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YMOの秋

2014-10-12 06:37:48 | diary
えー、お題の「YMOの秋」です。

秋祭りが終わって、私はさとしくんのお兄さんから、YMOのアルバムを録音したテープを、
はじめて聴かされて、カルチャーショックを受けたのが、やはり秋でした。

それ以来私はYMOにハマることになるのです。

私とさとしくんで、即席のセッションをしたりもしました。
私の家に、建て替えでいらなくなった学校の備品の壊れたオルガンがあって、
さとしくんはボウルに紙を貼って輪ゴムで止めただけのドラムを作り、
さとしくんがドラム役をやり、私がキーボード役をやって、
YMOの曲をコピーするという遊びをやっていました。

もちろん小学生の遊びですから、2人とも演奏は下手です。
さとしくんはドラムに夢中になると、ついつい力が入って、紙を破りました。

そして私は、音が出ないキーを弾くとその音を口まねして、2人して大笑いしたのでした。

それ以来中学を卒業するまで、2人してYMOの即席コピーバンドを自己流でやっていたのです。

自己流ですから、弾き方なんて、もうめちゃくちゃです。

誰に習うとも無く弾いていたので、耳コピで同じ音を押して行くというだけの、キーボード奏者でした。
なので、演奏法もなにもあったもんじゃないのです。

当然、全然上手くなりませんでした。

それでも私はシンセサイザーが欲しいと強く思う様になり、雑誌に載っているシンセサイザーの写真を切り取って、
チラシの裏に貼付けては、自分だけのスクラップブックを作っていたのでした。

そして中学生になる頃には、自分の進路について色々と考える様になりました。

私はこの貧乏な家から早く独立したいと強く思う様になり、将来は手に職を付けたいと考える様になりました。

そこで、昔からの夢である、ロボットを作りたいと思う様になり、電子工学を学びたいと思う様になったのです。

当時、県内で電子工学を教えていたのは、県立の高等専門学校でした。
そこは私にとっては、とてつもなく難しい学校だったのです。

でも小学校の頃にはそこに行きたいと父に言ってました。
父は好きな様にしたらええ、と言ってくれました。

中学になると私は、電子工作の通信学習を始める事になりました。
そこでは、インターホンを作るキットと工具、教本をセットにして販売されていたものを、
父に言って買ってもらう事になりました。

その頃から私は家電製品を分解しては組み立てるという趣味を持つ様になったのです。
半田ごてをはじめて握ったのも中学1年生の頃でした。

続きます。

ではでは。

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