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70億人が幸せになる方法[その34]

2015-10-19 06:25:35 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その34]」です。

不眠症になりながら、仕事を続けてきたのですが、段々と疲労が蓄積して来ました。

そのうち、移転の話が本決まりになり、その準備のための仕事が付加されて、
私は徐々に色んな物事に対して興味がなくなってきました。
今まで一番好きだった、趣味と仕事を兼ねたパソコンについて、
何故だか、興味が湧かなくなってきたのです。

今思うとこの頃から、鬱状態になっていたのだと思います。
そして、移転先の改築工事が始まり、私はパソコン教室の担当になりました。
教室のレイアウトや、備品の準備、パソコン教室の内容の検討、などなど、
通常の店舗での販売員の仕事にプラスされて、仕事がかなりタイトになって、
私は段々と疲れてきてしまったのです。

楽しみながらやってれば疲れも気になりませんが、渋々ながらやっている仕事では、
かなり気疲れをして、私のやる気と体力はどんどん下がっていったのです。

そして、オープン日が近くなり、ますます多忙になりました。
私はネットワークに詳しかった事もあり、その仕事も追加されて、
電話やネットの準備や、実際にケーブルを敷設する作業もしていました。
少しでも経費を抑えるために社員でやれる事はとことん社員でやるのが、
この会社の方針でした。

確かに実際にそういう仕事をやる事によってスキルは上がりますが、
効率としては外部に委託し、分担できる事は分担したほうが、
開店準備に注力する事が出来ると考えていました。

そして、オープン日の3日前に前店舗を閉めて、備品や商品など、店内にあるもの、
全てを従業員だけで梱包し、いわゆる赤帽という運送業社に運送だけ依頼するという、
本当に経費をケチるやり方で、社員に負担がかかる方法で移転作業を行ったのです。

みんな、本当にクタクタでした。それでも文句を言わないのは、パソコンが好きだから、
というそれだけが共通の原動力となっていたからなのでした。

オープン日の朝まで掛かって、なんとか店内のネットワークや電話の敷設準備を、
終える事ができましたが、その足で開店準備をして、みんなフラフラでした。

そして、オープン当日はなんとか運営する事が出来たのですが、
まだ、パソコン教室の準備が終了していない状態で、責任者の私が、
なんと社長に、全員の前で叱責されてしまったのです。

私はとても疲れていたのと、辛かったので、何かのスイッチが切れた感覚になりました。
翌日、オープン2日目を迎えたのですが、開店2時間後に、めまいを起こしてしまい、
バックヤードで倒れこんでしまったのです。1時間ほど休み、昼から早退して、
病院へと向かいました。

それから数日、検査のために私は仕事を休む事になりました。

その店舗がある町で一番大きな総合病院に私は訪れ、精密検査を受ける事に、
なりました。血液検査から内視鏡検査、CT検査など、ありとあらゆる検査を受け、
その結果、体はどこも悪くない、という結果になりました。

そして、もしかすると自律神経の不全の疑いがある、という事で、メンタルヘルス科で、
診察を受ける事になりました。

そこで、出た結果が、過労からくるうつ病、という診断が下されたのです。

私は目の前が真っ暗になりました。自分がうつ病という精神病に羅患した事が、
大変ショックでした。当時の私は精神病に対して、とてもネガティブなイメージしか、
持っていなく、それに自分がなってしまった事が、まるでガンにでもなった様に、
思い込んでしまったのでした。

まさに、人生が終わった、ぐらいのショックを受けてしまったのです。
私は翌日、店に出向き、店長に報告しました。大の大人が泣きながら、
打ち明けたのです。

店長は、これからどうするか、ゆっくり考えたらいいから、まずは治療をうけたら、
とアドバイスしてくれました。

病院からは治療のために暫くは休職して、睡眠剤と抗鬱剤の服用で、
自宅療養するほうがいい、と指導されました。その事も含めて、店長に話しました。
すると、店長は長期に休む事は多分、社長が認めないと言われ、結局私は、
会社を辞める事になったのです。

私がうつ病と診断された日は、家に帰ってテレビを見ていると、
夜のニュースステーションで、ニューヨークに飛行機が墜落したという一報を、
知る事になったのです。なんの因果か、あの9.11のその日だったのでした。
なので、今でもその時の事はよく覚えています。

[その35]に続きます。

ではでは。

70億人が幸せになる方法[その33]

2015-10-13 07:49:01 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その33]」です。

1999年の8月に家の近くの店舗に異動した私は、それから2年以上、
その店でパソコン販売員として働きました。

メインの仕事はパソコンについて知りたいお客様に、パソコンに関して説明をしたり、
店舗でパソコン教室をやっていたので、その案内をしたり、周辺機器の販売や、
パッケージソフトウェアの販売、パソコン用品の販売、などをメインの仕事に、
修理受付や、取り寄せ商品の手配、メンテナンスと呼ばれるパソコンの困りごとを、
解決する仕事をしていました。

特に店舗でのパソコン販売以外に、メンテナンスとパソコン教室が、
売上の3本柱となっていました。

メンテナンスは基本的にお客様が店にパソコンや周辺機器を持ち込んで、
トラブルシューティングをしていました。

それとは別に、出張メンテナンスというお客様のお宅へ訪問して、
パソコンのトラブルに対応していました。もちろん基本的に全て有料です。
ただし、当店でお買い上げのパソコン本体や周辺機器を持ち込みで、
トラブルシューティングする時は、基本料を値引きしていました。

このメンテナンス作業とパソコン、周辺機器、パッケージソフトウェアの販売が、
私の主な仕事となっていました。

また、社内業務として、レジ業務や、電話での問い合わせ対応なども行っていました。
この、電話での問い合わせ対応が、結構評判で、かなり詳しく電話で無償で、
(電話料金はお客様負担)やっていました。

これは、見込み客を増やすために大変有効なサービスのひとつとなっていました。
私は日中はほぼレジに立っていて、お客様とのやりとりや電話でのやりとりが、
楽しくて仕方ありませんでした。自分がお客様の役に立っているという、
やりがいがとてもあったのでした。仕事は毎日楽しかったです。

今まで働いていて一番楽しかったのはパソコンショップで店員をしていた時でした。
将来、私が会社を作ったら、是非、パソコンショップを作りたいと思っています。

私が再就職して、2年が経った頃、お客様が結構多くなってきて、
店が手狭になってきました。おかげさまで売上、来店客数ともに伸びていったのです。

その頃から店舗の拡大を社内で検討する事になりました。
そこで、基本的にこのショップは徳島に本部があり、全ての決定事項は、
社長が決定していました。いわゆるワンマン経営というやつです。
この時点では、これが一番、店の繁栄に合っていました。

そこで、店舗の拡大について社長と店長が相談して、店の規模を拡大する計画が、
本格的に始動したのです。

まずは、物件探しを取引先の不動産屋にお願いして、何ヶ所か候補を探していました。
私たち店員は、その時点での店舗の2倍から3倍程度の広さの物件を考えていました。

しかし、社長はどうせやるなら、大型店舗化したほうがいいと、今の店の6倍ほどの、
規模の店舗を、安く借りられるからという理由で決めてしまったのです。

その場所は、以前地元のスーパーマーケットがテナントとして入っていた、
当時としてはかなり広い店舗でした。ただ、場所が私が考えていた場所より、
わかりにくい場所で、その時の店舗から隣の町に変わるという、
マーケティングの立場からは、内心賛成できないと考えていました。

しかし、そこはワンマン社長の鶴の一声で、その場所に決まってしまったのです。
その移転計画に伴って、なんと私がパソコン教室の責任者に抜擢されたのです。

私は内心、今まで通りメインはパソコン販売員として仕事を続けたかったのですが、
社長から、パソコン教室の責任者として、トレーナーの資格を取るように命じられ、
その前提条件として、当時のMOUS検定の上級を取るように言われました。

合格したら費用は会社が負担してくれますが、不合格なら自己負担です。
私は、正直悩みました。何故ならば、私に人を教えることは向いていないと、
考えていたからです。

実は、私は本来、人前では緊張するタイプで、販売員など向いていないと、
思っていたのですが、実際に販売員をやっていくにつれ、その楽しさから、
接客もそこそこ出来るようになってきたのです。人に慣れてきたみたいでした。

しかし、人にものを教える、先生と呼ばれる立場は、間違いが許されない、
かなりプレッシャーのかかる仕事で、トレーナーには向いていないと思いました。

パソコン教室の責任者になることに、体が拒否反応を示したのです。
私はずっと悩んでしました。そして、トレーナーになりたくないと店長に相談しました。
そうしているうちに、どんどんと移転の計画が進んできて、私にストレスがかかって、

憂鬱な精神状態になっていったのでした。
その頃から、夜眠れなくなってきたのです。不眠症になったようでした。

[その34]に続きます。

ではでは。

70億人が幸せになる方法[その32]

2015-10-06 08:49:34 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その32]」です。

その店舗に乗り込んできた暴力団員のお客様は、店に入るなり、
「店長を出せ!」とクレームの一言目を、店内に響くくらい大声で、言いました。
私を含む店員はもちろん、他のお客様も数名いらっしゃったのですが、
その場が一瞬、水を打ったように静まり返りました。

対応には店長代理があたりました。まずは相手の言い分を聞くという、
最初の対応です。

店長代理は「いかがいたしましたか?」とそのお客様に聞くと、お客様はさらに大声で、
「お前のところの対応はどうなってるんだ!」と怒鳴りました。

店長代理のSさんは、「どのようなことでしょうか?」と質問しました。
するとお客様は、「なんで出張メンテナンスを断った!」とさらに大声で怒鳴りました。
Sさんは、「本部からの指示で反社会的な方のお客様にはお断りをしております。」と、
あらかじめ決めておいた対応通りに答えました。

すると、お客様は「お前では話にならん!店長を出せ!」とまた、怒鳴りました。
Sさんは「私が店長代理でございます。お話をお伺いしますのでこちらへお越し下さい」と、
バックヤードへとそのお客様を案内しました。

それから暫くは、バックヤードでのSさんとお客様の長い遣り取りが始まりました。

30分経っても、出てこなかったので、私は様子を見に、バックヤードへ行きました。
すると、相変わらず、「お前では話にならん!社長を出せ!」と怒鳴り、
Sさんは「店の運営は全て本部の指導の元、行っております」と言って、
さらに脅してくるのでした。

私は、以前から打ち合わせていた通り、30分経っても、埒が開かないと、
警察に、営業妨害として、通報することになっていました。

そこで、私はアルバイトのレジスタッフに、110番するように言いましたが、
結局、誰も電話をしないので、私が110番して、警察に来てもらうように言いました。
それから15分ほどしてパトカーが来て、数人の警察官が店のバックヤードへと、
入って行きました。

5分ほど、すったもんだの遣り取りがあり、結局そのお客様は、
警察へと連行されたのです。お客様は、出店の際、私に向かって、
「お前の名前は覚えた、この街で見かけたらどうなるか覚えとけ!」と捨て台詞を言い、
パトカーに乗り込んだのです。

連行の決め手は、バックヤードで暴力団の名刺を出して、Sさんを脅したことでした。
当時、暴対法が出来た後の事で、暴力団とわかる証拠を提示して脅す事は、
暴対法の取り締まりの対象になったからでした。

Sさんは、全ての遣り取りをボイスレコーダーで録音しており、警察と、社長に、
その音声ファイルを提出したのでした。

それ以来、暴力団員はその店に来なくなりました。

その後、私は店長代理補佐として、とにかく店の雰囲気を変えて、
お客様が入りやすい店づくりをして、売上の向上に全力をあげたのです。
私は頑張って売上を上げるために、お客様の対応をしました。

すると、ある日、一人のお客様から、あなたからパソコンを3台買いたい、
と言われて、本当に3台もお買い上げ頂いたのです。
私は販売員をしていて良かったと思いました。

数週間が経った頃、社長から、「君はその店から離れたほうがいい」と言われ、
家の近所の店舗に異動になりました。

時は1999年7の月を超えていました。ノストラダムスの予言は外れたのです。

[その33]に続きます。

ではでは。