少し時間を置いてバックヤードへ様子を見に行きました。

すると、明らかに脅しをその店長代理にしていました。

私は、これは警察に電話して、ヤクザに出て行ってもらおうと考え、
通報したのです。

15分後、警察がパトカーで来ました。

暫く警察とヤクザが、大声でやり取りしていました。

暫くすると、ヤクザが「お前ら、覚えとけよ」と捨て台詞を吐いて
店から出て行きました。

それから私は店長代理と相談して、店の鍵を全部交換する事と、
自動販売機の撤去、私用電話回線の撤去を社長に提案しました。

社長は、すべて承認しました。

私達は、それから、暴力対策の警察OBの方と相談して、
この店は警察官立寄所である事のステッカーを入り口に
掲示する事にしたのです。

それ以来、ヤクザは来なくなりました。

しかし、店内で騒いだ為に、暫く客足が戻らなくなったのです。

私達は、まずは店の雰囲気を変えようと、色々案を考えました。
商品の陳列を一新する事にしたのです。

そして、広告を入れて、リニューアルオープンセールを行いました。

客足が少しずつ戻っていったのです。

それから暫くは、とにかく売上を上げる為に私達は販売に
専念する事にしました。

少し、売上が戻って来た頃、社長が人事異動を指示してきました。

私を、家の近くの店舗に移動する事にしたのです。

私は中途半端にこの店を後にする事に少し違和感を覚えました。

その10へ続きます。

システムエンジニア[その8]

2013-12-18 07:34:44 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その8]」です。

以前にパソコンショップを辞める時に、社長さんから、
「困った事があったらいつでもいらっしゃい」と言われました。

その為、システムエンジニアを辞めた時に、パソコンショップで
働きたいと考え、以前勤めていたお店で、店員募集をしていたので
応募する事にしました。

そのショップには仲良くなった友達がいました。

その友達にも相談したのですが、社長のOKが出るなら、
来てもらう事には賛成する、と言ってくれていたのでした。

パソコンショップの店員さんも入れ替えがあり、
知らない人もいました。

でも、その人たちと仲良くなるのに日にちはそんなにかからなかったです。

みんな同じパソコンが好きという共通の趣味があったので、
仲良くなるのに苦労はしませんでした。

私はそのパソコンショップに入る為に本部面接を受ける事に
なりました。

そのショップは、本部が徳島にあり、社長もそこで店員の1人として
働いていました。

社長は私の年齢が当時32歳だったので、30歳を超えてのショップ店員は
かなり難しいと言っていました。

私は、「これは落とされるな」と覚悟を決めました。

でも、社長は「本部で最初から研修を受け直してもらうよ」と言って、
私を採用してくれたのでした。

私は、その時、大変嬉しかったのを覚えています。

採用が決まってから、研修の為に1ヶ月、徳島で住む事になりました。
済む場所も費用も会社が負担してくれました。

研修は、店内清掃から始めました。

何故、店内清掃が一番になるのかというと、店員として商品を覚える事が
必要だったからなのです。

ただ漠然と掃除をするのではなく、掃除しながら商品をひとつづつ
覚える事が目的だったからなのです。

私は、以前に4ヶ月ほど店員として勤めていたので、商品を覚えるのに
苦労はしませんでした。

むしろ、楽しいくらいでした。

そして、研修終了の1ヶ月が来た頃、社長は私に、高松の店の様子を
見て来て欲しい、と言ってきました。

私は、希望する家の近くの店舗から、車で40分ほどかかる高松の店に
移動になったのです。

当時、高松店では、売上が落ちていました。
その原因を調べて報告する様に社長が私に内密の指令を与えたのでした。

私は、とりあえず香川に戻れると思い、その役目をやる事になったのです。

その9へ続きます。

システムエンジニア[その7]

2013-12-17 05:57:31 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その7]」です。

パソコンショップを辞めた私は、次の仕事を探しました。

私は、システムエンジニアの仕事がしたいと考えて、
県内の仕事を探したのですが、中々ありませんでした。

そこで、瀬戸大橋を渡った岡山で仕事を探しました。

たまたま、システムエンジニアの募集があったので、
面接を受ける事にしました。

結果は採用でした。

そこでは、Delphiというプログラミング言語でアプリを作っていました。

私は、それを覚える為に、本を10冊ほど購入(自腹です)し、
仕事をやりながらDelphiの使い方を覚えていきました。

仕事自体は事業所の社内システムの作成とサポートでした。

今考えると、かなり集中してよくあの短期間でシステムが
出来たものだと思いました。

ただ、無理がたたって、私は体調を崩してしまったのです。
通勤に電車で橋を渡って、香川から岡山へ通っていたのですが、
その通勤が苦痛でした。

私はその会社を4ヶ月でまた辞める事となったのです。

その後、香川で、システムエンジニアを募集していた会社が
運良く見つかり、そこに転職する事にしました。

そこでは、MS-Accessを使ってクライアントのシステムを作って
サポートするという会社でした。

ただ、出来たばかりの会社で、私は社長と面接で色々話したら、
社長が私を気に入ってくれて、採用となったのです。

会社では、社長が営業を担当し、仕事を取ってくる事をして、
私がその会社の技術担当となりました。

私は、前職の経験から、その会社のシステム開発にDelphiを使う事を
社長に提案しました。

Delphiの良い所は、まず、開発自体がかなり早く出来る事、
アプリのメンテナンスが容易である事、一番の要因は私が今まで
開発したどの言語より、一番使いやすい言語だった事があげられます。

開発生産性が一番高いと判断したのです。

社長は自分自身がMS-Accessは解っているので、少し難色を示しましたが、
私が開発担当として専念する事を条件に、なんとかOKを貰いました。

そこから、社長と私の2人だけでやっていた仕事が増えていき、
あと2人雇う事になったのです。

面接に私も同席し、採用の合否を社長と相談する事になりました。

結果として私はその会社で社外システムエンジニアとして3年ほど
働く事になったのです。

私は当時、最大で1人で10件程度のクライアントの開発とサポートに
携わっていました。

ただ、社長がどうやら、営業と称して、夜の営業を頻繁に行っていました。

いわゆる飲み会で、お客さんを取ってくるという事をしていたのです。

最初は私も小さい会社だからそれもありかな、と思っていましたが、
だんだんと社長と私の会社に対する考え方の違いが少しずつ出て来たのです。

意見が対立する事も多くなりました。
私はやる気がだんだんと無くなっていきました。
その為、仕事のペースが落ちて来てしまったのです。

ちょうどその頃、以前にも書きましたが、社長が大きな仕事を取る為に
私に「地獄の特訓」を受ける様に勧めて来たのです。

その訓練を私は受けました。

ただ、その訓練を受けてから、ますます、社長と意見が
対立する事となっていったのです。

私は会社を「仕事が出来なくなった」と嘘をついて辞める事にしたのです。

社長の営業のやり方に、どうしても賛成する事が出来なくなっていたのでした。

そのとたんに、社長は、私の給料を半分に減らしました。
私はこれはパワハラだと思いましたが、辞める為には我慢する事にしました。

辞めた後どうするか、考えていました。
その時、今までで一番楽しかった仕事は何かを思い出していました。
それは、パソコンショップで販売員をしていた時が一番楽しかったのです。

たまたま、以前勤めていたパソコンショップで店員を募集している事を知り
そこに転職する事を社長に伝えて、会社を辞める事が出来たのでした。

どうやら、私は人間関係で辞める事が多いと自覚する様になったのです。

その8へ続きます。

システムエンジニア[その6]

2013-12-16 07:19:58 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その6]」です。

ジーンズショップの社内システムエンジニアだった私が
パソコンショップの店員へと転職しました。

ちょうどその頃Windows95が発売されていた事をきっかけに
パソコン販売自体が勢いのある時代でした。

28歳という年齢でしたが、まずはアルバイトとして、
ショップのオープニングスタッフとして働く事になりました。

前職の社内システムエンジニアでは、仕事のほとんどを事務所で
行っていました。

ショップでは、まずは店内の商品の陳列から始めました。

私が現場のショップに勤めだしたのがちょうどオープンの
一週間前でした。

始めは商品の陳列と店内清掃を主な仕事にしていました。
それと同時に接客のトレーニングを受けました。

私の最初の主な仕事は、レジ担当でした。

その店舗では単体POSレジでしたので、レジの操作は私に取っては
簡単なものでした。

それよりも、お客様の対応がうまく出来るか心配でした。

オープンから一週間は、オープニングセールで、お客様が大変多く、
とにかく一人一人捌くのが大変でした。

オープニングセールが終わってからも、この地域に初めてのパソコンショップ
だったので、来店者はかなり多かったのを記憶しています。

そのうち、商品の在庫管理を任される様になりました。
始めはケーブル関連商品だったと思います。

ケーブルは以外と大量に売れていました。
商品の発注と、補充のタイミングが少し難しかったです。

あとは、商品の種類が以外と多く、当時のパソコンはNECのPC98シリーズと
DOS/Vパソコン、Macの3種類あって、Macのケーブルにいたっては、
種類が何種類もありました。

当時一番売れていたのが、PC98シリーズのWindows95パソコンでした。

実は店舗自体NECの補助を受けて建てられていたのです。

そのパソコンショップではWindows95のセットアップをして、
アプリのインストールも費用を取って行っていました。

店でメンテナンスと呼ばれる仕事に私はつくようになったのです。

もちろん、レジ担当と、ケーブル担当も兼任です。

出張サポートも店ではやっていました。

お客様の所で、納品してからセットアップとアプリのインストールまで
やっていたのです。

もちろん有料です。

その店の売りは、セットアップは当店でお買い上げの方は無料と言う事で、
メンテナンスも診断は、これも当店でお買い上げの方は無料でやっていました。

そのうち、私の仕事に販売員としての接客対応の仕事が追加されていきました。

私は、前職の知識を活かして、パソコンとお客様のやりたい事を把握して、
それに合ったアプリを販売するというもので、当時の店での
顧客サービス担当として、販売員をしていました。

私は、お客様の問題解決を第一に考えて行動する様になったのです。

その為に店長と意見が対立する事となっていったのです。

店長はとにかく社長に怒られない様にということばかり考えている様な人でした。
私達の本来の仕事はお客様の気持ちを第一に考えなければなりません。
店の都合なんて、要望に応じて変えていけば良いのです。

店長の口癖は「僕が社長に怒られるからこれをして」っていうもので、
私は、この人は店長としての自覚が足りないと思う様になりました。

そのうちに、社長から、店長にならないかとの打診がありました。

私は、働き始めて4ヶ月で店長になることは、経験があまりにも足りないので
難しいと考え、断る事になったのです。

それで、私と店長の関係が上手く行かなくなり、私はパソコンショップを
辞める決断をしたのです。

後で書きますが、そのパソコンショップに再就職する事になるのですが、
それはおいおい書いていきます。

その7へ続きます。