ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

Cypris Chat英会話2013-12-29

2013-12-31 07:25:17 | education
えー、お題の「Cypris Chat英会話2013-12-29」です。

これ一昨晩の8時からSecond LifeのCypris Chat Japanにて行われ、
参加致しました。

毎週日曜日の夜8時のアクティビティは、日本語が少しなら
しゃべってもいい、Cypris Chat Japanでやってます。

参加者は英語を覚えたい日本人と、日本語を覚えたい外国人で、
Second Lifeにアカウントを持っている方なら、
どなたでも参加出来ます。

費用は基本的に無料です。

基本的にってのは、運用にはそれなりのお金(SIMレンタル料とか)
がかかりますので、開設者であるProfesserの考えで、
参加者によるドネーション(寄付)にて賄われております。

これは、参加者が各国で違う通貨をリンデンドルに変えているので、
価値が国によってバラバラであることから、
負担をより少なくしてもらおうとの考えからこのようなシステムになりました。

参加者は出来る範囲で、ドネーションを支払えば良いということなのです。

かくいう私も、基本的に貧乏なので、月に使えるお金は最大でも1000円位です。

英会話教室に通う事に比べれば、とても安く、しかも楽しいのです。
これは、チューターさんと呼ばれる講師の方々や、参加者のキャラクターが
非常にユニークで、ユーモアとウィットに富んだクラスになっています。

なので、参加すればするほど、その楽しさが解ってきます。

私は今年の4月から参加ですので、Cyprisが出来て今年でちょうど5年なのですが、
本家のCyprisでは毎週火曜日の夜9時からのアクティビティを受けてます。

Cyprisでは日本語、というか英語以外は使用禁止となっています。
これは、英語の世界に少しでも多くなれる為に故意にそうしているのです。

で、今年の10月にCyprisの土地の隣に、Cypris Japanが出来ました。

基本的にCyprisはSecond Lifeに参加してから2週間以上経った人でないと
参加が出来ません。

しかし、Cypris JapanではSecond Life初心者でも参加する事が出来ます。

下手に英会話学校で高いお金を払って勉強するより、こちらの方が
断然融通が利く分、お得でしかも楽しいです。

何でもそうですが楽しくなければ続きません。
継続する事に意義があります。

この機会に日本人で(英語圏以外の外国人も可)英語を勉強しようと
考えてる方には是非ともオススメしたいと思います。

参加者の私が言うのですから、間違いないです。
(私を信用してもらわないとだめですけど・・・)

興味のある方は色々お教えしますよ。

ではでは。

ダイエット

2013-12-30 06:08:13 | other
えー、お題の「ダイエット」です。

私は現在、ドクターからダイエットをする様に言われています。

で、以前にも書きましたが、iPhoneアプリを使ってダイエットしています。

現時点での体重は、63.7kgで私の標準体重で、ある61kgまで
あと少しとなってきました。

ダイエットを言い渡されたのが昨年の11月です。

当時体重は、身長167cmで体重が77kgありました。

理想体重は身長マイナス110で57kgなのですが、
標準体重まで減らせれば、あとは食べ物を一日に必要な
摂取カロリーを取れる事になります。

今は平均して、一日に必要な摂取カロリーから大体400kcal少なく
摂取しています。

なので、毎日少しづつではありますが、順調に体重を落としています。

私は現在、自宅で療養しながら、自分の仕事を自分で色々と
考えています。

いわゆるデスクワークですね。

ですので、運動が不足気味なのですが、実はデスクワークも一日
7時間やっていると少しはカロリーを消費しているのです。

大体、どんぶりもの一杯分らしいです。

多分、胃袋も昔に比べて小さくなった様な気がします。

食べる量が少なくても、そんなにお腹が減らなくなりました。

現在、私が実行しているダイエットは、食べる順番ダイエットと、
夜バナナダイエット、粗食ダイエットを組み合わせています。

朝は、食パンに冷凍食品のミニハンバーグを電子レンジであたためて、
それにケチャップをかけて、スライスチーズをのせたものと
コーヒーと、ヨーグルトを食べています。

昼は、ご飯150gとみそ汁、キャベツの千切りにドレッシング、
キムチとおかずに、ハムエッグまたはマルシンハンバーグです。

で、夜は、バナナ一本と牛乳コップ一杯で済ませています。

これで、お腹が減らなくなったのです。

ウエストも一回り小さくなったみたいです。

来年の夏までに標準体重にしたいと思います。

目標まであと少し、頑張りどころです。

頑張るぞー。

ではでは。

こたつ

2013-12-29 06:35:47 | other
えー、お題の「こたつ」です。

今日も寒いです。

ただいまの室内温度は9度です。

私の家の唯一の暖房器具であるこたつに入って、
この日記を書いています。

足下を暖める事で、なんとかやり過ごす事が出来ます。

このこたつは私が香川に帰って来て、
一人暮らしをする様になった時に、祖母から譲り受けた物です。

その時点で約20年使われていた物です。

現時点で40年以上、毎年トラブルも無く使えています。

一部、接続コードのこたつ側が布製のコード外装なので、
そこがほつれています。

私より6歳年下の、冬の相棒です。

以前は、石油ストーブも使っていましたが、灯油が値上がりしてからは、
このこたつが、唯一無二の暖房器具となっています。

一応、電気加湿器付きヒーターを持っているのですが、
一度一冬の夜間寝ている時だけ使ったら、
なんと電気代が2万円を超えてしまいました。

それ以来、そのヒーターはお蔵入りです。

貧乏な私には、電気代を節約する事が必須となっています。

現在の電気代は月に約4000円以内に収まっています。
でも、来年の春以降、電気代が値上がりするらしいので
今からビクビクしています。

早く貧乏から脱出したいです。

来年から本気出すぞー。(オイオイ、今までは本気ではなかったのか?)

ではでは。

靖国神社

2013-12-28 07:30:19 | Politics
えー、お題の「靖国神社」です。

一昨日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝されました。

靖国神社の参拝は、現在、国際問題になっていると報道されていますが、
国際問題にしているのは、大手の新聞社とテレビ局だけです。

本質は、靖国神社が歩んで来た歴史を学ぶ事で、真実がわかってきます。

元々は朝日新聞が報道するまで、非難はされていませんでした。

以下、Wikipediaから転載です。

1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。
1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日付で、
朝日新聞記事により『靖国問題』として特集が組まれると、
その一週間後の8月14日、中国政府が、史上初めて、
公式に靖国神社の参拝への非難を表明するに至った。

原因を作ったのは朝日新聞だったのです。

一番の問題点とされるA級戦犯の合祀ですが、

これも以下、Wikipediaからの転載です。

1952年(昭和27年)5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の
国内法上の解釈についての変更が通達され、
戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、
戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となった。

ということで、戦犯とされていた方々の名誉回復が行われています。

なので、現時点では、戦犯というものは存在しないのです。

で、靖国神社ですが、昨日の安倍晋三首相の参拝で鎮霊社を
お参り致しました。

鎮霊社は戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、
及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました。

その場所を参拝する事で、安倍首相の気持ちは、不戦の誓いをしているのです。

なので、この問題は国内のマスコミが作った問題だとも言えます。

私は、戦争を実体験としては知りません。
戦争はもちろん賛成出来る物ではありません。
しかし、この戦争(大東亜戦争)の原因は、軍部をコントロールする
当時の官僚が暴走したからなのです。

戦争中は異常事態です。
人間が人間らしくあることが出来ない事態なのです。

冷静な判断が、当時のマスコミ、国民、政治家、官僚の全てが
出来ていなかった事から、戦争へと突き進んでいったのです。

私は、人間が地球上にいる限り、戦争は無くならないと考えています。

なので、将来人類はみんな宇宙に移住する事を提案したいのです。

宇宙に移住するという事は、どの国の人もお互い協力し合って
暮らしていくという事になります。

その為に、みんなが仲良くならなければなりません。

未来は地球を人類以外の生物の保護地域とする事が必要だと
私は考えているのです。

お互い、腹を割ってじっくりと話し合えば、わかり合える日が
いつか来ると思っています。

その時こそ、戦争が無くなる日になるのかもしれません。

戦争で亡くなった方々に思いを馳せて、今日の日記としたいと思います。

ではでは。

通院日

2013-12-27 07:21:41 | other
えー、お題の「通院日」です。

一昨日、いつも通っている病院の通院日でした。

この、通院日が、本当に時間がもったいないのです。

一応、受診日に次回の受診予約を入れるのですが、
予約と言ってもその日に来て下さい、という予約で、
実際には行ってみないとどれくらいの時間に受診出来るのか
わからないという、なんとも非効率な予約システムなのです。

例えば、歯科医院の予約は、何月何日の何時に予約ってすると
その時間の10分前くらいに、病院に到着して、診察券を出せば
手続きは完了で、ほとんど待たされる事はありません。

私が通う病院は、一応入院施設のある医療法人の病院で、
結構人気がある病院です。

私の担当ドクターはそこの院長で、この院長が一番の人気の
ドクターなのです。

で、毎週水曜日が院長の診察日なのですが、受診順序が
診察券を提出した順となっており、朝イチで一度行ってみた事が
あるのですが、その段階で8人程の待ちで、診察開始一時間前なのです。

でもって、その時の待ち時間が2時間でした。
朝9時診察開始なので、家を7時半に出て、自転車で30分かかる
隣の市のその病院に8時に着いたのですが、その時に待合室の
いすに、すでに15人くらい座っていました。

で、いつもの午後受診に戻したのですが、午後受診の待ち時間が
とっても長いのです。
早い時で2時間待ち、長いと4時間以上待たされます。

一昨日も結局4時間以上待たされました。
これは予約システムに問題があります。

私が以前受診していた総合病院の心療内科は、初診がかなり待つのですが
次回からは完全予約制で、歯科医院の様に、何月何日の何時何分頃受診になります、
というかなり細かい予約が可能なのです。

パソコンで予約システムが動いていて、そこに受診の小間を予約するというものです。

私が現在通う精神科の病院は、例えば私の場合、2週間に一度通院するという
予約システムなのですが、なんと今時卓上カレンダーを見て、
じゃあ、次回は何月何日ですね、その日に来て下さい、というものなのです。

Macのカレンダーで予約が出来ると思うので、そんなにコストはかかりません。
予約システムは1人の担当医に1台のiPadでiCloudを使えば共有も出来ます。

こんなに人気のある病院なんですから、儲かっていると思われ、
多少のコストを掛けても、患者の満足度向上に繋がると思うのです。

本当に何とかならない物かと思います。

来年の受診日に予約について、ちょっと意見を書いておこうと思います。

良くなるといいなぁ。

ではでは。

クリスマス

2013-12-26 08:36:19 | other
えー、お題の「クリスマス」です。

私は、クリスマスに、あまり良い思い出がありません。

最初の彼女にふられたのが、クリスマス直前で、それからは
1人ですごすクリスマスばかりです。

ここ数年のクリスマスは、一応クリスマスという事で、
日清のチキンラーメンを食べる事にしていました。

でも、今年は、ダイエット中ということもあり、
即席麺はカロリーが高いので、食べてません。

私のダイエットは、レコーディングダイエットと、夜バナナダイエットを
実践しています。

ここに至るまでに、朝リンゴダイエットとかも試したのですが、
ちょっと汚い話で恐縮ですが、私は便秘気味で、便が硬く
一応毎日排便してるのですが、かなり気張らなくては出ないのです。

朝リンゴダイエットしている時も、便秘が良くなると聞いていたので
ちょっと期待していたのですが、排便が大変でした。

で、ネットで色々調べた所、夜に、食物繊維が豊富な食品を
食べると良いという事で、夕食にバナナと牛乳を採る事にしました。

それから3日で効果が現れました。
便が柔らかくなって、出やすくなったのです。

私にはこれが合ってるみたいです。

で、ダイエットに使ってるiPhoneアプリがあります。
全て無料のアプリで、「体重管理」、「Simple Diet」、「BeCalendar」と
いうものを使っています。

何でもそうですが、続ける事が重要なのです。

割とズボラな私は、この3つのアプリをもう一年程続けて使っています。

「体重管理」は一番始めに見つけたアプリで、体重をただひたすら
毎日記録するだけというアプリで、パンダのキャラクターが、
毎日朝に、今日も記録しましょう、ってメッセージを出してくれるのです。

始めは記録するだけで痩せるのかなぁと思っていましたが、
記録をはじめて暫く経つと、グラフが少しづつ右肩下がりになってました。

で、「体重管理」ではグラフが最大1ヶ月分だけなので、痩せたという
実感がちょっとわかないので、グラフが長期に記録出来る
「Simple Diet」を使う様にしました。

2ヶ月程使ってみると、グラフが折れ線グラフで見やすいのです。

でもって、今度は本格的にカロリーとか記録出来る物は無いか調べたら、
「BeCalendar」というものがあって、これは朝晩の体重記録と
毎食のメニューを記録すると自動的にカロリーを記録出来るのです。

メニューは検索が出来て、よく食べる物はお気に入り登録しておけば、
次回からそれを選択して食べた量のパーセンテージを記録すれば
カロリーを自動で計算、記録してくれるものです。

ちょっとマメでないと続かないかもしれませんが、やってみると
一日の必要なカロリーと、食べた物のカロリーの差分がわかって、
ダイエットの励みになりました。

この「BeCalendar」は毎日朝に体重を記録すると
一日に必要なカロリーを表示してくれるので、摂取するカロリーを
それより低くする事で、差分がダイエットになるのです。

運動をほとんどしない私でも、これなら自動的に体重が減っていきます。

もちろん、運動をしたら、それも記録出来るので、私の場合、
3日に1回自転車で買い物に出かけているので、それを記録すれば
運動分のカロリーが差し引かれる事になり、ダイエットになるのです。

お題のクリスマスに戻しますが、今年はダイエット中という事で
チキンラーメンは食べてません。

昨日、通院で午後から病院に行きました。
行きつけの喫茶店でタイムランチの唐揚げ定食を食べる事で、
クリスマス気分を味わいました。

ではでは。


★Cypris Christmas Party★

2013-12-25 07:47:02 | education
えー、お題の「★Cypris Christmas Party★」ですが、
これ一昨晩21時30分からいつも英語のアクティビティで
お世話になっているSecond LifeのCypris Chatで行われました。

Cyprisでは基本的に英語しか話してはいけないという決まりがあり、
日本語や中国語、スペイン語など、参加者の母国語で話せません。

必ず英語でしゃべらないといけないのです。

まぁ、Second Life自体、基本的に英語のサービスなんですが、
今は、日本人の運営するSIMと呼ばれる区画もあり、
その中でやり取りするのは日本語でもOKの場所もあります。

昨夜のPartyでは、会場にDJブースが作られていて、そこでDJの曲に
合わせて、踊る事が出来ました。

一応会話の為にイヤホンマイクをつけて参加したのですが、
そんなに話さなくても済んだのです。

一度に沢山の人が話しているから、誰が誰に向かって話しているかが
解らずに、対応する事が出来ませんでした。

とりあえず、踊りながら知っている曲(クリスマスソング)がかかったら、
ハミングで歌いました。

みんな笑っていました。

カラオケはSecond Lifeの技術上の問題で、音声が遅れてみんなに伝わるので
上手く出来ないので、多分みんなにはずれて伝わったんだと思います。

なので、笑われたのです。

まぁ、これはこれでありかな、と思いました。

Second Lifeでプチ留学です。旅の恥は搔き捨てですね。

まだまだ、簡単な英語をゆっくりと1人ずつしゃべっている時しか
対応出来ませんが、慣れれば、複数の人ともやり取り出来るようです。

これも習うより慣れろでしょうねぇ。

眠くなった私は23時を過ぎた頃に、ログアウトしました。

一応コスチュームコンテストに参加したのですが、
やっぱり、お金をかけてコスプレした、きれいな女の人が優勝しました。

優勝者はリンデンドルというSecond Life内の通貨がもらえます。

Second Lifeについては、また後日書きたいと思います。

昨晩も夜20時からCypris Chatで初心者アクティビティがあるので、
参加しました。

今日の出来事を英語で答えるお題が毎回出るので、
そのネタを考えるのにちょっと苦労しています。

ではでは。

システムエンジニア[その14]

2013-12-24 07:21:03 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その14]」です。

英語の勉強をSecond Lifeで始めた私は、今では週に3回、
1回に付き1時間半から2時間のアクティビティを受けています。

最初はさっぱり解らなかった私ですが、今は、何となく
話している事が解る様になりました。

でも、初心者向けのアクティビティなので、解りやすい英語を
使ってくれているという事も理由のひとつです。

英語の文章も、辞書を引きながらなら、なんとか解る様に
なったみたいです。

これだけでもかなりの収穫があったと思います。

なにせスタートしたレベルが中学生英語で挫折したレベルだったので、
英語の苦手意識が取れるまで暫くかかりました。

今では、英語が趣味になりつつあります。

さて、話をシステムエンジニアに戻して、今私は、システムエンジニアの
経験を活かして、iPhoneアプリの作り方の勉強をしています。

具体的にはMacが必要なのですが、Macでプログラミングツールの
Xcodeを使って、言語はObjective-CというC言語の拡張されたものを
使ってプログラムを作っていきます。

今は、サンプルを色々作って、Objective-Cを習得するのに
時間を費やしています。

その為に本を全部で9冊購入しました。
パソコン技術書って1冊の価格が3000円から5000円程かかります。

今の私にとっては、結構な出費です。
でも、1つのプログラミング言語を覚えるにはそれくらいの
本が必要なのです。

まぁ、私の全盛期に比べて、読み進めるスピードは遅いですが
一歩一歩確実に物にしていこうと考えています。

何でもそうですが、習うより慣れろですね。

私の場合、プログラミングが趣味なので、覚える事は苦労ではありません。
作りたいアプリに必要な情報を本やネットで調べて、
実際にアプリの製作に入るのはもう少し先になりそうです。

それまでにアプリの設計を少しずつして行こうと思います。

アプリの設計は紙と鉛筆があれば出来るので、思いついた事を
メモに書き留めています。

目標は来年度中にアプリをリリースする事です。

なんとか頑張ってやり遂げたいと思います。

長くなりましたがシステムエンジニア編はこれで終わりにしたいと思います。

ではでは。

システムエンジニア[その13]

2013-12-23 07:56:01 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その13]」です。

毎月、9万円でやり繰りしていた私は、始めの2年でなんとか
お金を貯め、MacBook Proを買う事が出来ました。

それから暫くはMacに慣れる為に、標準搭載のアプリの
使い方を覚えて行きました。

そして、その頃から、今後の目標を立てたのです。

まず、第一に、うつ病を克服する、という目標を立てました。

私は、ドクターと相談しながら、生活リズムを安定させる事と、
薬を少しずつ減らして行く事を行いました。

それにほぼ2年かかりました。

それから、現在に至っています。

現在は、薬は減ったとはいえ、抗鬱薬2種類と睡眠導入剤と精神安定剤の
4種類の薬が今の所のベストとなりました。

もう、うつ病は、糖尿病の様に、自分がこれから一生付き合って行くと
決心したのです。

その為に、自分が普通の会社には勤められない事を自覚して、
無いものは自分で作ろうと考えました。

自分自身で自宅で出来る仕事で、今までの経験から出来る仕事は
何かと色々考えた結果、アプリを作って売ろうと考えました。

私は、Windowsのアプリは作った経験があるので、その経験を活かして
MacとiPhoneのアプリを作ってAppStoreで販売しようと考えました。

その為に現在、Objective-Cの勉強とAppleのドキュメントを読む為に
英語の勉強をしています。

毎月使えるお金は限られているので、アプリ製作の勉強に技術書を
少しづつ揃えていきました。

そして、英語は無料で、ネットで勉強出来る方法を色々模索した結果、
Second Lifeで英語を無料で教えてくれる所を見つけたのです。

Second Life自体、パソコンさえあれば、無料でアカウントが作れます。
そして、Second Lifeは基本的に英語の世界なので、
自宅にいながら海外留学が出来るのです。

私は以前、ちょうどネットで話題になっていた2007年頃、
Second Lifeのアカウントを取りました。

そして色々やってみたのでしたが、何でも出来ると聞いていたのですが、
実際は、目的意識を持たないと何も出来ない事が解り、
暫く放置していたのです。

それで、再会しようとしましたが、アカウントを失念したので、
改めて今年の4月にアカウントを取ったのです。

今回は目的がはっきりしています。
Second Lifeで英語でコミュニケーションする事を目的に、
そこで英語の勉強を無料で出来る場所を、Second Life内のフレンドに
教えてもらったのです。

そこはCypris Chatという場所で、基本的には無料で英語を
勉強する事が出来ます。

私は何故無料で勉強出来るのか興味を持ちました。
すると、お金がある人はドネーション(寄付)することで、
Cypris Chatを運営しているという事がわかりました。

Second Life内でアルバイトをする事で仮想通貨のリンデンドルを
稼ぐ方法もあるのですが、私は暫くお金に余裕が出来るまで、
この無料で英語を勉強する方法を実践する事にしたのです。

週に3回、1回に約1時間半から2時間ほど、マイクとヘッドホン、
私の場合iPhoneに付いて来たイヤホンマイクをMacBook Proに接続して
アクティビティを受けています。

始めの頃はさっぱり解らなかったのですが、だんだんと話している事が
解る様になって来たのです。

もちろん初心者向けのアクティビティですから、それなりに簡単な
内容になっています。

もう暫くは初心者向けのアクティビティにお世話になろうと思います。

その14へ続きます。

システムエンジニア[その12]

2013-12-22 06:23:12 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その12]」です。

ハローワークから紹介された電気工事士の国家資格を取る為に
職業訓練校に通う様になった私は、最初の半年は自転車で自宅から
通学していました。

その時の収入は失業保険から出ていたのですが、
前職の社内システムエンジニアの時の給与が高かったので、
貯金が出来るくらい少し余裕がありました。

職業訓練校では、色んな年齢の方がいました。
若い方で21歳、最年長は65歳でした。

皆さん離職した理由は、リストラにあった方が半数以上を占めていました。

国家資格を取り、次の就職に役立てようと、みんな必死で勉強していました。

かくいう私もなんとかついて行くのがやっとで、とにかく心がけたのは
丁寧な仕事をしようと言う事でした。

早さでは若い方にかなわないので、とにかく丁寧にコツコツと真面目に
訓練を受けていました。

そこで、何人かの友人が出来ました。

卒業してから、電気工事士の仕事を探して、十数社受けたのですが、
全て、年齢で落とされました。

私でさえ落とされるのですから、もっと年齢の上の方は、
仕事自体が無いという悲惨な状態でした。

そこで、私はその友人と一緒に派遣会社に登録に行きました。

しかし、昔の派遣会社と違って、請負派遣という形でしかも短期の職しか
無かったのです。

私は仕方なく3ヶ月更新の短期の派遣工としてアルミサッシの製造工場で
働く事になりました。

その時の手取りで12万円くらいでした。
いわゆるワーキングプアというやつです。

私は派遣が切られない様に必死で働きました。
体重が15キロ程3ヶ月で減りました。

その工場では派遣社員は正社員から、ボロカスに扱われていたのです。
私はそのストレスから、体調を崩し、結局9ヶ月でその工場を辞める事に
なったのでした。

結果として派遣切りに遭ってしまったのです。

それから、何社か派遣会社に登録していたので、そこで仕事を
探してもらっていたのですが、なかなかありませんでした。

私は、ハローワークでプログラマーの仕事を見つけました。
そこを受けて、通う様になったのですが、始めはプログラマーとして
自宅で仕事をやっていい、という話だったのが、何故かパチンコ屋の
新台入れ替えの撤去作業を徹夜でやらされる事になり、
結局うつ病が悪化して、辞める事になりました。

収入も途切れ、貯金も底を着いた頃、役場へ相談に行きました。
生活保護の申請をしようとしたのです。

しかし、役場では、「あなたはまだ若いんだから仕事位あるでしょ」と
言って、いわゆる水際作戦によって2ヶ月程放置されたのです。

私は通っていた病院のドクターに相談したら、すぐにうつ病の診断書を
書くのでそれを渡しなさい、と言われて、それを渡したら、渋々申請を
受け付けてもらう事が出来たのです。

その時の所持金は3千円でした。
もちろん、家賃は3ヶ月滞納で、出て行けと不動産会社から催促が
ありました。

もう、どん底でした。

私は、とりあえずその3千円で、とりあえずコメを買い、
生活に必要の無いパソコンやCDなどを売り払い、5千円のお金を
作りました。

残りの6千円で一ヶ月暮らしたのです。最後の方は水かけご飯でした。
生きるのに必死でした。

ようやく、生活保護が受給され、とりあえず家賃の滞納分を支払い、
手元に残ったのが2万円でした。

8千円で生活したので、とりあえず、電気と水道代、ガス代、電話代で
1万円使い、残りの1万円で食費にしました。

翌月からは、徹底的に予算をきっちり決めて、まずは貯金出来る様に
しようと考えました。

本来、生活保護は貯金はダメなので、タンス預金をする様にしたのです。

やっぱり、何かあった時の為に最低でも5万円くらいは
常に貯金しておきたいと考えたのです。

始めは月に5千円づつ貯めて行きました。

それからは、今後の仕事に必要なノートパソコンを買う為に、
月に2万円貯める事にしました。もちろん食事は自炊です。
食費を切り詰めるとなんとかギリギリやって行ける様になりました。
今は、月に家賃も含めて9万円で生活しています。

その13へ続きます。

システムエンジニア[その11]

2013-12-21 06:32:00 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その11]」です。

私は、うつ病を抱えたまま、次の仕事に就く為に職業訓練を
受ける事になりました。

その職業訓練とは、Webエンジニアの講座を受ける事にしました。

Webエンジニアとは、インターネットのホームページを作ったり、
裏で動くJAVAという言語の基礎だったり、SQLサーバーという
データベースのWebでの利用方法だったり、とにかく3ヶ月で、
詰め込み型の講座を受ける事になったのです。

大雑把に言うと、動的なホームページを1人で作れる様にする、
という講座でした。

私の様なプログラミングの経験者でないとついていくのがやっとの
ペースで進んで行きます。

案の定、ついて来れなくなる人も出てきました。

結局、受講したけど最後までわからなかった人もいました。

私は個人で勉強する事を考えたら、かなり効率のいい講座だったと
記憶しています。

ちょうどインターネットで動くアプリを作る事が
流行り始めた頃だったので、今で言うWebサービスの構築に
必要な知識と経験を積む事が出来ました。

で、この知識が役に立つ仕事を探していたのですが、年齢的に
34歳になっていたので、募集は20代がほとんどで、
私の出る幕ではなかったのです。

そこで、ハローワークで紹介された会社の社内システムエンジニアの
仕事を受ける事にしたのです。

結果は合格しました。

やっとこれで生活して行けると思いました。

しかし、その会社は社長が一代で立ち上げた会社で
ワンマン経営だったのです。

社長は次々と仕事を増やして行きました。
私はそれに答えるのに必死で、約一年程勤めた頃、
うつ病を抱えたまま徹夜の仕事をしてしまい、体調を崩してしまったのです。

それからは、仕事どころではありませんでした。

収入も途切れ、傷病手当も受ける事が出来なくなりました。

その為、私は借金をして生活していたのです。
返せる当ても無いので、まさに自転車操業でした。

でもって、にっちもさっちもいかなくなって、もう死ぬしか無いと
考える様になりました。

今考えると、この頃、うつ病が悪化していたのでした。

で、役場で相談した結果、生活保護を受ける事になったのです。
それと同時に精神科へ入院しました。

この頃の約1年間はあまり良く覚えていません。

やった事は入院中に自己破産の手続きの為に司法書士の方に
連れられて、家庭裁判所へ行って、色々手続きをしました。

入院は長期にわたりました。

退院してから、暫くはリハビリとして、デイケアに通所する事に
なりました。
約2年程、デイケアに通いました。

その後、通院を続けながら、職業訓練を受ける事になりました。
職業訓練学校で、電気工事士の国家資格を取りに一年間通いました。

その12へ続きます。

システムエンジニア[その10]

2013-12-20 05:06:55 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その10]」です。

人事異動で、希望する家の近くのショップに移動になった私は、
それから、店員の1人として働く事になりました。

私は、今までの経験から、お客様の問題を解決する事と、
お客様の満足を増やす事に努力しました。

もちろん、私1人の力では到底出来ません。

たまたま、良い仲間に恵まれて、ショップの売上もなんとか
目標をクリアーする事が出来ていました。

そして、2年ほど経った頃、店舗が手狭になってきました。
いつも店の中が狭くなって来たのです。

そうしているうちに、店舗の移転の話が出てきました。

高松の店は、結局この2年で客足を増やす事は出来ませんでした。
理由は、高松店の近所に東京からパソコンショップの量販店が
オープンし、客足がそちらに流れていってしまったのでした。

そこで、私の働くショップと、高松店のスタッフとで、広い店舗に
移転するという事になりました。

このショップはオーナー社長が実質の権限を全て持っていました。

何をするにも社長の許可が必要だったのです。

実は、移転話は社長の方から出た話でした。

私達スタッフは、移転先を探していました。
すると、あるスーパーマーケットの店舗が開いているという事で、
その店舗を移転先にせよ、と社長命令が出たのです。

私達スタッフは、その店舗を見て、あまりの広さに実情と合わないと
感じていました。

しかし、話は社長がどんどん進めていきました。

そして、私に新しい仕事を社長が打診して来たのです。

それは、パソコンショップ内に併設するパソコン教室の
インストラクター兼責任者になる事だったのです。

私は、自分はインストラクターには向いていないと思い、
固辞したのですが、社長はそれを許してくれませんでした。

話は、どんどん進んでいき、いつの間にやら私がインストラクターの
研修に行かされる事になったのです。

私は嫌々ながら、社長命令なので従っていましたが、
悩んでいるうちに不眠症になっていきました。

そうこうする内に、移転オープンの日程が決められたのです。

私は、何故か、仕事に興味を持てなくなりました。
そして、体が妙に疲れて、疲れが抜けないのです。

その内に、私は、オープン初日にめまいを起こしたのです。
立っていられない程でした。

私はそのまま総合病院へ診察に行きました。
体の隅々まで検査を受けました。
しかし、どこも悪くないと言われて、最後に、ストレスかもしれないと
心療内科に回されたのです。

そこで、うつ病である事が判明しました。

心労と過労から来る不眠症で、うつ病を発症したのです。

私は目の前が真っ暗になりました。

仕事なんかしている場合ではないという事で、そのショップを
泣く泣く辞める事になったのです。

暫く休養が必要と判断されました。

結局2年程仕事をしない日々が続きました。

そして、また、システムエンジニアの仕事に就く事に
なっていったのです。

その11へ続きます。

システムエンジニア[その9]

2013-12-19 05:47:18 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その9]」です。

高松店の実情を内密に調べる為に、店員として働く事になった私は、
販売員の一員としてパソコン販売とレジ担当になりました。

レジ作業と、パソコン販売の仕事をしながら、この店の問題点を
探して、暫く様子を観察しました。

私のこの店の第一印象は、以前の店とは全然違う店になっていたという
感覚を味わいました。

暫く観察していると、この店の問題点が少しずつ解ってきました。

まずは、店員がやる気が無い事でした。

私はその理由を探る為に、バイトの子達と色々話しました。

すると、どうやら、社員の1人が店長でもないのに実質、
裏の店長と化していたのです。

私は、その人の様子を仕事をしながら観察する事にしました。

店内にも社長に内緒で勝手に自動販売機を置いたり、
自分専用の電話回線を店に引いていたりしていたのです。
その人は店を私物化していたのです。

そして、なんと、その人はどう見ても裏社会の人たちと
繋がっている事がわかりました。

お客さんとして来ていたその人たちは、普通は入らない
バックヤードへその人と一緒に入って、色々と内緒の話をしていました。

私は、このままでは、この店は潰れると思いました。

この店で1ヶ月を過ごした頃、社長から報告書を作って
送って欲しいと依頼を受けました。

私は、自分が見聞きした事実をありのまま報告しました。

社長は対策として、その人たちと付き合わなくする為に
出張メンテナンスに行くのを辞める様に指示したのです。

それから数日後、明らかにヤクザの様な格好をした人が
大声を出しながら、「うちにサポートに来ないとはどういうことだ」と
店内で騒いだのです。

そして、店長を出せと言ってきました。

その店には店長はいません。変わりに私の家の近くの店の店員さんが
店長代理として高松店に来ていました。

その店長代理の人が、バックヤードにそのヤクザに連れて行かれました。

私は、少し時間を置いてバックヤードへ様子を見に行きました。

すると、明らかに脅しをその店長代理にしていました。

私は、これは警察に電話して、ヤクザに出て行ってもらおうと考え、
通報したのです。

15分後、警察がパトカーで来ました。

暫く警察とヤクザが、大声でやり取りしていました。

暫くすると、ヤクザが「お前ら、覚えとけよ」と捨て台詞を吐いて
店から出て行きました。

それから私は店長代理と相談して、店の鍵を全部交換する事と、
自動販売機の撤去、私用電話回線の撤去を社長に提案しました。

社長は、すべて承認しました。

私達は、それから、暴力対策の警察OBの方と相談して、
この店は警察官立寄所である事のステッカーを入り口に
掲示する事にしたのです。

それ以来、ヤクザは来なくなりました。

しかし、店内で騒いだ為に、暫く客足が戻らなくなったのです。

私達は、まずは店の雰囲気を変えようと、色々案を考えました。
商品の陳列を一新する事にしたのです。

そして、広告を入れて、リニューアルオープンセールを行いました。

客足が少しずつ戻っていったのです。

それから暫くは、とにかく売上を上げる為に私達は販売に
専念する事にしました。

少し、売上が戻って来た頃、社長が人事異動を指示してきました。

私を、家の近くの店舗に移動する事にしたのです。

私は中途半端にこの店を後にする事に少し違和感を覚えました。

その10へ続きます。

システムエンジニア[その8]

2013-12-18 07:34:44 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その8]」です。

以前にパソコンショップを辞める時に、社長さんから、
「困った事があったらいつでもいらっしゃい」と言われました。

その為、システムエンジニアを辞めた時に、パソコンショップで
働きたいと考え、以前勤めていたお店で、店員募集をしていたので
応募する事にしました。

そのショップには仲良くなった友達がいました。

その友達にも相談したのですが、社長のOKが出るなら、
来てもらう事には賛成する、と言ってくれていたのでした。

パソコンショップの店員さんも入れ替えがあり、
知らない人もいました。

でも、その人たちと仲良くなるのに日にちはそんなにかからなかったです。

みんな同じパソコンが好きという共通の趣味があったので、
仲良くなるのに苦労はしませんでした。

私はそのパソコンショップに入る為に本部面接を受ける事に
なりました。

そのショップは、本部が徳島にあり、社長もそこで店員の1人として
働いていました。

社長は私の年齢が当時32歳だったので、30歳を超えてのショップ店員は
かなり難しいと言っていました。

私は、「これは落とされるな」と覚悟を決めました。

でも、社長は「本部で最初から研修を受け直してもらうよ」と言って、
私を採用してくれたのでした。

私は、その時、大変嬉しかったのを覚えています。

採用が決まってから、研修の為に1ヶ月、徳島で住む事になりました。
済む場所も費用も会社が負担してくれました。

研修は、店内清掃から始めました。

何故、店内清掃が一番になるのかというと、店員として商品を覚える事が
必要だったからなのです。

ただ漠然と掃除をするのではなく、掃除しながら商品をひとつづつ
覚える事が目的だったからなのです。

私は、以前に4ヶ月ほど店員として勤めていたので、商品を覚えるのに
苦労はしませんでした。

むしろ、楽しいくらいでした。

そして、研修終了の1ヶ月が来た頃、社長は私に、高松の店の様子を
見て来て欲しい、と言ってきました。

私は、希望する家の近くの店舗から、車で40分ほどかかる高松の店に
移動になったのです。

当時、高松店では、売上が落ちていました。
その原因を調べて報告する様に社長が私に内密の指令を与えたのでした。

私は、とりあえず香川に戻れると思い、その役目をやる事になったのです。

その9へ続きます。

システムエンジニア[その7]

2013-12-17 05:57:31 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その7]」です。

パソコンショップを辞めた私は、次の仕事を探しました。

私は、システムエンジニアの仕事がしたいと考えて、
県内の仕事を探したのですが、中々ありませんでした。

そこで、瀬戸大橋を渡った岡山で仕事を探しました。

たまたま、システムエンジニアの募集があったので、
面接を受ける事にしました。

結果は採用でした。

そこでは、Delphiというプログラミング言語でアプリを作っていました。

私は、それを覚える為に、本を10冊ほど購入(自腹です)し、
仕事をやりながらDelphiの使い方を覚えていきました。

仕事自体は事業所の社内システムの作成とサポートでした。

今考えると、かなり集中してよくあの短期間でシステムが
出来たものだと思いました。

ただ、無理がたたって、私は体調を崩してしまったのです。
通勤に電車で橋を渡って、香川から岡山へ通っていたのですが、
その通勤が苦痛でした。

私はその会社を4ヶ月でまた辞める事となったのです。

その後、香川で、システムエンジニアを募集していた会社が
運良く見つかり、そこに転職する事にしました。

そこでは、MS-Accessを使ってクライアントのシステムを作って
サポートするという会社でした。

ただ、出来たばかりの会社で、私は社長と面接で色々話したら、
社長が私を気に入ってくれて、採用となったのです。

会社では、社長が営業を担当し、仕事を取ってくる事をして、
私がその会社の技術担当となりました。

私は、前職の経験から、その会社のシステム開発にDelphiを使う事を
社長に提案しました。

Delphiの良い所は、まず、開発自体がかなり早く出来る事、
アプリのメンテナンスが容易である事、一番の要因は私が今まで
開発したどの言語より、一番使いやすい言語だった事があげられます。

開発生産性が一番高いと判断したのです。

社長は自分自身がMS-Accessは解っているので、少し難色を示しましたが、
私が開発担当として専念する事を条件に、なんとかOKを貰いました。

そこから、社長と私の2人だけでやっていた仕事が増えていき、
あと2人雇う事になったのです。

面接に私も同席し、採用の合否を社長と相談する事になりました。

結果として私はその会社で社外システムエンジニアとして3年ほど
働く事になったのです。

私は当時、最大で1人で10件程度のクライアントの開発とサポートに
携わっていました。

ただ、社長がどうやら、営業と称して、夜の営業を頻繁に行っていました。

いわゆる飲み会で、お客さんを取ってくるという事をしていたのです。

最初は私も小さい会社だからそれもありかな、と思っていましたが、
だんだんと社長と私の会社に対する考え方の違いが少しずつ出て来たのです。

意見が対立する事も多くなりました。
私はやる気がだんだんと無くなっていきました。
その為、仕事のペースが落ちて来てしまったのです。

ちょうどその頃、以前にも書きましたが、社長が大きな仕事を取る為に
私に「地獄の特訓」を受ける様に勧めて来たのです。

その訓練を私は受けました。

ただ、その訓練を受けてから、ますます、社長と意見が
対立する事となっていったのです。

私は会社を「仕事が出来なくなった」と嘘をついて辞める事にしたのです。

社長の営業のやり方に、どうしても賛成する事が出来なくなっていたのでした。

そのとたんに、社長は、私の給料を半分に減らしました。
私はこれはパワハラだと思いましたが、辞める為には我慢する事にしました。

辞めた後どうするか、考えていました。
その時、今までで一番楽しかった仕事は何かを思い出していました。
それは、パソコンショップで販売員をしていた時が一番楽しかったのです。

たまたま、以前勤めていたパソコンショップで店員を募集している事を知り
そこに転職する事を社長に伝えて、会社を辞める事が出来たのでした。

どうやら、私は人間関係で辞める事が多いと自覚する様になったのです。

その8へ続きます。