ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

君のこころはどう?[その14]

2013-01-31 07:52:12 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その14]」です。

自殺について考えること

人は、精神的に追い詰められると、自分の存在について、その意味や、意義について、
無意味で、どうでもいいものとして、考えてしまう

自分が、この世に存在していていいのかどうか、疑問に思ったり、
何の為に自分は生まれてきたのだろうかと考えてしまう

何をどうすれば、先が見えるのかもわからなくなる
自己完結してしまって、先が見えないのである

そこで、一番楽な方法を、選んでしまうのである
とにかく、この現状の苦しみから逃れるためだけに
手っ取り早い方法として、死を選ぶのである

死んだ人を悪く言うのは大変、心苦しいけれど・・・
だからこそ、もしかしたら、これから先、いいことがあるかもしれない「未来の自分自身」を殺してしまう
自殺という方法は、ものすごく罪が重いと思う

「今の自分自身のことだけを考え、後に残されるものの事や、未来の自分自身のことを考えない」
自殺は、人間として、やってはいけないことだと私は思う

後に残されたものの気持ちとしては「なぜ?」という大きな疑問符と、
鍵の無い、重い「枷(かせ)」を心の奥底にかけられてしまった苦しさしか残らないから・・・

以上が2001年夏時点での書き込みです。

私が中学2年の頃、真剣に自殺を考えていました。

いじめや、親からの虐待、周りの大人たちに絶望して、死ぬしか無いと考えて、
どうやったら、楽に迷惑をかけないで死ねるか毎日考えていました。

そんな時に「火の鳥」を読んで、「なんで俺は死ななきゃいけないんだろう」と
考える様になって、自殺を思いとどまりました。

これを読んでいる方で、自殺を考えてる人は、今一度、冷静になって「未来の自分自身」を
殺す事について思いを馳せてみて下さい。

その15に続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その13]

2013-01-30 08:26:38 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その13]」です。

いろんなことを乗り越えたきっかけについて

私の命を救ったきっかけは、皮肉なことに、父のおかげだった

父は、酒を飲むと、恐ろしい人だったが、飲まない時は、おとなしく、
父は、父なりに子供に対して、何かを伝えようとしていたように思われた
(これも、いろんな事を経験した今だから分かったことだが)

父は、手塚治虫の漫画が好きだった

私は父の買ってきた「火の鳥」という漫画を読んで、今までの考え方(死のうとしていたこと)を
変えることになった

「火の鳥」の中で、若者が崖を登って、外の世界に出ようとしているシーンでのことだった
その若者が、力尽きて、諦めて、今にも崖から落ちて死んでしまうというところで、
火の鳥が「生きるのよ!」と若者を励ますところで、まるで火の鳥が私に訴えかけているような
錯覚を覚えた

ちょうど、何もかも嫌になっていた時だったから・・・

その漫画を読んだ日の夜、布団の中で、「人間は、必ず死ぬ。たかだか数十年の寿命しかない。
ほっといても、死んでしまうのなら、自分が何の為に生まれてきたのか分かるまで生きよう。」と
考えるようになった

また、「自分が死ぬ時は、自分の人生は面白かった、と思いながら逝きたい」と思うようにもなった

それ以来、自分から、「死のう」と思うことはやめた

人間って、強いようで弱いけれど、弱いようで強いと考えるようになった

以上が2001年夏時点での書き込みです。

私にとって、「火の鳥」は生きる為のバイブルになっています。
単行本で持っていたのですが、生活保護を受け始めた時に食費の為に
売ってしまいました。

これから、お金が稼げる様になったら、少しずつ揃えたいと思います。

その14へ続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その12]

2013-01-29 07:13:41 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その12]」です。

児童虐待について

これについても、親が、子供の人権を侵害しているということに尽きると思う
子供に対する、しつけ、教育という名のもとに、守るべき子供に対して、いじめをしている
ということになる

私が子供のころに、父親に暴力での虐待を受けていた事(今だから、それが虐待だったと分かった)
祖母から、精神的な虐待を受けていた事、後から分かったことなのだが、私がものごころつく前に
母親からも虐待を受けていた事から、何となく、自分はなぜ、生きているのだろう、
生まれてこなければよかった、と考え、中学生の頃は死ぬことも考えていた

本当に人は追い詰められると、死ぬことも解決方法のひとつとして考えてしまうんだなと
今なら、冷静に判断できるが、当時は、本当に「いっぱいいっぱい」だった

私の左手には、やけどの跡がある
ものごごろついた頃には、左手に黒い丸い跡があり、親に尋ねた所、
「お前が小さい頃、アイロンの先に当たって、やけどしたんや」と聞かされていた

ちょうどその頃、父親が、いつものように酒を飲んで、大声で怒鳴ったり、暴れたりした後、
私の左手を掴み、
「お前の、この手のやけどの跡はなぁ、こうやってお前のおかんにタバコをつけられたんや」
といって、火のついたタバコを私の左手のやけどの跡に押し付けようとしたのである

私は、泣き叫びながら、ただ「いやや!、やめて!、やめて!!」といって逃げるしか
なかった

正直、父がすごく怖かったのは言うまでも無いが、それ以上に、父のセリフで、
「母親に対する淡い思い」が崩れていくのを感じた

もう、誰も信じられない、そう思った

この頃は、とにかくもう、どん底だった

以上が2001年夏時点での書き込みです。

児童虐待を無くすには、周りの大人がフォローする事しか方法は無いと思います。

もし、児童虐待が疑われる状況ならば、迷わずに児童相談所へ連絡をして下さい。

それで、救われる命があるかもしれないのです。

その13へ続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その11]

2013-01-28 07:32:08 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その11]」です。

いじめについて

いじめとは、自分にとって異質なものを排除しようとする、差別的な考えから発生する
人間関係のひとつであり、基本的人権を侵害する行為であると私は考える

いじめは人間がいる限り、なくならない、でも減らすことは努力でできるのではないかと私は思う

いじめを少なくする為には、まず大人がいじめは人権侵害であるという認識を持つことと、
いじめがあった場合、周りの大人たち(親、先生、地域の人たちも含む)が、いじめられた側、
いじめた側の双方をフォローすることと、なぜ、そうなったか、このようにならない為にどうすれば
よいか、考え、実行していくということを、続けることが必要だと考える

きれいごとだ、と言われても、自分も含めてみんなが考え方を変えなければ
悲劇は繰り返されると考える

以上が2001年夏時点での書き込みです。

いじめに対する考え方は現在も上記の通り、いじめは人間がいる限り、
無くならないと考えています。

なので、出来るだけ、いじめになる前の子供が発するサインを見逃さない事が
大切だと思います。

私の経験から、大抵いじめの原因はいじめる側の親が、自分の子に人をいじめては
いけない、と教えていない事に起因すると考えます。

なので、親の教育が喫緊の課題だと思います。

その12に続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その10]

2013-01-27 06:37:26 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その10]」です。

そのころの周りの大人たちについて

小学校5年生の時、いじめに耐えられなくなって、担任の先生に相談した
先生は、「いじめられる側にも、問題がある、いじめられない為の努力をしなさい」と言われた
この言葉で、「もう、大人は信用できない」と確信した
いじめられないように、要求されるがまま、反論もしないで、ずっと耐えてきたのに
自分が悪い、自分さえ黙って我慢していればと、ただ嵐が通り過ぎるのを絶えるようにするしか
なかった
今なら、「先生、あなたは間違っている、例えるなら差別されている人に、差別される側に、
問題があるという理屈と同じじゃないですか」とはっきり言えるけれど・・・

学校の先生に、いじめの解決を求めても、だめだということがよく分かった

これが2001年夏時点での書き込みです。

いじめを無くす事は出来なくても、減らす事は出来るのではないかと考えています。

周りの大人がしっかりといじめられた方といじめた方の双方といじめた方の親を
フォローする事が重要だと思います。

その11に続きます。

ではでは。


君のこころはどう?[その9]

2013-01-26 09:00:37 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その9]」です。

父について

父については、嫌いと言う感情よりも、「恐ろしい」という感情が強かった
今、その父はいない

今だから、分かること、今だから、許せることも沢山あるが、一番許せないのは、
勝手に、自殺してしまったことだ
なんで、何も言わないで、自分の命を奪ったのか
命の大切さを教えてくれたはずの父だったのに・・・

父は、この島に帰って来てから、酒におぼれるようになった
いわゆる「アルコール中毒」である
酒を飲まないと、おとなしく、普通にしているのだが、酒が入ると、怒鳴ったり、暴力をふるったり、
「酒乱の父」となってしまうのである
酒が切れると、「酒を買うてこい!!」と私たちに命令し、「お前の目つきが気に入らん!」といっては
灰皿で頭を殴られたりもした
また、包丁を私の首につきつけて、「文句をいう口はこの口か!」と言い、もう誰にも
手におえない状況だった
本当に、いつ殺されるか・・「恐ろしい」ということしか浮かばない

周りの大人たちは、何もしなかった

この島から、早く逃げ出して独立したかった

以上が2001年夏の書き込みです。

父は、今で言うアルコール依存症で、何故、その様になったのかは、今なら分かります。

多分、母との離婚で、アルコール無しでは、自分自身を保つ事が出来なかったのでしょう。

本来なら、精神科で、依存症の治療を受けなければならない状態だったのですが、
周りの人たちは、結局何もしてくれませんでした。

その10へ続きます。

ではでは。

アルジェリア人質事件

2013-01-25 18:09:10 | other
えー、お題の「アルジェリア人質事件」についてです。

アルジェリア南東部のイナメナスで起こった人質事件は、日揮や英石油大手のBPなどの
ガス・プラントに関連する企業の幹部が集まる会合が狙われたとの見方が出ている。

現在、アルジェリアの治安当局がガス・プラントの従業員から事情を聴いていることが
伝えられているが、フランスのAFP通信やアルジェリアの地元紙・シュルークなどは、
プラント内にイスラム武装グループへの「内通者」がいた、と伝えている。

英BP社の副社長、日揮の最高顧問が死亡

日本人を含む多くの人質が殺害され、最悪の事態となったイスラム武装グループによる
アルジェリア人質事件は、犯行のようすなどが徐々に明らかになるなかで、
2013年1月21日付の英紙デーリー・テレグラフ(電子版)が、ガス・プラントを運営する
BPのカルロス・エストラーダ副社長らが事件当日に現場を訪問していたと報じた。

エストラーダ副社長はロンドン在住で、アルジェリア企業などとのガス・プラントの
共同事業を担当している。ただ、現場を訪れることは年に1、2回しかなく、
今回は他の幹部とともにガス・プラントを訪問していた。

報道によると、1月16日に副社長が乗っていたバスを武装グループが襲撃。
それが事件の発端になったとされる。その後、副社長の死亡が確認された。

一方、日本のプラント大手、日揮の最高顧問を務める新谷正法さんも事件に
巻き込まれた。1月24日夕時点で安否が確認できていない。

同日付の読売新聞などによると、新谷さんはアルジェリアでの事業に精通しており、
今回のプラント工事を統括する実質的なトップだった。ふだんは日本で勤務していたが、
プラント建設に関わる各国企業の幹部が集まる会合に参加するため、
アルジェリアに行っていた。

ただ、首都のアルジェを訪れることはあってもプラントのあるイナメナスまで
足を運ぶことは少なく、1月16日は工事の進行状況をめぐって発注元のBPの幹部と
プラントの施設内で会合する予定だったとされる。

アルジェリアでの会合や、安否を含む新谷さんに関する情報について、
日揮は「コメントを差し控えたい」(広報・IR部)と話している。

海外メディアなどは、こうした会合のスケジュールが武装グループに漏れていた
可能性があり、その情報を知ったうえでガス・プラントを攻撃したとの見方を強めている。

以上 J-CASTニュースより

このニュースの裏にあるのは、アルジェリアの隣国マリ北部のテロ組織が、
身代金ビジネス目的だったと、青山繁晴氏が解説しています。

いずれにしても、日本もテロに狙われる時代になってしまったのだと思います。

今回の事件で亡くなった方々に謹んでお悔やみ申し上げます。

君のこころはどう?[その8]

2013-01-25 07:06:50 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その8]」です。

家でのこと

父の実家のこの島では、祖父、祖母、父、私たち兄弟4人が
ひとつ屋根で暮らすこととなった

家では、学校であったことなど、話せる雰囲気ではなかった

はっきり言って、私は、家族が嫌いだった

一番嫌いだったのは、祖母だ

何かにつけ、「お前達を引き取ってやっているんだから」と、いうことと
私たちの母親のことをボロカスに言って、「お前等がこうなったのも、
あのオバハンのせいやからな」と「うらむなら、あのオバハンをうらめ」と
いわれつづけ、私は、何も言えなかった
ただ、くやしいのと、情けないのと、いろんな感情が交錯した

また、明らかに私たち兄弟と、祖母の娘たちの子供との間で、差別をするのだった

お小遣いなんかも、ほしいといっても、「食わせてもらってるだけでもありがたいと思え」といい
いとこたちには、(小学校低学年のいとこ)1万円をあげていた

私は「この人には、何も頼りたくない、早く自分で稼げるようになりたい」と思う想いが強くなった

今では、祖母が「すごく心の狭い可愛そうな人なんだ」と思えるようになったのだが・・・

以上が2001年夏の書き込みです。

現在、その祖母も2007年に他界しました。

祖母が亡くなった時は、病院に入院していて、危篤状態の時に親戚がそろいました。
残念ながら、最後を看取る事は出来ませんでした。

祖母が危篤の時に私の顔を見て、少し容態が落ち着いたみたいで、一旦親戚も私も
帰ったのですが、夜中の3時頃、病院の職員の見守る中、息を引き取りました。

本当に最後は寂しい思いをさせたと悔やまれます。

今だから、解る事もあるものだと思いました。

その9へ続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その7]

2013-01-24 06:23:41 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その7]」です。

学校でのいじめのはじまり

きっかけは、その島の小学校の番長みたいなヤツに転校生である、
ということで目をつけられたことだった

「おまえは、転校生やから、毎日オレを迎えにこい!」というとんでもない要求をされ、
「こんかったら、ぶっとばす!!」という脅しに怯えて、屈してしまったところから、
悲劇ははじまる

通学に約2キロの道を歩く途中に番長の家がある
迎えに行きたくも無いのに、「○○君、いーこーう」という、朝のお誘いのあいさつをする
自分が、嫌で嫌で仕方がなかった

通学の道すがら、番長は私が、なぜ転校して来たか、ということをしつこく聞き、
答えないと、お決まりの「ぶっとばす!」のセリフ、プラス胸ぐらをつかんできた
私は、嫌々「おかあちゃんが出て行ったからや」というと、「なんでや!」とさらに
聞いてきた

そのときは、本当にわからなかったので、「しらん」というと、
「男ができて出ていったんとちゃうんか」とか、「おまえのかあちゃんは、
印鑑とか、通帳とか、キャッシュカードとか全部もって逃げたんじゃろが」と言われ、
「しらん、しらん・・・」と泣きながら答えるので精一杯だった

そうこうしているうちに学校に着いて、やっと開放され、自分の教室にもどると、
同級生が色々、聞いてきた
同級生たちも、その番長には手を焼いていたらしく、私が番長と一緒に帰ったり、
嫌々話したりしているのを見て、「それじゃ、かくまってやろう」ということになった
正直、地獄に仏とはこのことで、本当にうれしかった
「ともだちっていいな」と、そのときは思った

その「ともだち」が自分をいじめることになるとは知らずに・・・・
また、そのきっかけを自分が作ってしまったことをずっと悔い悩むことになることも知らずに・・・・

その日・・・

学校の帰り、その「ともだち」たちは、開き戸になっている配膳台に私をかくまってくれた
その時、例の番長が、「○○(私の名前)は、どこへ行った!!」と怒鳴りながら、私を探しまくっていた
「○○!、○○!!」怒号が教室中をこだまする
今にも、私を殺しかねない勢いで(その時は、本当に異常に恐ろしかった)探しまわっていた
「先に逃げやがって!」と番長が怒鳴ったあと、ようやく教室から出て行った

「ああ、やっと帰れる」と思って、配膳台から出た瞬間、「番長が来た!!」という同級生の声

とっさに、1メーター四方の小黒板のかげに隠れる私
しかし、見つかってしまった・・・
引きずり出される私・・・ 生きた心地がしなかった
「誰が、こいつを隠した!!」 ひびきわたる番長の声
「しゃべれ!、しゃべらんとぶっとばす!!」

そのとき思わず、私は「この人と、このひと、このひとです・・・」 震えながら答えてしまった

私が指し示した「ともだち」たちも覚悟を決めたのか、誰もしゃべろうとしなかった


そして、番長が「隠したやつ、ひとりずつぶっとばす!」と怒鳴って、私の目の前で
かくまってくれた「ともだち」たちが、ひとりずつ殴られていった

何も出来ない自分、ただ恐ろしいのと、私を睨んでいる「ともだち」たちを見るにつけ
「なんてことをしてしまったんだろう・・ああ、自分はもう、ここにいられない」とパニックになり、
ただ、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら、その様子を見ているしかなかった

翌日から、私は「裏切り者」として、中学を卒業するまでの6年間(島の学校なので
クラスは変わらない)いじめられることになった

はじめのころは、クラスのみんなに「無視」され、私がなにかしゃべろうとすると
「うらぎりもの!」と言われつづけ、自分が悪いのだから仕方がない、とあきらめていた

そのうち、いわゆる「いじめ行為」がひととおり行われるようになった
授業中に消しゴムのかすをぶつけられたり、上履きを隠されたり、イスや上履きに画鋲を
仕込まれたり、教科書やノートに消えない落書きをされたり・・・・・・
自分が悪いから・・・ということで何も言い返せない、言い返されないから、だんだんいじめが
エスカレートしていった

しかも、目に見えない、陰湿ないじめにスライドしていった
例えば、クラスの誰かが、面白いことをしゃべっていて、みんなが笑っていても、「笑うな」と
言われ、テストでがんばって、いい点をとろうとすると「点をとるな」、先生にあてられて、
答えようとすると「わかりませんと言え」と、感情や行動を制限させられるという
「生きる屍」の状態の6年間だった

いじめられた内容は、もう、ここに書き出せないぐらい、いろいろあった

とにかく私がこの環境から抜け出すには、中学を卒業して、高校に入学する、という
ことしか残されていなかった

ここまでは、学校でのこと・・・・・

その8へ続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その6]

2013-01-23 11:20:45 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その6]」です。

母親の失踪

 小学校4年生の秋、その事件がおこる

 母親が、突然家出をして行方不明になる
 そのころは、なんでいなくなったのか、よくわからなかった
 ただ、「おかあちゃん、帰ってきて!!」と泣きながら、近所や、
 母親の行きそうなところを探して、走り回った記憶がある
 
そのころ、父親は、ある宗教に入信していて、「おかあちゃんが帰ってこんのは、
おまえらの、信心がたりへんからや!」とどなられて、お題目(念仏)を唱えることを
強要させられ、私たちは、泣きながら「なんみょうほうれんげきょう」と唱え続けていた

 結局、1週間ほど、探し回ったが、見つからず、親戚の所に兄弟4人が
預かられることになる
 そして、父親の実家に引っ越すことになった
1976年、瀬戸内海の小さな島に引越し

ここから、いろんなことがはじまる。

その7へ続きます。

君のこころはどう?[その5]

2013-01-22 07:01:27 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その5]」です。

以下は私の生い立ちについて書いています。

生い立ち

1967年、4人兄弟の長男として、(本当は5人兄弟の次男)大阪に生まれる。

1973年、小学校入学
 小学校1,2年生のころは、優秀だった?らしい。
 小学校3年生ごろから、今でいう、登校拒否状態になる。
   なんとなく、学校が面白くなく、「あたまがいたい、おなかがいたい」と
   ズル休みしたり
   出席日数が足りなくなりそうということで、何度も家庭訪問されたりした。
   ほんとに、とんでもない小学生だった・・・

小学校4年生の秋、母親が失踪する
   ここから、いろんな事がはじまった。

 小学校4年生から、中学校3年生の頃まで、いじめを受けていた。
   内容は、とにかくいろんなやり方だった。
   この頃が一番、いろんな事が最低だった。

 高校入学から、卒業まで
   この頃が今までのつらい思いを忘れさせてくれるぐらい、楽しかった。

 社会人になって
   親戚の紹介で就職するが、この親戚が、私の「こころのキズ」を再び、
   広げることになる。

 21歳の頃
   香川に戻ってくる。再就職をして、生活が落ち着いた頃、
   今度は、父親が失踪する。その3年後、父の死亡を確認、自殺だったことが
   判明する。

 現在、何とか、仕事にも就いて、生活をしている。
   最近、自分が「アダルトチルドレン」であることを自覚した。

これが、2001年夏現在の生い立ちです。

次回は、母親の失踪について、書いていきます。

ではでは。

君のこころはどう?[その4]

2013-01-21 08:46:14 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その4]」です。

ホームページを作った当時、前回までのその1からその3までのページと
それ以降のページをそれぞれ、「おもてページ」と「うらページ」に
分けていました。

それは、以下の様な注意書きを書いていたからです。

うらページ

このページは、管理人のCubeが、自らの体験を、カミングアウトするものです。
自分自身が感じたこと、考えていたことを、そのまま文章にしています。
内容を読んで、不快に思われた方、過去の「こころのキズ」を思い出してしまった
方には、大変申し訳ありませんが、ご容赦くださいますようお願いいたします。

以下、それぞれの内容です。

私cubeの生い立ちについて

母親の失踪

学校でのいじめのはじまり

家でのこと

父について

その頃の周りの大人たちについて

いじめについて

児童虐待について

いろんなことを乗り越えるきっかけ

自殺について

父親の自殺について

母親について

恋愛と結婚について

以上の項目についての事実を交えた内容をカミングアウトしています。

次回以降、これらの項目を一つづつ、公開していきます。

ではでは。

君のこころはどう?[その3]

2013-01-20 05:51:53 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その3]」についてです。

私自身の自己紹介をしています。

管理人(Cube)自己紹介

名前 Cube(もちろんハンドルネーム)

  出身 大阪生まれ、香川育ち、名古屋で就職、その後、香川に戻る

  年齢 1967年生まれ、執筆時34歳(おっさんです)、独身

  趣味 パソコン(依存症かもしれない・・・)、
     ドライブ(時々、どこか遠くへ行きたくなる)

  好きなもの 音楽(特にJ-POP、ドリカムとか、ELTとか、宇多田とか、色々)
          料理を食べることと作ること(一通りの家庭料理は作れると思う)


  嫌いなもの 威圧的な人、大声で怒鳴る人、自分の考えを押し付ける人

          命を大切にしない人

          もしかしたら、人間が嫌いなのかもしれない

          母親という単語に関連する言葉

  興味のあること 心理学、政治、起業(ロボットや宇宙開発関連の事業を起こしたい)

これが、2001年夏時点での自己紹介文です。
好きな音楽に、一青窈とSuperflyが増えました。
趣味のドライブは現在、自動車に乗れないので、出来ていません。

現在、45歳で、未だに独身です。
10年前に鬱病を発症し、現在まで、仕事に就いていません。
なので、無収入で、現在生活保護を受けています。
こんな状態では、結婚なんて出来ません。

普通の仕事に就けないので、自分でアプリケーションを開発して販売しようと、
只今勉強中です。

これが、今の私の自己紹介です。

ではでは。





君のこころはどう?[その2]

2013-01-19 07:07:07 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その2]」についてです。

以下はアダルトチルドレンについての説明です。

アダルトチルドレンについて

今まで、その言葉は聞いたことがある、という程度だった
「大人になり切れていない、子供のような大人のこと」ぐらいしか知らなかった
つい、最近私もその言葉の意味と、自分がそうであることを自覚した

アダルトチルドレンとは、元々の語源はアダルト・チャイルド・オブ・アルコーリックスという
大人になったアルコール中毒者の子供(子供たち)ということだった

また、その中でアダルトチルドレンは13の性格的な特徴を持つということだった
まさに、自分が、その13項目にドンぴしゃりと当てはまったのである

その13の特徴とは・・・(以下アダルトチルドレンをACと略します)


1.ACは何が正常かを推測する(「これでいい」との確信が持てない)
2.ACは物事を最初から最後までやり遂げることが困難である
3.ACは本当のことを言った方が楽なときでも嘘をつく
4.ACは情け容赦なく自分に批判を下す
5.ACは楽しむことがなかなかできない
6.ACはまじめすぎる
7.ACは親密な関係を持つことが難しい
8.ACは自分にコントロールできないと思われる変化に過剰に反応する
9.ACは他人からの肯定や受け入れを常に求める
10.ACは他人は自分と違うといつも考えている
11.ACは常に責任をとりすぎるか、責任をとらなすぎるかである
12.ACは過剰に忠実である。無価値なものとわかっていてもこだわり続ける
13.ACは衝動的である。他の行動が可能であると考えずにひとつのことに自らを閉じこめる

ジャネット・ウォイティッツ(ACOAの特徴)より


今まで、何となく感じていたこと、「生きづらさ」、中学生ぐらいの頃から、人(他人)に対する
物の見方が、変わらない「自分に対して、敵か味方か」(極端だねぇ)
自分というものに対して、自信というか、存在していてもいいのかな、と常に疑問に思うこと
死にたいとは思わないが、自分の「居場所」がここでいいのか、不安になる
他人から、否定的なことを何か言われるとへこんでしまう
(今でも、ちょっとした事ですごく落ち込んでしまうときがある)
周りの人たちから、「なんで、そんなことにこだわるのかわからない」とよく言われる
自分には、出来ない、難しいことでも、「出来ない、難しい」と言えない
何でだろう・・と常に思うのだが、「自分は、普通の人と違って変わってるから」と考えてしまう
などなど・・・・

自分が、アダルトチルドレンであることについて、まだどう向き合えばいいのか模索中である

ということで、2001年夏時点での書き込みですが、実は私の父がアルコール中毒者だったのです。
なので、私自身の身の上話として、自分がアダルトチルドレンである事を自覚したのです。

続きます。

ではでは。

君のこころはどう?[その1]

2013-01-18 07:38:24 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その1]」は私が、2001年の夏に作った
ホームページのタイトルです。

今回から、このページに記述した内容をここで公開する事にしました。

何故、今回公開する事にしたかと言うと、自分自身が子供の頃にいじめられていて、
現在、社会問題化している「いじめ」の問題について一石を投じたいと思ったからです。

まずははじめに、~このページについて~と題してホームページについて解説しています。

はじめに ~このページについて~

このページを作ろうと思ったきっかけは

元々、仕事でホームページの作り方を人に教えるという事になり
コンピュータを触って15年以上になるのだが、実はホームページを
作ったことが無いという状態だった

で、これではイカン!と思って、ページを作る為に、他の人が作ったページを
参考にデザインしようと思い、たまたま見たホームページが、「アダルトチルドレン」に
関するものだった、というのがはじまり・・・

そこで、自分が「アダルトチルドレン」であることを知り、今まで、周りの人たちから、
色々言われてきたことや、自分でも、なぜ、自分はこんなことにこだわるのか
分からなかったことが、自分の過去の体験が引き金になっていたんだ、と分かった

また、自分と同じような体験を持つ人たちと、意見交換が出来ればと言う思いと
自分のことを公開することによって、自分の次の世代の人たちに向けて
「いじめ」、「自殺」、「児童虐待」が一つでも無くすことが出来れば、そのきっかけと
なれば、という想いがあることも付け加えておく

まだ、自分がどうすれば、「心が休まる」かは、試行錯誤の段階である

以上「君のこころはどう?」より抜粋

つづきは、次回公開します。
ではでは。