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システムエンジニア[その11]

2013-12-21 06:32:00 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その11]」です。

私は、うつ病を抱えたまま、次の仕事に就く為に職業訓練を
受ける事になりました。

その職業訓練とは、Webエンジニアの講座を受ける事にしました。

Webエンジニアとは、インターネットのホームページを作ったり、
裏で動くJAVAという言語の基礎だったり、SQLサーバーという
データベースのWebでの利用方法だったり、とにかく3ヶ月で、
詰め込み型の講座を受ける事になったのです。

大雑把に言うと、動的なホームページを1人で作れる様にする、
という講座でした。

私の様なプログラミングの経験者でないとついていくのがやっとの
ペースで進んで行きます。

案の定、ついて来れなくなる人も出てきました。

結局、受講したけど最後までわからなかった人もいました。

私は個人で勉強する事を考えたら、かなり効率のいい講座だったと
記憶しています。

ちょうどインターネットで動くアプリを作る事が
流行り始めた頃だったので、今で言うWebサービスの構築に
必要な知識と経験を積む事が出来ました。

で、この知識が役に立つ仕事を探していたのですが、年齢的に
34歳になっていたので、募集は20代がほとんどで、
私の出る幕ではなかったのです。

そこで、ハローワークで紹介された会社の社内システムエンジニアの
仕事を受ける事にしたのです。

結果は合格しました。

やっとこれで生活して行けると思いました。

しかし、その会社は社長が一代で立ち上げた会社で
ワンマン経営だったのです。

社長は次々と仕事を増やして行きました。
私はそれに答えるのに必死で、約一年程勤めた頃、
うつ病を抱えたまま徹夜の仕事をしてしまい、体調を崩してしまったのです。

それからは、仕事どころではありませんでした。

収入も途切れ、傷病手当も受ける事が出来なくなりました。

その為、私は借金をして生活していたのです。
返せる当ても無いので、まさに自転車操業でした。

でもって、にっちもさっちもいかなくなって、もう死ぬしか無いと
考える様になりました。

今考えると、この頃、うつ病が悪化していたのでした。

で、役場で相談した結果、生活保護を受ける事になったのです。
それと同時に精神科へ入院しました。

この頃の約1年間はあまり良く覚えていません。

やった事は入院中に自己破産の手続きの為に司法書士の方に
連れられて、家庭裁判所へ行って、色々手続きをしました。

入院は長期にわたりました。

退院してから、暫くはリハビリとして、デイケアに通所する事に
なりました。
約2年程、デイケアに通いました。

その後、通院を続けながら、職業訓練を受ける事になりました。
職業訓練学校で、電気工事士の国家資格を取りに一年間通いました。

その12へ続きます。

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