ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

今日で自宅待機は終わります。

2020-04-27 09:08:00 | diary
えー、皆様、ご心配をおかけしました。

私の場合、結局コロナでは無く、風邪の一種の咽頭炎という事になりました。

明日から仕事に復帰します。

この自宅待機期間で、痛感したのは、やはり家族がいない事の不安が、

自分でも思った以上にあった、と言う事です。

私にはきょうだいがいますが、4人きょうだいの1番上だった私は、

小4の頃に両親が離婚し、生まれた大阪から、きょうだい揃って、

夜逃げ同然に父の実家の香川県の島に、強制移住させられました。

正確には母が、丁度運動会の時に昼食を学校に持って来なかった事から、

失踪が発覚し、私たちはそれから、色々な苦労を受ける事になったのでした。

母は、私たちを捨てて、父の元から逃げたのです。

父が暴力を振るった訳でも無く、原因は母の不貞でした。

この話は長くなりますので、次へ続きます。

ではでは。

血痰が出ました。

2020-04-20 05:36:04 | diary
えー、お題の「血痰が出ました。」です。

4/18(土)の夜9時にいつも通り、病院で処方された睡眠薬を飲んで、

いつも通り寝たのですが、夜中の1時(土)ごろ咳が出て目覚めました。

その時にたんがからんだので、流しに出したのですが、

そのたんには血が混じってました。

たんには、点々と赤い血が混じって、結構な量でました。人生初です。

生まれてこの方、いわゆる吐血という現象は始めてで、少し驚きました。

念の為、体温を計測すると、平熱より逆に低く、35.6℃でした。

いまいち、よく分かりません。

私は一体何に罹患したのでしょうか?

ただの風邪?、肺炎?、もしかしてコロナ?

とりあえず、保健所に電話して指示を仰ぎます。

ではでは。

風邪が中々治らない。

2020-04-18 09:01:39 | diary
えー、お題の「風邪が中々治らない。」です。

先々週の2020/04\11(土)から、風邪の症状が出て、

念の為に近所の病院の内科で診察して頂きました。

時期的にコロナの可能性があるので、

仕事を2週間休んで自宅待機をしております。

2020/04\14(火)に、別の薬を処方してもらい、

様子を見る事になりました。

今持ってる薬が、4/21に、無くなるので、4/21に内科に通院予定です。

これを書いてる時点での症状は、のどイガイガ、せき、たん、

舌の先ピリピリ、鼻水少し、くしゃみ、です。

実は私は現在、うつ病で、精神障害者3級で手帳を持ってます。

昨年の9月に、取得をしました。

昨年までは、精神科の主治医からは、仕事をする事の禁止を、

指示されていて、生活保護で暮らしています。

今年の1月から、個人的に職探しを始め、その旨を、

主治医に伝えた所、負荷のかからない仕事なら可能との、

お話を頂き、2月から職業安定所に、定期的に通う事になり、

3月から、実際に就職活動を始めました。

出来れば障害者枠での勤務を希望していたので、

その旨を職員さんに伝えた所、

会計年度任用職員という制度を知りました。

そこで、3か所の事業所に応募して、面接までは行ったのですが、

1ヶ所だけ、合格を貰いましたが、欠員が出るまで、

待機となり、実質何も出来ない事になり、

それでは困るため、たまたま私の住む町で、

別の会計年度任用職員を障害者枠で募集してたので、

それに応募したら、結果が封筒に1枚だけの紙が入っていて、

その職場は女性が多く、面接では、女性が応募者できていた事から、

多分落ちたと思い込んでいて、不採用のお知らせかと思って、

開けてみたら、なんと、合格通知が来ました。

そして、この4/1より、町役場の保健センターで勤務し始め、

10日で、このコロナ疑い騒ぎで、自宅待機を命じられ、

今に至っています。

現時点での症状は、のどがイガイガ、せき、たん、舌の先ピリピリ、

鼻水少し、くしゃみ、があり、今までの風邪と違って、

舌の先がピリピリする症状が少し気になっています。

これから色々調べてみます。

ただの風邪か、最低、治療法のある病気だといいのになぁ。

ではでは。

咳がひどくなりました。

2020-04-16 12:23:55 | diary
えー、お題の「咳がひどくなりました。」です。

コロナ疑いで、自宅待機中ですが、実は、咳が続いており、

今日の昼ごろから、咳の回数が多く、連続した咳が続いています。

数日様子を見て、咳が落ち着かなければ、病院を受診したいと思います。

依然として、喉のイガイガ、咳のひどさ、鼻のムズムズ感、たん、舌の先ピリピリが、

続いております。

市販の「のどにスッキリ」を舐めて、騙し騙しやっております。

飴を舐めてる間は咳は踏みとどまっておりますが、

食事をした時、スープでむせました。

さてさて、どうなる事やら。

ではでは。

コロナ疑いで自主的隔離中。

2020-04-15 02:28:24 | diary
えー、お題の「コロナ疑いで自主的隔離中。」ですが、実はこの4月1日から、

地元の町役場の保健センターに勤務しています。

しかし、就職が決まって、1週間、何とこの私がコロナ騒動に巻き込まれました。

具体的には、喉の違和感から始まり、念の為、職場で体温を計測始めたのが、きっかけで、

4月3日から、その時は37.0℃だったのですが、勤務で20人ほどの町民の方との接触があり、

その日から喉の違和感を感じ、風邪かもと思っておりました。

4月10日に、再び勤務で20組ほどの町民の方との接触があり、再度37.0℃を記録しました。

そこで町内の病院を受診したら、発熱外来に回され、

咽頭炎の診断となり、時期的にコロナの可能性に言及されました。

その時点ではコロナかも知れないし、ただの風邪かも知れない、との事で、

4月11日に、自宅でも体温を計測、記録を開始しました。

以下は私の体温記録メモからの抜粋です。

2020/4/11(土)15:23 36.7℃。

2020/4/12(日)2:10 36.8℃。

2020/4/12(日)6:29 36.2℃。

2020/4/12(日)7:26 36.5℃ のどのイガイガ有り。

2020/4/12(日)12:24 37.1℃ のどのイガイガ、せき有り。

2020/4/12(日)13:52 36.5℃ のどのイガイガ、せき有り。

2020/4/12(日)16:19 37.5℃ のどのイガイガ、せき有り。とんぷくのむ。

2020/4/12(日)18:10 36.9℃ のどのイガイガ、せき、くしゃみ有り。

2020/4/13(月)6:24 36.6℃ のどのイガイガ、せき、鼻のムズムズ、くしゃみ、たん、せき多い。

2020/4/13(月)12:15 36.8℃ のどのイガイガ、せき、たん、頭少し痛い、鼻のムズムズ、体だるい。

2020/4/13(月)14:30 36.4℃ のどのイガイガ、せき、たん、頭少し痛い。

2020/4/13(月)16:22 36.7℃ のどがヒリヒリ、せき、だるさ、頭いたい、たん。

2020/4/13(月)18:40 36.6℃ のどがヒリヒリ、せき、たん、頭いたい。

2020/4/13(月)21:33 36.0℃ のどがイガイガ。

2020/4/14(火)5:00 35.8℃ たんがたくさんでる。のどイガイガ、舌がピリピリ、舌の先半分くらい、鼻水。

2020/4/14(火)7:11 36.6℃ たんが多い、のどがイガイガ、舌がピリピリ、コーヒーの味がしない、くしゃみ、せき、鼻水。

2020/4/14(火)13:03 37.0℃ のどがイガイガ、せき、舌の先がピリピリ、たんが多い。

2020/4/14(火)16:43 36.6℃ のどがイガイガ、舌の先がピリピリ、たんが出る、せきあり。

以上が現時点での症状です。

何かの参考にして下さい。

ちなみにコロナは未確定です。

ではでは。

熱が37.5℃出ました。

2020-04-13 09:38:37 | diary
先週から、1週間ほど念のために、

コロナ対策で体温計測していたが、

数日ほど37.3℃の発熱と喉の違和感があり、

昨日、五十肩で通院してる私の町の病院で、

内科の発熱外来で診察を受ける事になってしまい、

診断の結果、咽頭炎との診断になったが、

時期的にコロナの疑いがありドクターから、

自宅待機を勧められた。

もちろん、五十肩の治療は中止され、

念の為、職場の上司に相談する事も勧められた。

15年ぶりに、就職が決まったばかりで、

この4月1日付から通勤をしていた私は、

来週から出勤出来なくなるかもしれなく、

月曜日に朝イチで上司と相談する事になった。

多分、最短でも3日は休む可能性が高く、

仕事を覚えたての私は、まだ本格的に仕事をしておらず、

先輩に教えてもらっている状況です。

ちなみにコロナと確定した訳でも無いのですが、

この時期にこういう状況は非常に困りました。

昨夕は、36.6°Cで平熱になったのですが、

数日間は経過観察する様になります。

まさか自分がと思っていたので、

正直大変困っております。

皆様はこういったケースの場合どうしますか?

コロナの疑いになる。

2020-04-12 01:38:13 | diary
先週から、1週間ほど念のために、

コロナ対策で体温計測していたが、

数日ほど37.3℃の発熱と喉の違和感があり、

昨日、五十肩で通院してる私の町の病院で、

内科の発熱外来で診察を受ける事になってしまい、

診断の結果、咽頭炎との診断になったが、

時期的にコロナの疑いがありドクターから、

自宅待機を勧められた。

もちろん、五十肩の治療は中止され、

念の為、職場の上司に相談する事も勧められた。

15年ぶりに、就職が決まったばかりで、

この4月1日付から通勤をしていた私は、

来週から出勤出来なくなるかもしれなく、

月曜日に朝イチで上司と相談する事になった。

多分、最短でも3日は休む可能性が高く、

仕事を覚えたての私は、まだ本格的に仕事をしておらず、

先輩に教えてもらっている状況です。

ちなみにコロナと確定した訳でも無いのですが、

この時期にこういう状況は非常に困りました。

昨夕は、36.6°Cで平熱になったのですが、

数日間は経過観察する様になります。

まさか自分がと思っていたので、

正直大変困っております。

皆様はこういったケースの場合どうしますか?

再就職に挑戦します。

2020-02-06 00:16:25 | diary
えー、皆さまお久しぶりの投稿です。

この間に私は何をしていたかというと、持病のうつ病を抱えたまま、

生活保護にてギリギリの生活をしておりました。

これを書いている時点で、今月分の保護費が支給され、

綱渡りの生活をしているのです。

私の場合、昨年の9月に、精神障害者保健福祉手帳を取得して、

障害者3級と認定され、厚生障害年金3級を受給する事となり、

生活保護費がその分、減額されて、

生活費が、いわゆる「最低限度の生活以下まで減額」されました。

生活保護費が毎月支給されますが、年金が支給された分、

減額となり、トータルで月額98000円で生活しています。

この金額で、衣食住の全てをまかなう為に、節約生活を送っております。

はっきり言って、いわゆる貯蓄が出来ない生活となっているのです。

私の亡くなった親父の言葉で言うと「食うてチョンでええんかい!」という、

最低限の生活です。貯蓄が禁止されています。

確かに生活保護は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障してはいますが、

毎月の家賃や食費、電気代、ガス代、水道代、電話代を差し引くと、

残りはほぼ数百円という現実があるのです。(私の場合)

その上、月の入金サイクルが、生活保護費が私の地域では、毎月5日で、

金額は48000円ほどで、資金繰りが大変なのです。

年金の支払いサイクルが、2ヶ月分を2ヶ月に1回、83000円が振り込まれ、

それを2ヶ月分に振り分けて、使っていますので、結局、

ひと月99500円でやりくりしています。(平均した場合。)

私の場合、おかげさまで、子供の頃に家事全般を祖母に仕込まれたので、

自炊しており、食費をある程度節約して、なんとか生きております。

でもって、このまま、この生活が続いて、最後は孤独死するんだろうなーなどと、

漠然とした不安があるのが実感なのです。

でもって、これではイカン!と一大決心して、うつ病持ちで、

再就職する事を決断しました。

はっきり言って、貯金も欲しいし、パートナーも欲しいと強く思い、

持つべきものは結局、「お金だ!」という結論に至ったのです。

気づくのが遅すぎです。ー>自分。

さて、今年、53歳になって、人生設計を慌ててやっている私に、

春はやって来るのでしょうか。

ではでは。



うつ病に罹患した原因。

2019-03-02 21:55:36 | diary
えー、お題の「うつ病に罹患した原因。」です。

私が最初にうつ病に(当時はうつ状態)なった原因は、

1999年の2月に、会社からある訓練を受けるように、

言われた事から、自身で承諾し、受けた事が最初でした。

その訓練とは以前はDMP訓練と呼ばれていた、

その後継にあたるMAX訓練という、

いわゆる「地獄の特訓」でした。

私は当時、仕事でスランプ状態で、

考えがまとまらない状態に陥っていたのです。

その訓練では、軍隊式の訓練で参加者を洗脳する事に、

していて、前身のDMP訓練では死者が出た事があり、

やり方をひとつ間違えると事故に繋がるような、

大変危険な訓練でした。

私は持ち前の、好奇心から、あわよくばそのノウハウを、

盗んでやろう、くらいの気持ちで参加していたのです。

さすがに以前の様な危険なやり方は無くなりましたが、

それでもイマドキの若い参加者はビビリまくっていました。

訓練は参加者に対して、徹底的に人格否定を行い、

新しい人格を植え付けるというやり方で、

参加者は次々と目の色が変わってくるのです。

今思うと、その時に、一部、違法な薬物を使っている、

そんな疑いがありました。

訓練は全部で5日間の日程で、確か4日目の朝食の、

味噌汁の味がとてもしょっぱい記憶がありました。

多分それに薬物を混ぜたと思われます。

何故、そう思うのかと言うと、実は私が訓練終了後に、

体調を崩して、クリニックに診察してもらったときに、

血液検査で、薬物が検出された、という事実があったからです。

それが何の薬物かは、教えてもらえませんでしたが、

まともでない事は、うすうす感じていました。

ドクターの表情が変わったのです。

また、私のテンションが、ハイになっていたのも、

疑いを持たれた事に繋がったと思います。

その後、数日はハイテンションでしたが、

元に戻ると、今度は不安が増してきたのです。

そして、私はやる気がだんだん無くなっていく感覚を、

おぼえました。そして自信喪失に陥り、

私は最終的に、社長に「仕事が出来なくなった」と嘘をついて、

退職する事になったのです。

時は1999年の6月でした。

ではでは。

私は障害者。

2019-02-25 20:18:46 | diary
えー、お題の「私は障害者。」です。

今日、定期の通院日で、午前中に病院へと向かいました。

スケジュールの関係で、私は現在、2週間に1回、

精神科の病院へ通っています。

私の病名は「うつ病」です。

すでに、このブログをご覧の皆様には、

周知の事実だと思いますが、

私が現在、うつ病に罹患している事はご存知だと思います。

本日、担当医の先生と、前回、再就職先を探していて、

社内システムエンジニアの募集に応募したのですが、

結果は書類選考で落ちました。

で、その旨を先生に話したのですが、

職種をIT系以外にしてみては、との提案がありました。

私は今までの経験から、IT系、特にプログラマーや、

システムエンジニアを希望していたのですが、

その話の中で、ドクターから出た言葉が、

障害者雇用も考えてみては、と提案されたのです。

正直言って、自分では、自身が障害者であるとの認識は、

なかったので、その言葉に少なからずもショックを受けました。

以前、と言っても随分前ですが、私について、

ドクターに、障害者扱いにならないか、

と尋ねた所、あなたの場合障害者には当てはまらないと、

断言されていたので、自分では、中途半端だなぁ、

くらいの認識でいたのです。

でもって、今回、精神障害者、という言葉が、

ドクターから出た事が、意図していなかったため、

衝撃を受けました。

そうか、15年薬を飲み続け、治療に向き合って来たのに、

現状は、世間から見ると、私は、精神障害者なんだ、

と思い知らされたのでした。

と、同時に、少しホッとした、自分がいるのも、

何だかなぁと思っています。

今日の帰りの自転車で、頭の中に、

「私は精神障害者」という言葉がグルグル回っていたのは、

動揺していると判断しました。

という訳で、これから、精神障害者の実態について、

色々調べたいと思います。

ではでは。

再就職失敗

2019-02-20 03:51:18 | diary
えー、お題の「再就職失敗」です。

実は今年の1月に、インターネットハローワークで、

前職の会社で社内SEを募集していたので、

モノは試しに、よせばいいのに、

ハローワークの窓口で、再就職相談に行って、

その会社に応募してみました。

窓口では病気の事(うつ病通院中)も告げたのですが、

求人票には、年齢不問とあったので、

応募は可能と判断され、応募の手続きをとりました。

実はその会社は、今から15年前に、社内SEとして、

転職して、社長に気に入られ、入社した経緯があり、

今回、書類選考に応募しました。

久しぶりの履歴書や、職務経歴書を書く事になり、

過去のデータをパソコンから探し、

半日仕事で、作り直しました。

履歴書用の写真を撮る為に、

伸び放題だった髪も切り、

自動撮影マシンで撮影して証明写真を撮り、

熱い想いもアピールして、

書類を送りました。

それから待つ事10日あまりで、

書類選考落選の返事と、

書類の返却がされたのでした。

敗因は、年齢が52歳という事と、

病気の事も連絡事項に書いたので、

それで落とされたのだと思います。

実はこの会社、私がうつ病を悪化させた会社でした。

そこでは1年しか働いていないのですが、

感覚的に3年働いた位のヘビーな仕事でした。

病院の先生には、スケジュール上、

事後報告になったのですが、

その時先生は再就職に難色を示していたのです。

私も薄々感じてはいたのですが、

勢いで、応募までしたのは失敗だったと感じてます。

でも、私の場合、これはハローワークでも、

相談したのですが、障害者雇用にもならないとの事で、

一般枠で応募してみてください、と言われたので、

その通りしたら、あえなく撃沈でした。

なお、これらの事を含めて、福祉事務所には報告済みで、

福祉事務所のケースワーカーが、

病院に行って就労可能か問い合わせしたら、

難しいと言われたと、私に報告がありました。

まぁ、ケースワーカーさんに罪はないですが、

今までの担当さんに比べて、

ただ仕事をこなすだけのタイプだったので、

期待もしてませんでした。

自分で出来る事で、何か収益をあげる方法を、

考え直さないとです。

次へ続きます。

ではでは。

早朝覚醒2019-02-18

2019-02-18 03:11:05 | diary
えー、お題の「早朝覚醒」です。

タイトルの早朝覚醒とは、なんぞやと思う方もいると思います。

これは、文字通り、朝早く目覚めてしまう事です。

私の場合、うつ病の症状の1つに睡眠障害というものがあり、

いわゆる「眠れない、寝付きが悪い」というもので、

もう1つは朝早く、と言うか、夜中に眼が覚める、

という症状があります。

これでも、睡眠薬を飲んでいるのでマシな方ですが、

この状態が続いてしまうのです。

そしてこんな時間にブログなぞ書いてる場合ではなく、

本当は眠れなくても目を閉じて寝ないといけないのです。

こんな生活がもう18年続いています。

では、睡眠不足分をどうやってまかなっているかと言うと、

朝食後に2時間ほど仮眠をとって、(この時は眠れます。)、

10時に目覚めてから、日常生活を送るのです。

うつ病になる前は、しっかりと8時間は眠れていました。

しかし、今、思い出してみると、妹が嫁に行った後から、

日曜日に、昼間寝溜めする生活になり、体の疲れが取れなくなり、

今思うと、この頃から、夜の寝付きが悪い状態に、

段々となっていったと記憶しています。

そして、8年間勤めた会社を退職し、転職していわゆるSEという、

職種に変わってから、仕事上で悩む事が多くなり、

ストレスがどんどん蓄積していきました。

そこで3年勤めたユースウェア業の会社をある事情で辞めたのでしたが、

その時に、漠然と「なんか違う」と思うようになり、

パソコンショップで販売員として働いて、週に1度の休みの日は、

またまた、昼間寝溜めする生活が始まりました。

ただ、この頃は、割と仕事も充実していて、

週一の休みでも、働けていたのです。

その後、3年ほど働いて、いわゆる「魔の3年目」がやってきたのです。

この頃から、職務上、重要なポジションにならないか、

という話が出ていて、自分には向いていないと思いながら仕事を続け、

少しずつ、うつ予備軍になっていったのでした。

次に続きます。

ではでは。

現在の私の生活2019/02/15

2019-02-15 04:09:19 | diary
えー、お久しぶりの更新です。

実はここに至るまで、かなりの紆余曲折をしておりました。

私は現在、うつ病を抱えており、事実上、無職で、収入はありません。

どうやって暮らしているのかというと、生活保護を受給しております。

それまでに、一度、就職先を探して、派遣会社に登録して、

工場の生産ラインで半年ほど働いていました。

もちろん、その時は生活保護は廃止届を出して、

少ないながらも生活保護費を少し上回る収入で暮らしていました。

その間もうつ病は治療を続け、薬を飲みながら仕事をしていました。

その後、別の派遣会社から、今度はまた別の工場の仕事を、

あっせんしてもらいましたが、仕事内容が危険であることが分かり、

3日で辞退した為、また無収入となってしまいました。

そして、再度、生活保護を受給する事になり、

現在に至っております。

その後、10年ほど住んだアパートが老朽化し、危険になったので、

同じ町内の別のワンルームハイツに2017年8月に引っ越しました。

引っ越しに当たって、断捨離を行い、着れなくなった服や、

読まなくなった本などをかなり減らして、

家具も最低限のミニマムな生活をしています。

運良く、現在のハイツはエアコンが設置されていて、

風呂と、シャワートイレがついて、家賃が共益費込みで35000円で、

アパートより快適な生活を送れています。

ただし、節約の為、エアコンは夏場のみ冷房にしか使わずに、

冬場の暖房は、電気こたつで、しのいでいます。

うつ病の方は、未だに寛解しておりませんが、

ある程度、自分の事は自分で出来る様になりました。

私がうつ病と診断されたのは2001年の9月11日で、

診断にショックを受けて、帰宅して、テレビをぼーっとみていたら、

ニュースで、ニューヨークに飛行機が突っ込んで大変な事になった日でした。

なので日にちを覚えています。

その後、私は当時個人的に借金を抱えていて、

その返済のため、通院治療を受けながら、1年間とある会社の、

社内システムエンジニアとして、働いていました。

その時の激務がたたり、うつ病が悪化して、退職を余儀なくされ、

収入も絶たれて、借金の支払いに困り、気づいたら、

とんでもない額の借金を抱えて、精神的、肉体的にボロボロになり、

入院施設のある精神科の門を叩き、入院しながら自己破産をしました。

そして、現在に至っています。

昨年から、生活保護費が国の方針で減額され、

生活に支障が出るようになりました。

そこで、不足分を補うために収入を得ようと、

現在、試行錯誤中です。

出来ることなら、その収入で暮らしたいとも考えています。

これが、現時点の私です。

次に続きます。

ではでは。

断捨離。

2016-08-12 05:47:57 | diary
えー、お題の「断捨離。」です。

久々の更新になりますが、私は現在、個人事業で生計を立てるべく、
色々と動いています。

で、この度、現在の古いアパートから、築年数の中くらいのハイツに、
引っ越すことになりました。
そして、それを機に現在、私の契約しているWebサーバーにブログを追加することにして、
そこに新しく「社長への道。」ブログを書くことにしました。

このブログのリンクに貼られた「社長への道。」ブログは、今月に入ってから書き始めております。
今後はそのブログをメインに、私の体験談や考え、興味のあることなどを、
つらつらと書いていきたいと思います。

でもって、お題の「断捨離。」ですが、引っ越しを機に、不用品を選別して、
もう二度と使わないものは全て捨てることにしました。
今は洋服や布団などの繊維製品を分別して、服の量がなんと三分の一になりました。
もう着ないであろうその服は、全て可燃ゴミで出しました。

これから、本と雑誌の断捨離が始まります。
私は元々、読書が趣味で、主にパソコン関係の技術書や、ビジネス書、
図鑑や辞典など多岐にわたり、所持しています。
あと、嫁に行った妹が置いていった本なんかも全く読まずにそのままになっています。

以前に一度ブックオフにそれらの本を持って行ったのですが、
引き取りを断られました。お値段がつかないのです。
あまりにも需要がなくて、買取できないと言われました。

そこでこれからもう二度と読まない本は捨ててしまおうと決意しました。
それから、雑誌もこれはパソコン関連の雑誌で、Mac関連の物と、
日経ソフトウェアという雑誌も山のようにあるので、情報が古すぎるものは、
捨てようと思います。

断捨離が進むといいなぁ。

ではでは。

あ、「社長への道。」よろしくお願いします。

I have a dream

2015-08-01 08:44:24 | diary
えー、お題の「I have a dream」です。

私には夢があります。
それは、新しい国を作る事です。

新しい国といっても、世界にあるどこかの島を個人で所有し、そこに国を作るとかではありません。
私は日本人です。
かといって、日本の価値観を押し付けるつもりもありません。

多分、私が日本人だからでしょうか、今までこのブログを書いて、私の思いや意見を書いてきました。
基本的に日本語で書いています。

私は英語を勉強中です。
初めは日本人のだいたいが英語が苦手です。
そういう私も苦手でした。
私が中学で習い始めた英語は、最初の1学期だけは楽しかったのですが、2学期以降はまったくついていけませんでした。
それ以来英語に対して、苦手意識がついたままの生活を送ってきました。

ある時私は胃潰瘍と十二指腸潰瘍にかかり、入院することになりました。
期間は3ヶ月でした。
その時にたまたま入院患者で外国の方とお話をする事になりました。

その方はガラス職人として来日していましたが、英語圏の方ではなく英語がわからない方でした。
私が入院した病院には父も肝臓を患って入院していました。お酒の飲み過ぎです。
先に入院していた父と同じ部屋になったのですが、その時に外国人の方が入院していることがわかり、
父は英会話の本を片手にかたことの英語でコミュニケーションをとろうとしていました。

でも、うまくできません。それはそうです。その人は英語がわからないのです。
そこで私は、父の通訳がわりにその人と父の間でなんとかコミュニケーションをとろうと試行錯誤していました。

基本的に私も英語が得意ではありませんが、父よりはボキャブラリーが多かったため、
身振り手振りを交えて、単語レベルで簡単な会話をしました。

するとその職人さんは、なんとなく私の言ってることがわかったみたいで、
コミュニケーションをとることができました。

そこで、私はその職人さんと友達になりました。
その職人さんは仕事中の怪我で入院していたのですが、2週間ほどで退院していきました。
退院の時に、その職人さんは仲良くなった人に自分の作品をプレゼントしてくれたのです。

かくいう私と父もガラスのオブジェを頂きました。
たった2週間の付き合いでしたが、外国人の方とコミュニケーションする楽しさを覚えたのでした。
しかし、それ以来英語とは懸け離れた生活を送っていました。
でも、私の仕事は基本的にコンピューターのプログラマーとして仕事をする関係上、
コンピューター用語が英語をカタカナ訳した用語だったので、ボキャブラリーが増えていきました。

たまたま出会った外国人の方が温厚な方だったので、私は外国人に対してのアレルギーはありません。

今、英語の勉強をしていますが、基礎の基礎からやり直しています。
以前にも書いた「やさしい中学英語」の本と、Duo Selectの音源をヒヤリングしています。
でも、言語とはコミュニケーションするためにあるものなので、相手がいないと身につきません。

私は去年の夏までパソコンを使ってSecond Lifeで英語の勉強をしていました。
しかし、その頃から仕事の計画を立てて、その準備を始めると勉強の時間が取れなくなってしまい、
しばらくSecond Lifeから遠ざかっていました。

そろそろ英語の勉強を再開しようと思っています。
多分週に1回ぐらいしか時間が取れないとは思いますが、英語の環境に慣れるためにはこれが一番の近道です。

ここで、話を夢の話に戻します。
私は新しい国をつくりたいといいました。

それは今の地球上の人類共通の国を作る事です。
例えて言うなら「地球国」とでも名付けましょう。

そこでは人種や言葉の壁を越えて、世界に住み人々が戦いのない平和な国をつくりたいのです。
その為の種を蒔こうと思っています。

共通の言葉があって、コミュニケーションすれば、きっと人は分かり合えると思っています。
英語を学び出して、そのシンプルさに現時点での共通語としての英語の役割が重要だと痛感しました。

しかし、世界中には色々な言語があり、多種多様な文化があります。
その文化をひとつにまとめるのには、感情を伴う細かいニュアンスを伝える必要があります。

私がたまたま日本人だからでしょうか、日本語と日本という国は現時点では東洋と西洋の中間的な立場で、
文化や表現をうまくミックスして、自国の文化として開花しています。
世界からも日本のカルチャーが本当に少しづつですが、認められつつあります。

日本語の特徴として、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、数字という文字種が多いという事で、
人の心の中の複雑さを表現できていると個人的に感じています。

また、日本のサブカルチャーは、今、世界中から愛され始めています。

私は国の最小単位は家族だと考えています。
そこで、私の家族から、日本を変えていこうと考えています。

私は現在、一人暮らしをしています。
きょうだいはいますが、みんな家庭を持っています。

私がこれから作る自分の家族を手始めに、新しい家庭を創りたいと思っています。
もしかしたら、これが私の生まれてきた意味であり、使命ではないかと感じています。

人は体験からしか学ぶ事は出来ません。
私の様々な体験が、今の私の人格を作ったと言ってもいいと思います。

でも、体験というのは人の数だけありますので、今の世界の人口の70億人分の体験が、
それぞれの人の考え方を形づくっていると言ってもいいでしょう。

70億人が分かり合えるようになるには、みんなが共通の体験を追体験する事だと私は考えます。
追体験するには、共通の言語でそれぞれの体験を話し合う事が必要です。

その手始めにまずは英語を私の家族の第2言語として使う事を考えています。
自分の子や孫の世代には、多種多様な言語を理解し、追体験できる人材を増やしていこうと思っています。

この考えに共鳴してくれる方がいれば、その方と友達になりたいです。

友達70億人できるかな。

ではでは。