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2018年年末ご挨拶

つい先日、年末年始の御挨拶をこのブログに投稿したつもりだったが、早いものでいつの間にか又、その御挨拶の投稿をしなければならないタイミングとなった。もたもたして、ヘッダー・デザインも正月のまま1年を通してしまった、季節感も無くなってしまい申し訳ない。否、逆に年中使えるヘッダー・デザインを考えた方が良いかもしれない。

年末は、例によってレンタルDVDで次の3つの映画を見た。
①ハン・ソロ―スター・ウォーズ・ストーリー
②アクト・オブ・バイオレンス
③ウィンストン・チャーチル―ヒトラーから世界を救った男

①は当然ながらスター・ウォーズ物語の延長というか、筋ではバック・ヒストリーになっている。未来感やスピード感あるアクションと終盤でのどんでん返しが面白い。ソロに金を貸していたジャバ様が登場しないのは何故かいぶかしむ向きもあるが・・・。

②はB級映画。ブルース・ウィリスが人質を救出するために奮闘するベテラン捜査官を演じるクライムアクション、と思い込み借り出した。本当の主人公は別にいてブルース・ウィリスは添え物。結局、面白くなかった。

③は原題が、“Darkest Hour”となっている。実話をベースにした粗筋は次の通り。
1940年5月初め、第二次世界大戦開戦初頭。ナチス・ドイツの戦勢が拡大し、フランスは陥落間近、イギリスにもナチス侵攻の危機が迫っていた。この時労働党との挙国一致内閣組閣のため、チャーチルの政敵と親友だった国王は仕方なく彼に組閣を命じた。あの映画“英国王のスピーチ”に登場する吃音の国王だ。この映画では、堂々たる名君。
しかし以前の多くの失策から“政界の嫌われ者”であったチャーチルは議会への首相就任演説で、ファシズムに徹底抗戦し、どんな困難にも耐えて勝利すると宣明するも、歓迎されなかった。英仏軍がベルギー国境に近いフランス北部ダンケルクの海岸に追い込まれる内、一方で仏カレーにいる英軍4千人を囮として捨て石になるよう命じた。そしてダンケルクの英軍30万人を救うダイナモ作戦を決断、決行。あえなくカレー英軍は完全失陥。チャーチルは、和平を主張する政敵達に追いつめられる。つまり快進撃を誇るナチス軍を前に、ファシストに屈するのか或いは徹底的に闘うのか選択に迷っていた夜、突然あの国王がチャーチル宅を訪れる。ファシズムと戦う決意をした国王から“お前を支持する。You have my support.”と2度賜り、このことを“国民大衆はどう思っているか、聞くのが良い”ともアドバイスを受ける。朝、車での当庁途上渋滞で、チャーチルは車を捨て乗ったことのない地下鉄に乗り、そこで大衆のファシズムに屈しない抗戦意識を知る。ここからチャーチルの政界内での反撃が始まる。議会で再度徹底抗戦を訴え、大きな賛同を得る。この5月1カ月約5週間の英国政府内の動きをチャーチルを中心に映画化している。この映画では登場しないが、恐らくこの後、あの吃音の国王のラジオによる国民への感動の呼びかけがあったのだろう。
ちなみにこの主役ゲイリー・オールドマンはチャーチルとは似ても似つかない俳優。それを可能にしたのは日本人・辻一弘氏の特殊 メイクと彼の演技よるとのこと。登場人物は全て実在人物。セットや衣装の考証も厳密に徹底して行われた由。こうした歴史上の人物の映画を見るのは特に面白い。

年末にNHK番組・“天皇・運命の物語”が放映され、そこで紹介されたチャーチルの言葉がある。今上天皇は皇太子時代の1953年昭和28年、エリザベス女王戴冠式に招かれた。日本軍の捕虜虐待の被害者たちの反対の声を聞き、チャーチルは“敗戦国の皇太子”を自らの首相官邸に招き、その反対派の代表も集めて昼食会を催した、という。恐らく当時日本側は嫌味なことをするものだと、はらはらしたに違いない。その時英国首相チャーチルは次のようにスピーチした。
“ここに座る野党、労働組合、メディアの諸君はそれぞれ異なった政治的意見を持っている。しかしイギリス人はどんなに強く意見を戦わせてもイギリス人らしい生き方を大切にし、それを守るためならどんな違いも乗り越えることができる。このイギリス人らしさの根底にあるのが立憲君主制なのである。”
多様性を尊重する民主主義に立脚した中に立憲君主制の本質があることを説いていたのだ。それと同時に、そこに大英帝国の歴史と尊厳があることも訴えたのだと思える。日本もこうありたいものだ。

このようにチャーチルは英国流民主主義を貫徹、ゆるぎなく実践した政治家だった。だから尊敬できる。
当時、あのヒットラーを邪悪な男と決めつけ、倒すまで徹底抗戦する決意・慧眼は凄い。それに、映画の中、チャーチルの“抵抗して敗れた国民は再度立ち上がれるが、抵抗せずに敗れた国民は立ち上がれない。”と言う意味の台詞は鋭く胸に突き刺さる。
思うに今、日本の西側に位置し、最近急速に大国として台頭している中国共産党政権。そして彼らは我が国の主権をあらゆる手段で脅かしつつある。基本的には彼等のやり方には反対しなければならない。今、日本にはそんな意見は過激だと映るかも知れない。しかし、彼等はこれまで人類史に見ない巨大な規模の警察国家、独裁国家を形成してきている。人類が獲得してきた普遍的価値を無視している。決してこれを許してはならない、彼等こそ現代のファシスト政権なのだから、と この映画を見て改めて思い直したのだ。
さしずめ、ZTEやファーウェイには手を貸すことはない。この点は米国と歩調を合わせるべきだ。
日本の多くの思想家や社会科学者がこの点に明確に意思を示さないのは何故なのだろう。不思議に思うのだ。


さて、年末の反省だが、あまり劇的な展開はなかったというのが反省点だろうか。
あるお笑いタレントが“現状維持”は難しいことでそれができれば良いのだと思っているという意味の発言をしていたようだが、それで良い人は良いなぁ!の心境。私はいつまで経ってもそんな落ち着いた心境には達していない。
この度の年賀状には定版として次のように書いた。
“旧年もEMS審査に京阪神~姫路・高松を奔走。
SDGs概念浸透に配慮も望まれ来ており、今年も一層引き締めて専念、でしょうか。”
若くもないのに、あまりギラギラした欲望そのままも恥ずかしいので、少し抑制した表現としたつもりだ。

経済動向は、米国をはじめとする世界金融市場の動向は、不況の気配が漂って来ている。何よりも年末の乱高下がそれを物語っている。景気循環論から言えばもうそろそろ陰りが見えて然るべき、という見解が主流に見える。しかし、一方では現状の米景気の指標には一点の曇りもない。インフレの兆しもなく、FRBの利上げは正当な処置であった、という根強い見解もある。さらにその景気循環論者と思しき人すら“もうそろそろ陰りが見えて然るべき”がコンセンサスとなっているが、そのコンセンサスが実現したためしはなく、そこに“落とし穴があるかもしれない”と言う始末。しかし、権威あるチャート読み者は“経済基調は上昇だが、この一年は短期的波乱がある”と言ってはばからない。
要するに一寸先は分からない、が正直なところなのだろう。これでは予測にならない。いつもながらのことだが、ソロリ、ソロリと薄氷を踏む思いで、慎重に且つ機敏に対応しなければならない。
しかし、これだけは言っておきたい。もし、不況になれば日本には、それを打開する金融調整力も財政出動する余力もない。したがい、日本経済は土俵際に追い込まれる極めて危険な状態に陥るのだ。これは何より日本の大勢の人々が支持してきたアホノミクスのお蔭なのだ。

それでもなお不透明な時期であればあるほど、その時代にはトレンドがありそれに乗り切れるか否かが生き残りを決める。それを見極める何かをこの正月は仕入れてお勉強したいと思っている。
年末の思いとしては、そんなところだ。
それに年始も何か面白いレンタルDVDが見てみたい。ここにもある種時代のトレンドを見て取る材料があるはずだ。


なお次回1月7日はお休みさせて頂きたい。余裕があれば投稿の可能性はありますが・・・。
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