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システムエンジニア[その7]

2013-12-17 05:57:31 | programming
えー、お題の「システムエンジニア[その7]」です。

パソコンショップを辞めた私は、次の仕事を探しました。

私は、システムエンジニアの仕事がしたいと考えて、
県内の仕事を探したのですが、中々ありませんでした。

そこで、瀬戸大橋を渡った岡山で仕事を探しました。

たまたま、システムエンジニアの募集があったので、
面接を受ける事にしました。

結果は採用でした。

そこでは、Delphiというプログラミング言語でアプリを作っていました。

私は、それを覚える為に、本を10冊ほど購入(自腹です)し、
仕事をやりながらDelphiの使い方を覚えていきました。

仕事自体は事業所の社内システムの作成とサポートでした。

今考えると、かなり集中してよくあの短期間でシステムが
出来たものだと思いました。

ただ、無理がたたって、私は体調を崩してしまったのです。
通勤に電車で橋を渡って、香川から岡山へ通っていたのですが、
その通勤が苦痛でした。

私はその会社を4ヶ月でまた辞める事となったのです。

その後、香川で、システムエンジニアを募集していた会社が
運良く見つかり、そこに転職する事にしました。

そこでは、MS-Accessを使ってクライアントのシステムを作って
サポートするという会社でした。

ただ、出来たばかりの会社で、私は社長と面接で色々話したら、
社長が私を気に入ってくれて、採用となったのです。

会社では、社長が営業を担当し、仕事を取ってくる事をして、
私がその会社の技術担当となりました。

私は、前職の経験から、その会社のシステム開発にDelphiを使う事を
社長に提案しました。

Delphiの良い所は、まず、開発自体がかなり早く出来る事、
アプリのメンテナンスが容易である事、一番の要因は私が今まで
開発したどの言語より、一番使いやすい言語だった事があげられます。

開発生産性が一番高いと判断したのです。

社長は自分自身がMS-Accessは解っているので、少し難色を示しましたが、
私が開発担当として専念する事を条件に、なんとかOKを貰いました。

そこから、社長と私の2人だけでやっていた仕事が増えていき、
あと2人雇う事になったのです。

面接に私も同席し、採用の合否を社長と相談する事になりました。

結果として私はその会社で社外システムエンジニアとして3年ほど
働く事になったのです。

私は当時、最大で1人で10件程度のクライアントの開発とサポートに
携わっていました。

ただ、社長がどうやら、営業と称して、夜の営業を頻繁に行っていました。

いわゆる飲み会で、お客さんを取ってくるという事をしていたのです。

最初は私も小さい会社だからそれもありかな、と思っていましたが、
だんだんと社長と私の会社に対する考え方の違いが少しずつ出て来たのです。

意見が対立する事も多くなりました。
私はやる気がだんだんと無くなっていきました。
その為、仕事のペースが落ちて来てしまったのです。

ちょうどその頃、以前にも書きましたが、社長が大きな仕事を取る為に
私に「地獄の特訓」を受ける様に勧めて来たのです。

その訓練を私は受けました。

ただ、その訓練を受けてから、ますます、社長と意見が
対立する事となっていったのです。

私は会社を「仕事が出来なくなった」と嘘をついて辞める事にしたのです。

社長の営業のやり方に、どうしても賛成する事が出来なくなっていたのでした。

そのとたんに、社長は、私の給料を半分に減らしました。
私はこれはパワハラだと思いましたが、辞める為には我慢する事にしました。

辞めた後どうするか、考えていました。
その時、今までで一番楽しかった仕事は何かを思い出していました。
それは、パソコンショップで販売員をしていた時が一番楽しかったのです。

たまたま、以前勤めていたパソコンショップで店員を募集している事を知り
そこに転職する事を社長に伝えて、会社を辞める事が出来たのでした。

どうやら、私は人間関係で辞める事が多いと自覚する様になったのです。

その8へ続きます。

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