The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“星野JAPAN、なぜ負けた!”-週刊ベース・ボールの特集記事を読んで
北京オリンピックが終わった。何か不幸な事件があるだろうと思ったが、テロも起きず、食中毒事件もなく無事終わって良かった。
しかし、口パク、CG映像・・・はあった。オリンピックは ウソのないことに意義があるにもかかわらず、チャン・イーモウ(張芸謀)監督は偽装した。
疑えばキリのないことだろうが、本当に 性別チェックや薬物使用など厳正に実施されたのだろうか。ここにもウソはなかったのだろうか。
ところで、日本のメダル獲得数(25個)は 人口比率で言えば韓国(31個)の2倍以上とらなければならないが、それに比べると はるかに及ばない結果である。
この数は、いみじくも日本のスポーツ界におけるマネジメントの貧困さを示していると言えないだろうか。
帰国した選手団長がグチったが 問題は金だけなのか。もっと 広い意味での、戦略を含めたマネジメントで劣っているのではないか。
柔道は 明らかにマクロの国際政治的・戦略的マネジメントで失敗している。
女子マラソンや野球は ミクロの戦術も含めたマネジメント力が不十分ではなかったのだろうか。
十数年前だったか、当時のオリンピック数ヶ月前 日本競泳陣のコーチが“各選手とも絶好調です。あとは練習あるのみです。”などど得意げにインタビューに答えているのを聞いて呆れたことがあった。一体 このコーチは自分の仕事を何と考えているのか、“練習あるのみ”ではコーチ不要ではないか、と思ったものだった。案の定 結果は惨憺たるものだったように記憶している。今の日本競泳界は変わったかも知れないが、マネジメント意識が日本のスポーツ界では全般に希薄ではないのか。
特に 野球は日本では少年野球から高校野球、ノン・プロの社会人野球、そして頂点のプロ・野球という巨大なヒエラルヒーを築き 非常に層の厚い競技人口を抱えているにもかかわらず、これまで金メダルは全く 1度も獲得できなかった。これでは いくら素晴らしい資源があっても それを有効活用する能力が日本には全くないことになる。これが問題でなくて何であろうか。
野球にとって最後になる北京オリンピック。開会前、最強のチームと豪語したにもかかわらず 手も無く負けてしまった。米国の二軍チームにすら負けてしまった。それでも、どうやら“実は日本には実力はあるのだ!” と潜在意識で思っているフシがある。そんな意識のままで 良いのだろうか。
何やら 戦前 強力な戦闘機・ゼロ戦と戦艦・大和を擁して “世界最強”と豪語した軍隊を持っていながら、敗戦となってしまった。それと 似た状況ではないだろうか。敗戦後も“実は日本には実力はあったのだ!”という意識だけは頭の片隅にあったように思うが、“実力を示していない”にもかかわらず、負け惜しみだけは強いという意識は変わっていないようだ。
将来にわたって“負け惜しみの強さ”だけで 世界に伍して行けるのか。昔、良く言われた“島国根性”は 今の日本でもなお健全なのだろうか。“勝てないモノは実力がない”のが当然の客観的評価だ。そうでなければ試合の意味はない。
“星野JAPAN、なぜ負けた!” この原因、真相が知りたくて野球の玄人が読みそうな週刊“ベース・ボール”9月8日号を手にとってみた。実は この週刊誌、野球素人の私は今回始めて手にした。
“北京オリンピック総決算”と書かれた記事は戦術論が主体の評論が多かったが、それによると、どうやら 要は 不易流行、これを星野首脳陣は適切に実施しえず、結果として1球1球に全員が気魄をこめられなかったことにあるようだ。つまるところ、選手起用にブレてはならない部分がブレて、変なところにこだわってしまったということのようだ。一番問題だったのは、投手起用、打たれた投手を何度も起用した。しかもエラーした野手も重用した。その上、試合前あれほど持ち上げていた主将としての宮本慎也氏はフル出場させなかった。本人は“試合に出ないことには本当のまとめ役はできない”と言っていたそうだが。
短期決戦のオリンピックでは 少しでも好調の いわゆる旬な選手を徹底的に起用するのがポイントではなかったのか。星野首脳陣は何か 偏った情に 流されたのだろうか。ある種の非情さや柔軟さに欠けたのではないか。
これはいわゆるコンティンジェンシー対応が上手くできていなかったと言えるのだ。旧日本軍もコンティンジェンシーが上手くできず、固定観念で戦略や作戦を組立てて負けた。
そして、戦略的には サッカーのようなナショナル・チームを常設しておらず、選手たちが国際ルールや国際的環境でのゲームに慣れていなかったことにも問題があったようだ。例えば 宮本慎也氏はオリンピック前に次のように話したそうだ。
“日本代表を継続的に強化していくしかないでしょう。プロもアマチュアも日本代表候補を選出し、国際大会がないときでもシーズンオフには合同でトレーニングを行う。そうすれば、プロの技術をアマチュアのトップクラスの選手に伝えることができますし、プロ・アマの交流にもなる。そして何より、日本代表としての意識付けができますからね。サッカー界のJビレッジのような、誰でも使えるトレーニング基地の設立なども考えていかなければならないでしょう。その流れを作るためにも、北京では金メダルを獲らなければ・・・・”
結局、星野JAPANの敗因は 戦場の様子を含めて敵の現状を知らず、おのれの現状も客観的に把握できず、即応的対応力もなかったのが真相のようだ。
週刊“ベース・ボール”では次の第2回WBCについて言及している記事が複数あったが、適切な首脳陣・指導者の選出には まず選出のための公正な基準を示すことが一番だと思う。その基準に従ってオープンに選出するべきで、妙な情実や固定観念にとらわれた選出は 止めた方が良い。
そういう客観的で現代的なマネジメント発想をしないと 日本は“自己満足”だけの国になって没落する一方だろう。今回のメダル獲得数のように 本当に中国、韓国の後塵を拝する国になってしまうだろう。いつまでたっても“実は日本には実力はあるのだ!”という負け惜しみばかりで終わってしまってはならない。

しかし、口パク、CG映像・・・はあった。オリンピックは ウソのないことに意義があるにもかかわらず、チャン・イーモウ(張芸謀)監督は偽装した。
疑えばキリのないことだろうが、本当に 性別チェックや薬物使用など厳正に実施されたのだろうか。ここにもウソはなかったのだろうか。
ところで、日本のメダル獲得数(25個)は 人口比率で言えば韓国(31個)の2倍以上とらなければならないが、それに比べると はるかに及ばない結果である。
この数は、いみじくも日本のスポーツ界におけるマネジメントの貧困さを示していると言えないだろうか。
帰国した選手団長がグチったが 問題は金だけなのか。もっと 広い意味での、戦略を含めたマネジメントで劣っているのではないか。
柔道は 明らかにマクロの国際政治的・戦略的マネジメントで失敗している。
女子マラソンや野球は ミクロの戦術も含めたマネジメント力が不十分ではなかったのだろうか。
十数年前だったか、当時のオリンピック数ヶ月前 日本競泳陣のコーチが“各選手とも絶好調です。あとは練習あるのみです。”などど得意げにインタビューに答えているのを聞いて呆れたことがあった。一体 このコーチは自分の仕事を何と考えているのか、“練習あるのみ”ではコーチ不要ではないか、と思ったものだった。案の定 結果は惨憺たるものだったように記憶している。今の日本競泳界は変わったかも知れないが、マネジメント意識が日本のスポーツ界では全般に希薄ではないのか。
特に 野球は日本では少年野球から高校野球、ノン・プロの社会人野球、そして頂点のプロ・野球という巨大なヒエラルヒーを築き 非常に層の厚い競技人口を抱えているにもかかわらず、これまで金メダルは全く 1度も獲得できなかった。これでは いくら素晴らしい資源があっても それを有効活用する能力が日本には全くないことになる。これが問題でなくて何であろうか。
野球にとって最後になる北京オリンピック。開会前、最強のチームと豪語したにもかかわらず 手も無く負けてしまった。米国の二軍チームにすら負けてしまった。それでも、どうやら“実は日本には実力はあるのだ!” と潜在意識で思っているフシがある。そんな意識のままで 良いのだろうか。
何やら 戦前 強力な戦闘機・ゼロ戦と戦艦・大和を擁して “世界最強”と豪語した軍隊を持っていながら、敗戦となってしまった。それと 似た状況ではないだろうか。敗戦後も“実は日本には実力はあったのだ!”という意識だけは頭の片隅にあったように思うが、“実力を示していない”にもかかわらず、負け惜しみだけは強いという意識は変わっていないようだ。
将来にわたって“負け惜しみの強さ”だけで 世界に伍して行けるのか。昔、良く言われた“島国根性”は 今の日本でもなお健全なのだろうか。“勝てないモノは実力がない”のが当然の客観的評価だ。そうでなければ試合の意味はない。
“星野JAPAN、なぜ負けた!” この原因、真相が知りたくて野球の玄人が読みそうな週刊“ベース・ボール”9月8日号を手にとってみた。実は この週刊誌、野球素人の私は今回始めて手にした。
“北京オリンピック総決算”と書かれた記事は戦術論が主体の評論が多かったが、それによると、どうやら 要は 不易流行、これを星野首脳陣は適切に実施しえず、結果として1球1球に全員が気魄をこめられなかったことにあるようだ。つまるところ、選手起用にブレてはならない部分がブレて、変なところにこだわってしまったということのようだ。一番問題だったのは、投手起用、打たれた投手を何度も起用した。しかもエラーした野手も重用した。その上、試合前あれほど持ち上げていた主将としての宮本慎也氏はフル出場させなかった。本人は“試合に出ないことには本当のまとめ役はできない”と言っていたそうだが。
短期決戦のオリンピックでは 少しでも好調の いわゆる旬な選手を徹底的に起用するのがポイントではなかったのか。星野首脳陣は何か 偏った情に 流されたのだろうか。ある種の非情さや柔軟さに欠けたのではないか。
これはいわゆるコンティンジェンシー対応が上手くできていなかったと言えるのだ。旧日本軍もコンティンジェンシーが上手くできず、固定観念で戦略や作戦を組立てて負けた。
そして、戦略的には サッカーのようなナショナル・チームを常設しておらず、選手たちが国際ルールや国際的環境でのゲームに慣れていなかったことにも問題があったようだ。例えば 宮本慎也氏はオリンピック前に次のように話したそうだ。
“日本代表を継続的に強化していくしかないでしょう。プロもアマチュアも日本代表候補を選出し、国際大会がないときでもシーズンオフには合同でトレーニングを行う。そうすれば、プロの技術をアマチュアのトップクラスの選手に伝えることができますし、プロ・アマの交流にもなる。そして何より、日本代表としての意識付けができますからね。サッカー界のJビレッジのような、誰でも使えるトレーニング基地の設立なども考えていかなければならないでしょう。その流れを作るためにも、北京では金メダルを獲らなければ・・・・”
結局、星野JAPANの敗因は 戦場の様子を含めて敵の現状を知らず、おのれの現状も客観的に把握できず、即応的対応力もなかったのが真相のようだ。
週刊“ベース・ボール”では次の第2回WBCについて言及している記事が複数あったが、適切な首脳陣・指導者の選出には まず選出のための公正な基準を示すことが一番だと思う。その基準に従ってオープンに選出するべきで、妙な情実や固定観念にとらわれた選出は 止めた方が良い。
そういう客観的で現代的なマネジメント発想をしないと 日本は“自己満足”だけの国になって没落する一方だろう。今回のメダル獲得数のように 本当に中国、韓国の後塵を拝する国になってしまうだろう。いつまでたっても“実は日本には実力はあるのだ!”という負け惜しみばかりで終わってしまってはならない。

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