ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

個人事業始めました。[その6]

2015-02-13 05:57:16 | business
えー、お題の「個人事業始めました。[その6]」です。

私が配属された地元の店舗が移転オープンする事になりました。
そこで、不動産屋から紹介された、元スーパーの建物を視察することになりました。

店長と店員数名が視察したのですが、広さが広すぎると感じました。
実は店舗の移転にはその地元の店舗の狭さがネックとなり、お客さんを待たせることが多くなっていたからです。
オープンから4年経ったその店は、順調にお客様を増やしていき、地元のパソコンショップとしては、
結構な人気店となっていました。

それはやはり店員が全員パソコンが好きで、知識が豊富で、きめ細やかな対応が出来ていた事と、
店のモットーがお客様にフレンドリーに親身に接するという事で、着実に固定客を増やして来たからでした。

しかし、オープン5年目を目前に、その時点での2倍の店舗面積の物件を探していたのですが、
鉄骨平屋建てのスーパー跡地は広さが8倍ほどあり、広すぎたのです。
その上、立地条件がその時点での店舗に比べて、少し内陸に入った場所で、アクセスのしやすさを比べてみても、
既存店舗に比べて遠方からのお客様には解りにくい場所だったのです。

私は正直、この物件には反対していました。当時から、店舗の運営は社長からのトップダウンで行われていました。
社長は地の利よりも店舗のコストパフォーマンスを優先して、物件を決めたのです。

しかも、当時私にパソコン教室の責任者になってくれとの内示を受けていたのですが、
私は販売員としての経験はそれなりに積んできましたが、パソコン教室のインストラクターの経験が、
圧倒的に不足していたのです。

やはり石の上にも三年ということわざがあるように、せめて足掛け3年ぐらいの経験は必要でした。
そこで社長からの内示に対して、私は非常に悩んでいました。
店長に相談もしましたが、結局社長の鶴の一声で強引に事を進めることとなったのです。

私はインストラクターの資格を取るために、MOUS検定の資格を取りました。
そして、徳島の本部でなんと2週間という短期間でインストラクターの研修を受けたのです。
これは圧倒的な経験不足でした。

その上、インストラクター試験の願書の経験欄を水増しして3年の経験があることにされてしまったのです。
こんな不正をしてまで私はインストラクターになるのは嫌だったのでした。
それから激務と責任のプレッシャーから私は体調を崩して、やる気が起きなくなっていました。

そして、ある日、私はめまいを発症して倒れたのです。
病院で検査をしたのですが、身体的には特に問題ないと言われました。
そこでその病院内にある心療内科で診察を受けることになりました。
すると、うつ病にかかっていることが判明したのです。

私は自分がうつ病にかかってしまったことに大変なショックを受けました。
結局私は療養のためにパソコンショップを辞めることになったのです。

それからは少し良くなっては転職し、また悪くなって辞めて転職、少し良くなっては転職の繰り返しでした。
どんどんうつ病は悪化して行ったのです。
そして最終的には生活が立ちいかなくなって、生活保護を受けるまでになってしまいました。

でもって、現在に至るのです。
今も精神科に通院しながら薬がないと眠れない状態が続いています。
こんな状態ではまともな仕事に就けません。
体に負荷がかからなくて、自分にできる仕事は何かを考えて、結局再就職は諦めて、
自宅で出来て、自分の経験が活かせる、アプリ開発、販売をしようと考えたのです。

この間療養のかたわら、私は少しずつ今後のために色々と勉強をしてきました。
開発のための英文資料を読むために一番苦手な英語の勉強を始めたのです。
また、それと同時にアプリ開発の研究にも着手しました。
そして、今年から以前に屋号を取っていた名前で開業することにしました。

というわけで、これから少しづつ、自分のペースで事業を行おうとしています。
これからどうなるかはまたブログに少しづつ書いていこうと思います。

長々とありがとうございました。

ではでは。

個人事業始めました。[その5]

2015-02-12 06:10:18 | business
えー、お題の「個人事業始めました。[その5]」です。

高松店に配属された私は、まずは店舗の様子を調べてみようと思いました。

とりあえず、応援の店員として、店内で接客をしながら、お客様の入りと店員の行動を観察してみました。
すると、お客様の入りはやはり落ちていました。そこで、店員の行動をみてみると、ある一人の店員が、
店長ではないのに実質的な店舗の運営権限を持っていることがわかりました。

その店員とは、私と以前、仲良くなった店員の方で、その人が社長に内緒で店内の色んな事を変えていたのです。
その上、あるあやしいお客様との付き合いがわかりました。

そのお客様は、関係者以外立ち入り禁止のバックヤードに勝手に入ってきて、その店員と色々と話していました。
その風貌は見るからに派手な格好で、ちょっと普通の人とは違うなと直感したのです。

私は一週間ほど観察して、社長に報告書を提出しました。
社長はもっと詳細が知りたいということで、私に詳細を調べるように依頼してきました。

すると、その社員の人はどうやら、個人的に店舗を利用して、勝手に自分の事務所代わりに店舗を使用していたのです。
社長に無断で、電話回線を契約し、自動販売機を契約し、接客はほとんどしないで、個人の利益を得ていたのでした。
そして、あやしいと思っていたお客様はなんと暴力団の構成員だったのです。

その旨を社長に報告したら、社長は対策として、店内の鍵をまずは全て取り替えて、
その社員が勝手に立ち入りできないようにしたのです。

そして、勝手に契約したもの全てを解約し、暴力団とは付き合わないとの方針を伝えてきました。
その上その社員を辞めさせることにしたのです。

すると、ある日ある事件がそのお店で起こったのです。
なんと、その暴力団構成員が、いかにもヤクザという格好で店内に騒ぎながらやってきました。
「店長を出せ」と私たちを恫喝してきたのです。

そこで、店長のいなかったその店に店長代理で来ていた社員を呼び出して、バックヤードへと入って行ったのでした。
そこでは、店長代理に辞めさせた社員を元に戻せ、と脅してきたのです。
私は、少しの間、その店長代理に対応をお願いして、警察にヤクザがやってきて騒いでいると連絡したのです。
すると、警察官がパトカーでやってきました。

警察官が間に入って、数十分間やり取りをして、ヤクザを追い出すことに成功したのです。
その時にヤクザの一人が私をみて、「お前の名前は覚えた、街で出会ったらタダではすまさない」といって出て行ったのです。
私はその時思った以上に冷静に対処できたことを不思議に思いました。

翌日、その顛末を報告書に書いて、社長に提出しました。
すると社長は私を高松店から私の地元の店舗に異動して、高松店のリニューアル計画を伝えてきたのです。
私は籍は地元の店舗に置きながら、ヘルプで高松店に入ることになりました。

そしてリニューアルをして、セールを行い、対策を立てていたところ、
高松店の近所にパソコン専門店が新規にオープンすることが決まったのです。

社長は結局高松店を閉店することにしました。
そして、地元の店舗を移転オープンすることにしたのです。

続きます。

個人事業始めました。[その4]

2015-02-11 06:27:23 | business
えー、お題の「個人事業始めました。[その4]」です。

パソコンショップに転職した私は、最初の1ヶ月は本部研修を受けることになりました。
香川から徳島へショップの宿舎に泊まり込みで、店舗研修を受けました。
店舗では、まず清掃から始めました。
この清掃というのは奥が深いもので、単に店内を綺麗に保つというだけではなく、
店内の商品陳列レイアウトや商品の知識を覚える第一歩となるものです。

店内清掃は商品に溜まったホコリを払うと共に、その商品を1点づつ覚える事と、
陳列方法を覚える事、棚の役割を覚える事を目的としています。

そして、それと同時に商品管理の研修として、一つのカテゴリーの商品を管理することになりました。
私の場合、最初の商品はケーブルの管理でした。
まずはケーブルの種類が何があるかを覚える事と、ケーブルの在庫管理をするために、毎日ケーブルの数を数えていました。
この店舗では基本的に基準在庫数が決まっており、毎日売れた数を追加で仕入れ先に発注しています。
まだ、POSシステムが使われていなかったので、人力で管理していたのでした。
非効率的にも思えますが、商品とその棚割りを覚えるという為にはこの方法が従業員にとってはベストなのです。

私は毎日自分専用のB3サイズのノートに、棚の配置と商品の品番を記録するという事をしていました。
これは自発的に行っていたことです。この記録を掃除しながらすることにより、商品知識と棚割りを同時に覚えることができました。

そうこうしているうちに、次にレジの研修が始まりました。
レジではお金と商品のやりとりを基本として、レジの操作方法と、商品の包装について学びました。
レジの仕事はそれ以外にもお客様からの問い合わせや質問に答えることもあります。
そのために、広範な知識が求められるのです。

私は趣味がパソコンであったことと前職でシステムエンジニアとして色々提案していたこともあって、
お客様からの問い合わせに対して、自分の知識と経験をフルに活用して対応していました。
その様子を見ていた社長は、私に次の勤務先として高松の店舗で、店長を補佐する仕事を命じてきたのです。
その当時高松店では、売り上げが激減しており、その原因を探ると共に対策を立てるために、
社長は私に店舗の様子を見てきてくれないかという密命を受けていたのでした。

その5に続きます。

個人事業始めました。[その3]

2015-02-10 05:29:46 | business
えー、お題の「個人事業始めました。[その3]」です。

ソフトウェア会社を辞めた私は、暫く休養することにしました。

私はお客さんとして、以前の勤め先であるパソコンショップに出入りしてました。
いわゆる常連さんとなっていたのです。
そこで、仲良くなった店員の友人と話しているうちに、一緒にパソコンサポートの事業をやろうという話になりました。

年が明けて、私が代表で、その友人が一緒に手伝ってくれる仲間として色々と準備をしていました。

最初は個人事業ではじめて、ゆくゆくは会社にしたいとか思ったりしていました。
個人名では信用がなさすぎるので、屋号をとって開業届を出しました。

その屋号を他者に使われないために、屋号の商号登記も法務局で行いました。
そして、名刺や住所印などを準備して、パソコンサポートのメニューのチラシも作りました。

そこまでに5万円以上費やして、開業日を決めたところ、友人の奥さんが反対しているということで、
事業に参加できなくなったのです。

仕方なく、私一人でやることにしました。

チラシをそのパソコンショップに置いてもらって、反応をみてみました。
すると、問い合わせは数件ありました。

私は、まずは知り合いに挨拶回りに行きました。
そこで、以前勤めていたジーンズショップの社長から、サポートの依頼があったのです。
最初のお客さんでした。

そこのデータベースシステムのメンテナンスの依頼を受けたのですが、
一回だけ出張サポートに出て、売り上げは1万円でした。

それから顧客を増やそうとしたのですが、やはり一人ではうまくいきませんでした。
このままではお金がなくなってしまうと考えた私は、同じ町内にあるユースウェア業の会社に転職することにしたのです。

そこでシステムエンジニアとして働くことになったのでした。

システムエンジニアといっても社長と奥さんと私だけの3人の会社だったので、
パソコン教室の講師サポートやプログラミング、営業など、業務のほとんどをやることになりました。

結局そこの会社では今考えると、色々と勉強することが出来たのでした。

その後、私は以前にもこのブログで書いた「地獄の特訓」を受けて、会社を3年で辞めることになったのです。

そして、はじめに働いていたパソコンショップで社員として働くことになりました。
そこでは本当に仕事がやりがいもあって楽しくて、これは天職だと実感したのです。
仲間にも恵まれました。同じパソコンのスキルがあるもの同士、パソコンが好きでやってる仕事としては、
すごく有意義なものでした。

その4に続きます。

個人事業始めました。[その2]

2015-02-09 06:42:02 | business
えー、お題の「個人事業始めました。[その2]」です。

パソコンショップに就職が決まってから、オープニングスタッフとして、オープン準備から仕事に参加しました。

そこでは、商品を陳列する棚を組み立てたり、商品を陳列したり、掃除したりする事などをしていました。
オープン日が近づいてきたら、接客の挨拶やレジの講習を受けました。
そして、オープンしました。

オープンから一週間は非常に忙しかったのを覚えています。
お客さんがたくさん来て頂いて、オープンは盛況に終わったのでした。

私はこのオープンの時にあるお客さんから、言われた事に非常に感動したのを覚えています。
それは、「こんな店が出来るのを待ってました、ありがとう。」と言われたのです。
私は「ありがとうございます。」とだけしか返事できなかったのですが、販売員になって良かったと実感したのです。

私は、やっぱりこれは天職だ、と思いました。ずっと続けたいとも思ったのです。
しかし、それから3ヶ月後にあることがきっかけで、私はこのショップを辞める事になるのでした。

それは、当時の店長が非常に若い店長で、このショップの運営は基本的に社長がトップダウンで方針を決めて、
それを店長が何も考えないで実行するという、店長の経験不足が露呈したのです。

店長はいつも口癖のように「僕が社長に怒られるからこれやって」と従業員に指示を出していたのでした。
私は当時、顧客満足を高める事を第一に考えて行動するということをしていました。

ある時に、社長の指示で店内のレイアウトを全く新しく変える事になりました。
私は、その指示に納得がいかなかったのです。
それはようやくお客様が少しづつ出来て、常連さんを作ろうとしていた時だったからです。

常連さんにとっては、今のレイアウトで慣れていたので、それはお客さんにとって良い事とは思えなかったのです。
そこで、私は店長にその旨を伝えると、店長はいつもの口癖を私に言ったのでした。

私はこの店長は何も考えないで、仕事をしている、と直感しました。
まず考えることはお客さんの事を一番に考えないといけない、という事に気付いていないのです。
私は店長に意見をしました。しかし、店長は「とにかく僕が怒られるから」とだけしか言わないのです。

私は社長に相談することを決めました。
すると社長は、お客さんの事を考えると、暫く元のままで行った方が良いと言ってくれました。
その為に、店長が準備していた作業が中断されたのでした。
それから、私と店長の間で気まずい雰囲気になって、店長はその職責を辞めると言い出したのです。

そこで、社長から内々に当時、店内で一番の年長者だった私に、店長をやらないか、と打診してきました。
私は非常に悩みました。何故なら、まだ入社して3ヶ月しか経ってなかったので、圧倒的に経験値が足りないと痛感したからです。

結局私は、この店を辞めることにしたのです。その方が店長が経験を積めると思ったからでした。
その時社長さんから、「困ったことがあったらいつでも相談して」と言われて後ろ髪を引かれる思いで辞める事になったのでした。

それから私はまた転職することになったのです。季節は夏に突入していました。
私はまた仕事探しを始めました。そして職安で紹介されたソフトウェア開発会社に転職することになったのでした。
ソフトウェア会社に転職した私は、システムエンジニアとして働くことになりました。

そこは香川から瀬戸大橋を渡った対岸の岡山の会社でした。
従業員4人の小さな会社でしたが、そこで私はシステムエンジニアとしての経験を積むことになったのでした。
しかし、当時通勤に電車で満員電車に乗ることと、仕事のペースがものすごく早いこと(納期がタイトでした)から、
私は3ヶ月で体調を崩し、そこも3ヶ月で辞めることになったのです。
そこでは社長さんから、「君は優秀だから残ってくれないか」と言われたのですが、とにかく休みたかったので、
無理を言って辞めることにしたのです。社長は激怒しました。「勝手にしろ」と言われました。

季節は晩秋に入っていました。私は年内は全ての事を忘れて休養に専念することにしました。

その3へ続きます。

個人事業始めました。

2015-02-08 07:01:21 | business
えー、お題の「個人事業始めました。」です。

この度、今年の初めから個人事業を開始しました。

実は、以前(1997年)にパソコンサポートの個人事業を始めるために、
屋号を商号登記して、開業届を出して、チラシや名刺を作って、連絡のための携帯電話も契約して、
さぁ、これから始めようとしていた所、一緒にやる予定だった仲間が家庭の事情で出来なくなり、
一人で始めたのですが、知り合いの社長さんから仕事を一つ貰っただけで、収入のメドが立たなくなり、
結局その年で開店休業した事がありました。

で、当時としては大体先行投資で5万円ほど使ったのですが、収入が1万円で、赤字になりました。

そして、このままでは収入が無い為に、一旦ソフトウェア会社に再就職して生活していました。
そこで、3年ほどシステムエンジニアとして、開発のノウハウと営業のノウハウ、
サーバー構築のノウハウなど、仕事しながら勉強していました。

その後、自分には営業のノウハウが無かった事と、その当時会社で色々あって、会社を辞める事になり、
パソコンショップに転職したのでした。

パソコンショップではパソコン販売員とパソコン教室のインストラクターとパソコンメンテナンスの仕事をしていました。

実は、このパソコンショップ、私が一番長く働いていた(8年ほど)ジーンズショップを辞めて、
自分の趣味のパソコンの知識を活かして、お客様に「ありがとう」と言って貰いたくて、
バイトとして転職したパソコンショップに社員として転職したのでした。

ジーンズショップ時代は、実はメインの仕事は社内のオフコン(オフィスコンピューター)のメンテナンスと、
POSシステムの開発者として雇われたのでした。

そこで、たまに店の手伝いをしていたのですが、接客が楽しくて、お客様に「ありがとう」って言ってもらえた時に、
非常に感動し、社会人として人に感謝される仕事をしたいと強く思ったのでした。

しかし、当時私はジーンズの知識がほとんど無く、レジの仕事と接客をしていたのですが、
販売員さんにわからないことを聞きながら仕事をしていて、これではダメだ、と痛感していたのでした。

パソコンの知識はあるのに、ジーンズの知識のない販売員は役に立ちません。

当時私は30歳を目前にして、これからの人生をどう生きるか模索していた所に、
あの阪神大震災が起こって、やりたいことをやって生きようと決めたのです。

でもって、自分のやりたいことをよくよく考えると、起業をしようと思ったのです。
そこで、何をやるかを考えたところ、システムエンジニアとしてソフトウェアの開発と販売をしようと考えました。

その為のノウハウを得るために、自分に足りないものは何かと考え、それは営業力だと痛感したのです。

で、家電とかが結構好きだったので(機械類や家電を子どもの頃、分解しては組み立てていた)
家電量販店に転職しようと思って、面接を受けたところ採用になりました。

そして、入社する予定だったのですが、その時ちょうど家の近所に徳島に本社のあるパソコンショップで、
従業員を募集中だったので、これはもしかしたら天職かもしれないと思って面接を受けたところ、
ここでも採用になったのでした。

最初の3ヶ月は試用期間としてバイト扱いになる、ということでその間、お店で販売員の勉強をしていました。

話が長くなるので続きます。

イスラム国についての考察

2015-02-03 06:50:58 | Politics
えー、お題の「イスラム国についての考察」です。

今回、日本人の人質が2人とも殺害されました。

特に2人目の後藤さんはご本人がジャーナリストであったことも、
その衝撃を与えたと思っています。

今回の事件は言ってみれば、ヤクザに捕まったぼったくり客が殺された事と同じだと考えられます。
憎むべきなのはヤクザの行為なのであって、ぼったくり客にも、多少の責任はありますが、
人の命を取る、という事が人間としてやってはいけない事であるという本質は変わりありません。

今回の事件はヤクザがこれから一般市民を無差別に殺害すると宣言した、と考えて差し支えありません。
これはもう「テロ」です。

テロに対しては、国を挙げての対策が必要になってきます。
そもそも、テロを行う団体が悪いのであって、その標的となる国には非はありません。
日本は戦後、多分初めてのテロとの対峙が求められています。
力には力で、だけでは本質をついた解決は出来ません。

国際的な法と秩序で問題を解決することが必要です。
その為に、日本は軍事力を持とうとしています。
正確には事実上の軍事力である自衛隊を、「本当の軍隊」にする、ということです。
私は個人的に、国を守るためには軍隊は必要であると考えており、
ヤクザに対する警察と同じ構図が必要であると思っています。
もちろん、その後の処罰の為の国際的な法律と裁判所が必要であることもここに付け加えておきます。

今の国際的な機関としては国連がそれを担おうとしています。
しかし、国連は先の大戦終了時に、このような戦争を含む紛争を解決する目的で創られました。
現在の国連の仕組みは、このグローバル時代には時代遅れとなっています。
国連に参加している国への公平性が保たれていません。
常任理事国が先の大戦の勝利国とされる国が理事国となっていることが、不公平だと思っています。
正確に言うと中国は本来なら今の台湾がその位置に立つべきであり、
ロシアは別の国にするべきだと(例えばスイスとか)思っています。
それにたった5つの国の利益が最優先され、残りの190余りの国の利益は完全に無視されています。
この国連という仕組みはベストでもベターでもありません。
仕方ないからそうなっているというだけなのです。

話を戻すと、今回非難されるのはイスラム国であって、安倍総理ではありません。
日本は今の日本の出来る範囲で出来る事をやったので、非難するとしたら、
今のままの日本のありようにしてきた国民が非難されるべきなのではないかと思っています。

異論反論お受けします。

ではでは。