CozyConer

サッカーやグルメや旅行やキャンプや…日常のちょっとしたことをつらつらと。JリーグのFC東京を強烈に応援しています。

明野の夏物語2015

2015年08月18日 | 旅行記

今年の夏休みは8月12日から始まりました。そしてその日はJリーグのある日。場所は山梨県甲府市です。ヴァンフォーレ甲府戦から夏休みが始まったのでした。小瀬スポーツ公園の駐車場に同じ会社のFC東京サポ仲間と集合していざスタジアムへ。猛暑が続いている甲府市ですが、この日は若干過ごしやすいのかな。なんとなく秋の空に見えました。

ここ中銀スタジアムは景色が素晴らしいです。甲府の山々に囲まれた素晴らしいスタジアム。ヴァンフォーレも青と赤がチームカラーですのでなんとなく違和感ありませんね。

いつもは味の素スタジアムのゴール裏座席に掲げられる通称「ベロ幕」がここでは写真のように掲げられてました。

ハーフタイムにはちょっとした打ち上げ花火が。ビジター側の裏から上がったので真下で楽しめました。夏はやっぱり花火ですね。

ゲームは0−1でFC東京の勝利。いわゆるウノゼロですけどあまり心臓には良くない。ハラハラしっぱなしのゲームでした。


と言うワケで、今年の明野はJリーグ観戦からスタート。幸先良い感じでボクらの夏休みが始まったのです。

中銀スタジアムから小一時間で明野のいつもの家に到着し、サポ仲間のご家族と祝杯をあげました。そして翌朝、彼らは新潟へ向けて帰省して行きました。山梨から長野を回っての新潟入りだそうです。なんだか楽しそうですよねぇ。ロングドライブ行ってみたいなぁ。

ボクらは少し明野でゆっくり過ごす予定です。アマガエルが庭をひょこひょこ飛び回ってます。車にもちょこんと乗ってました。

隣の畑は親戚が借りているんですが、夏野菜が美味しそうに実ってます。ナスは取っても取っても翌日にはまた大きな実がなっていました。イタチごっこです。

14日金曜日にこの休み最大のイベント?茅ヶ岳登山を実行しました。早起きして韮崎側にある登山口駐車場を目指します。かれこれ5年ぶりくらいだと思います。それまでは毎年登っていた茅ヶ岳。どれくらい自分の体力が落ちているかの試金石にもなると思って再チャレンジしてみることにしました。

いつもは5月の連休に登っていたので、真夏の茅ヶ岳は初めてです。草木がこんなにうっそうとしてるんだ、なんだかちょっと怖い感じ。何しろ人がいません。ゴールデンウィークの頃は駐車場が満車になるくらいなのに。熊鈴を持ってこなかったのを悔やみます。

この山は日本百名山の著者である深田久弥氏が絶命した山としても有名です。また裾野が長いので遠くから見ると八ヶ岳と間違えてしまうので「ニセ八」とも呼ばれています。その長い稜線を歩くので最初の1時間少々はダラダタとした登り坂になります。イメージとしてはこのダラダラ坂の終点である女岩付近までは比較的楽勝で行けるのではないかと思ってました・・・が・・・気温はそれほど高くはないものの、湿度があって体力を想像以上に消耗させます。もう汗がダラダラ止まりませんでした。ほぼポカリスエットを飲み尽くす勢いですわ。

それでもまだ少し余裕があったので、こんなキノコの写真とか撮ってました。真っ白で食べたら絶対にどうかなっちゃうキノコだと思います(笑)

ここが中間地点の女岩の手前です。落石が多いらしく、女岩までは行くことが出来ませんでした。実はそこは水場でもあり、冷たくて美味しい水が湧いているんです。楽しみにしてたのになぁ。

さて、ここからは山の腹部を這い上がるように登ります。急登になるところなのでしっかりと休憩を取りました。でも既に足腰がボロボロ・・・一抹の不安が過ります。

もう写真を撮る余裕すらありません。いきなり尾根道の写真になりました(笑)

この場所で深田久弥氏は命を落としたそうです。久しぶりに見る彼の碑に感無量。よくぞここまで登ってきた、と自分を褒めまくります。もういいやここで。もう降りてしまおう、マジでそう思うほど体力を消耗していました。しかし上を見ると木々の背が低くなり、空が見えています。頂上が近い証拠です。もう一度久弥氏に「ちょっと頂上まで行ってみますわ。後でまたお会いしましょう」と別れを告げて先を目指しました。

この尾根伝いがまたしんどい。道幅は狭く岩をよじ登る箇所も多々あります。でも一歩一歩登る毎に空気が変わるのを感じるんですよ。山頂が近いからなんだと思いました。

先ほどの女岩から1時間程で無事に山頂に到着。ここも夏場だとうっそうとしていて景色が見えないのがショックでした。春だと草木があまり茂ってないので、南アルプスとかバッチリ見えるんですけどねぇ。

そしてこの日はガスが多くて眺望はあまり良くありませんでした。登山靴を新調してから高尾山くらいしか登ってなかったので、靴のクセがいまいちわかりませんでしたが、今回はしっかり確認出来ました。足首の部分に痛みを感じるので次回からは何か対策しておかないと。とにかくまだまだ履きこなす必要があります。

ちょっと雲が切れたので写真を撮ってみました。韮崎市街だと思います。実は正面には南アルプスが見えているハズなんですよね。鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など綺麗に見えるんですが・・・

なんとか無事に下山し、明野の家でグーグーと昼寝をしてしまいました。なんて気持ちいいんだ!

そしたら綺麗な夕焼けが。写真だとあまりよくわかりませんね。綺麗なピンク色に空が染まっていました。

今回の明野滞在は、何処へ出かけるワケでもなく、のんびりと過ごすことが出来ました。高校野球とか見て過ごしたりね。なんか贅沢な時間です。

翌朝は快晴だったので、筋肉痛に鞭を打って朝の散歩に出てみました。どうです、この八ヶ岳は。美しいですよねぇ。

南アルプスも負けじと美しいです。朝だと日差しに角度があるので影が長くできていろいろ立体感のある景色になりますね。本当に気持ちの良い朝の散歩でした。

楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまいました。でもそのおかげで心身ともにすごくリフレッシュしたように感じます。まだあちこち筋肉痛なところがありますけどね・・・

また来年の夏、明野を満喫しようと思います。ありがとう明野、また会う日まで!


神々の国、出雲の旅

2015年02月21日 | 旅行記

皆さんは飛行機のマイレージを貯めていますか?我が家はいろいろな支払いをとある航空会社のカードに集約してコソコソとマイルを貯めている、いわゆる陸マイラーと呼ばれている部類です。意外と貯まるんですよ(笑)

でもマメにチェックしてないと、せっかく貯めたマイルが失効してしまうことに!そこであわてて旅行でも行くか、と空いてる飛行機を探したのが「出雲便」だったワケです。

そんな不純な?動機はこの際無視しまして、2月14日のバレンタインデーに羽田を飛び立ったのでした。離陸直前にエンジントラブルというチョー不安な出発でしたが昼前に島根県の「出雲縁結び空港」に降り立ちました。名前がステキな空港ですよね。この日はひとまず松江市街に向かうことにしました。

松江駅付近でお昼を食べてから松江城に向かいます。松江城のお堀をゆっくりと廻る「堀川遊覧船」に乗ってみました。

こんな感じで船頭さんが観光案内しながらお堀を一周します。船の中はコタツになっていて、風は寒いものの足元はポカポカです。

ここは小泉八雲の生家だそうです。八雲さんの銅像もありました。こんな風にいろいろ案内してくれてとても楽しいです。そして・・・

所々、とても低い橋があるんですけど、その時は屋根が下がります。みんなコタツにうつ伏せ状態。こちらご一緒した女子大生と思われる3人組、その内2人が気持ちよさそうに眠ってしまいました(笑)

一周するのに1時間もかかりません。これはオススメです。船を降りたらお城に向かってみました。

なんとも勇ましいお城です。でも入場料が高かったのでそのままスルー(^^; ちなみに天守閣が現存する貴重なお城なんだそうですよ。これまで国宝だったのが、法律が変わって重要文化財に格下げ?になったと船頭さんは嘆いてましたが・・・

さぁ、実は結構時間がタイトなんです。先を急ぎます!

ジャーン!ここは宍道湖です。汽水湖でヤマトシジミで有名ですね。この日は風が強くて白波が立っていました。なんだか海そのものです。この近くに「宍道湖しじみ館」という施設があったので覗いてみました。

お土産がメインなのかな、しじみについてのうんちくを説明しているコーナーもあるんだけど、あまり人が入っていないような・・・その中で目に付いたのが「しじみソフト」です。食べなかったけどね。試してみても良かったかなぁ〜。

ここから歩いてすぐのところに一畑電鉄の「松江しんじ湖温泉駅」があります。ここから電車の旅が始まります。この日乗った電車は割と新しい車両でしたが、概ね年季の入った古い車両が多い様です。

これわかりますかね?東京の京王線で使われていた車両とすれ違いました。こういうお古の車両が走っているのも鉄っちゃんにはたまらない鉄道なんだと思います。1時間程揺られて出雲市駅まで移動し、この日は出雲のホテルに泊まりました。

翌15日は少し早めにホテルをチェックアウトし、出雲大社を目指します。出雲市駅前からバスに乗り途中の旧大社駅前で下車しました。

どうですか、この威厳のある駅舎。どこかで見たような・・・調べてみると設計者が東京の高尾駅を設計した方なんだそうです。1990年までJR西日本の駅として使われてました。今は廃線になっています。

駅前には丸型の郵便ポスト。「このポストは復元したもので使えません」となってましたけど、うちの近所じゃまだまだ現役の丸型ポストがたくさんありますよ。

駅にはSLも飾ってありました・・・が、かなり傷んでます。これ危ないんじゃないかなぁ。小さいお子さんは注意が必要です。

遠くに出雲大社の白い鳥居が見えるですけどわかりますか?昔は東京から直通の特急「出雲」というのがあり、ここで降りて出雲参りしたんでしょうねぇ。

旧大社駅を後にして先に進みます。途中に道の駅があったので、ちょいとトイレを拝借するために立ち寄りました。そしたらこんな公衆電話が・・・

ン?普通の電話じゃね?

どうみてもかつてはNTTだったと思われるボックスに普通の電話が置いてあります。市内はこれで無料通話できるみたいですね。

また駅です(^^;

ここは昨日乗った一畑電鉄(通称バタデン)の出雲大社駅。そして飾ってあるのが「デハニ50型電車」だそうです。これ映画に使われたんだそうですよ。中井貴一さん主演の・・・

RALWAYSという映画です。脱サラしたサラリーマンが電車の運転士になるというストーリー。今度観てみようかな。

はい、ようやく出雲大社に到着です。ここから参道になるんですけど、珍しく下り道です。出雲と言えば神話、神話と言えば「因幡の白うさぎ」ということでしょうか、境内のそこかしこにウサギがいます。

カワイイですよね。ワニ(サメのこと)に皮を剥がされて泣いているウサギに優しい大国主命が真水で体を洗いなさい、と声をかけてあげます。確かそんな神話でしたっけね。

こちらが本殿になります。チラっと上の方に見えているのが本殿ね。以前仕事の関係で出雲に来た際、「お庭踏み」というお祓いを中で受けたことがありました。懐かしいなぁ。この日は日曜日とあってたくさんの人が「お庭踏み」の順番を待ってました。

出雲大社というとこちらの写真がよく知られてますね。でもこちらは神楽殿というところだそうです。そして「いずもたいしゃ」ではなくて「いずもおおやしろ」と読むのが正しいようです。それにしてもこの大きなしめ縄は迫力モノです。前はこのしめ縄にコインを投げでうまくはまると御利益があるとか言われてましたけど、今は禁止されてます。コインが刺さらないように網がかけてありました。

ところで何で出雲大社が縁結びの神様なんでしょうか。いろいろ諸説ありますが、どうも男女の縁を取り持つという意味ではないようです。人々のあらゆるご縁を結んで下さる、とても優しい神様、それが大国主命(おおくにぬしのみこと)だそうです。これからもいろんな人とのご縁を大事にしようと思いました。

今回の旅で実は一番楽しみにしていたのが、「古代出雲歴史博物館」です。古代史大好きなボクとしてはよだれモンです(笑)

出雲大社では大木で組んだ柱の跡が多数見つかっています。諸説いろいろあるようですが、この古代の出雲大社はこの模型のような空中神殿だった、とのこと。平安時代に書かれた書物に記されていた、ってことは平安時代(西暦970年頃)以前の話だった、という意味ですから、そんな時代にこれほどの建造物が出来たのか、と信じられないような信じたいような不思議な感覚です。だって今造るのも大変ですよ、これ。

これは出雲で出土した銅剣です。すごい数じゃないですか。昭和59年に358本の銅剣が発見されたんです。これはここ出雲に一大勢力があった、という意味を示している、当時としてはとても大きな大発見だったそうです。それまでは、古代の出雲国なんて実は大した勢力じゃなかった、というのが定説でした。それが一気に覆り、神話の「出雲の国譲り」というのは実話なのかもしれない、というのが最近の大方の見解です。

その後も銅鐸がザクザクと出土しました。もうこれは大陸文化としっかりと交流していた、という証にしかなりませんね。大和朝廷ではほとんど銅鐸は出ていませんので、別の文明が出雲にあった、ということです。倭国は西日本一帯を収めて行きますが、その際出雲国と壮大なる戦いがあったのかもしれません。出雲は滅びるのですが、その後の政府広報誌である古事記や日本書記には「出雲が国を譲った」という美談に仕立て上げた、という感じでしょうかね。古事記や日本書記には「大国主命は天皇の守護神になった」と記されているので、今でも大黒様と名を変え、縁起の良い神様として愛されているのでしょう。

大社前のお蕎麦やさんで「出雲蕎麦」を堪能した後、そろそろ出雲を引き上げなければなりません。空港に戻るまで少し時間があったので海岸まで歩いてみました。

稲佐浜というところに「弁天島」というパワースポットがありました。古くはもっと沖にあった、と言われています。だから島なんですね。出雲地方は10月の神無月を「神在月」と言います。各地に散った神様が出雲に帰ってくるから、です。そしてその神々がこの浜から陸に上がるんだそうです。なんだか神秘的ですよね。

思いもよらぬきっかけで始まった出雲の旅。でもしっかりと楽しんで来ました。とても充実してたくさんパワーをもらった二日感になりました。長文お付き合いいただきましてありがとうございました。きっと皆さんにも出雲の神様パワーが授かること間違いありません(^^)


札幌ドームから小樽へ

2012年05月19日 | 旅行記

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 5月12日早朝、7時半羽田発の飛行機に乗るために我が家を5時前に出る。今回は札幌に向かいサッカー観戦した後、小樽をのんびりと散策する旅の予定。やや曇り気味の天気だったけど、その雲を突き抜けると快晴の青空。まずまずのフライトだった。

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 新千歳空港に9時過ぎに到着。気温は低くて10度切ってる。寒いわぁ~。でも今日は札幌ドームなのであまり寒さは心配していない。JRで新札幌に向かい、そこからシャトルバスでドームへ向った。風が強くて体感的には氷点下みたいな気温だけど、すぐに入場できたので助かりました。待機列並んでたらしんどかったろうなぁ~。ご存知札幌ドームはプロ野球北海道ニッポンハムファイターズの本拠地でもある。しかし今日はJリーグのサッカー観戦。その為に天然芝生に入れ替えて使用する仕組みだ。壮大な仕掛けのあるスタジアムだ。ちょっと感動。仕掛けに興味のある方はコチラ

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 コンコースでは東京MXテレビ、FC東京魂のレポータ、ジョナサンが取材していた。

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 ゲームの結果は、開始早々FC東京が梶山選手の技あり的シュートで速攻先制。きっと大量得点だぞ!と期待したのだが、結局その虎の子の1点を、札幌の猛攻を耐え抜いて守った、というハラハラした内容だった。ま、勝てばいいのだ。

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 スタジアムを後にして、ボクらはそそくさと小樽へ向う。JRで札幌駅を過ぎると車内はガランとなった。

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 久しぶりの小樽はだいぶ垢抜けた街になっていた。昔はもっと情緒あったように思うけど、ちょっとわざとらしいモダン化した街っているのかな。でも悪くはない。とてもステキに生まれ変わっている。早速夜の小樽だ。ホテルは運河沿いのお洒落なところだけど、観光客目当ての寿司屋とかには興味がない。地元繁華街の花園地区へ向い、いろいろ道に迷いながらも「魚一心」という居酒屋ののれんをくぐった。ここはお酒にはあまり気を使ってないけど、魚料理には絶対の自信を持っている店だ。しかも安い。以前仕事で取引先の方に紹介してもらい、今回もここへ行ってみたかったのだ。いやぁ~、新鮮な魚を堪能しました、ご馳走様でした。

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 ほろ酔い気分でホテルに戻り、早朝に出て来た疲れもあってバタンキュー…。翌朝は小樽を散策しようと、小樽らしいところを巡ることにした。小樽は坂の街でもある。当初レンタル自転車を借りようかとも思ったけど、坂を楽しむのも悪くない。ということで、いきなりの急勾配、小樽駅近くの船見坂から登ってみた。15%っていうことは、水平に100m進むと高さは15mに達する角度だ。これはきついですよ。雪降ったら車も人も無理じゃないだろうか、というくらい。でもちゃんとした生活道路なんだよね。すごいや北国は。

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 前日ほどの寒さはないけど、空気は冷たい。桜が見頃になっていた。綺麗な青空とのコントラストだ。

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 こちらは10%の勾配だが距離の長い地獄坂。もうヘトヘトだよ、という図(笑)

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 この地獄坂の終点には小樽商科大学がある。桜が綺麗に咲いていた。遠くには海も見えるし良い環境だと思うが、冬は大変なんだろうなぁ。

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 今度は海側に向ってみる。途中見晴の良い公園等があったりして小樽市街を一望できる。更に坂を下って行き、JRの線路を越えると小高い丘になった。その丘には水天宮が祀られていた。ご存知安産の神様だ。

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 そしてその境内からの眺めがコレだ。遠くに小樽港が見える。とても気持ちが良い。

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 これまでずっと小樽の山側をブラブラ歩いてきたが、ここからいわゆる観光のコアな部分に入っていく。これは南小樽付近にある北一ガラス。古い倉庫を使ったモダンな店舗だ。

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 こちらは北海道のお菓子で有名な六花亭の店舗。なんともステキな雰囲気だ。いろいろな店に顔を出し、試食のお菓子をつまみながら更にブラブラと散策は続く。

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 途中で見かけたボンネットバス。もう時代は昭和である。こんなに似合う場所は無い感じ。

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 運河沿いにもステキな商業施設があるのだが、更に北側に運河を進むと、そこはもう運河が普通の生活圏になっていた。この運河は今でもちゃんとした生活の道なのである。

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 また小樽は北の貿易の玄関口だった為、古くからの建物が今でも現存している。これは日本郵船小樽支店のビル。ちゃんと重要文化物として保存されているのだ。ここは見学も出来る。このビルの会議室で日露戦争後のポーツマス条約が交わされたそうだ。明治39年11月のことである。この時から樺太半島の半分は日本の領土となり、日本の歴史上初めて海上以外の国境線が誕生したのだ。樺太半島に国境線を引くのに苦労した資料や写真等も展示されている。

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 また小樽の街中にはこんな廃線跡が残されている。手宮線と言って北海道初の鉄道だそうだ。この線路沿いを歩くこともでき、所々に美味しそうなお店もあった。なんかワクワクしてしまうね、こういうところは。

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 夕方近くになり、JRで新千歳空港に向った。乗ったとたんに寝落ちしてほとんど意識のないままに空港へ到着。いやぁ~、今回の札幌ドームでのサッカー観戦からの小樽散策は充実したなぁ。すっかり小樽ファンになってしまった。遅い時間のフライトだったので、夕食にサッポロラーメンをチョイス。ちょっと盛りだくさんのトッピングにしたのだが、案外ペロっと食べてしまった。来年もまた北海道にサッカー観戦しに来たいので、コンサドーレ札幌さん、J1に残って下さいヨ。お願いします。


しまなみ海道と古都奈良の旅 (いにしえの奈良編 その2)

2010年10月24日 | 旅行記

いにしえの奈良編 その1から続く

【第6日目】2010年10月21日(木)雨のちくもり

 あぁ、やっぱり。朝から小雨が降っている。天然温泉の朝風呂を浴びて外を眺めてため息が出た。先週までの天気予報では雨マークはなかったんだけど。それにしても奄美大島の大雨のニュースには度肝を抜かれた。被害にあった方々にはお見舞い申し上げます。

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 ということで、この日の自転車は諦めて、大和郡山市内にある遷都1300年祭の駐車場に向った。ここに車を止めて、会場まではシャトルバスに乗って行く。平日だから駐車場もシャトルバスもガラガラだ。こりゃ会場も空いているに違いない、と思ったら大きな間違えであった。遷都1300年祭はもはや説明する必要もないだろう。知らない人はリンクを張っておくので確認して下さいナ。会場のシンボルである朱雀門にはたくさんの人が写真撮影に励んでいた。

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 この日はたっぷりと遷都1300年祭を楽しみ、余力があれば奈良市内の見物をしようという計画。でもこの1300年祭のスケールもデカ過ぎた。結構広大な敷地に展示物があるので、次の目的地までが遠いし、会場内を近鉄線が通っていて、これが開かずの踏み切りになる時があるのだ。イライラするわぁ~。写真は遣唐使が中国(唐)まで渡った船を再現したもの。ほとんど資料が残っていないので、ほぼ想像で作ったらしい。こんな近海の漁船並みの船で大陸目指すのも勇気がいっただろうに。この船が飾ってある「平城歴史資料館」は入場料がかかるが、是非オススメする。中々の迫力ある映像が楽しめるぞ!

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 会場の中ほどにある交流広場では、あの「せんとくん」に会うことができる。かつて奈良のゆるキャラで物議をかもし出した「せんとくん」、今ではすっかり人気者だ。不気味だ、と因縁付けられて、新しいカワユイ系キャラの「まんとくん」を覚えておられるだろうか?会場内の売店でもチラっと見られるかどうか、だった。

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 この平城遷都1300年祭は言うまでもなく平城宮がここに遷都してから1300年目の節目を記念した祭典である。その再現している平城宮でも一番の大事な施設がこの第一次大極殿だ。大極殿とは朝廷の正殿であり、中央には天皇が鎮座し、様々な国家儀式が行われた場所である。この大極殿を再現するに当たり、ほとんど資料が残っていなかったこともあり、10年の歳月を経て今年完成したそうだ。第一次と言っているのは、聖武天皇が一時、都を恭仁京へ移したことがあり、それまでの大極殿を第一次と言っている。その後再び奈良へ遷都するのだが、その時建設された大極殿を第二次と呼ぶとのこと。従ってここで再現されているのは最初の大極殿だ。

オススメ情報:平城遷都1300年祭に訪れる際、もしiPod等の携帯音楽プレイヤーをお持ちならば、事前に音声ガイドをダウンロードしておくことをオススメします。コチラからダウンロードできます。予習しておき、実際に現場で再生することで更に理解を深められること間違いなし!

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 天気はどうにか雨は上がった感じ。遷都1300年祭の会場を離れて奈良市街へと言ってみた。JR奈良駅行きのシャトルバスがタイミング良く出発するので便乗。ブラブラと歩いて元興寺、興福寺と歩いてみた。お寺巡りは拝観料が結構バカにならないのですよ。だから外からチラっと拝見する程度に。写真は興福寺の五重塔。

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 興福寺の近辺には鹿が普通に歩いている。よく慣れたモノでのっしのっしと近付いてきて、こちらが鹿せんべいを持ってないとわかると、プイっと行ってしまった。

 この後再び遷都1300年祭の会場までバスで戻り、大和郡山駐車場行きのシャトルバスに乗ったのであった。昨日まで自転車を使っていたので、歩いたりバスを使ったりの移動がちょっと息苦しく感じた。自転車の機動性ってスゴイ!と改めて感じたのであった。

 さ、ホテルに戻って温泉だ。この日の夕食は、ホテルのすぐ隣にあるカフェレストランCaffe gitaでイタリアン料理を頂いた。奈良の最後の夜は赤ワインで。大変美味しく頂きました。

【第7日目】2010年10月22日(金)くもり時々晴れ

 さぁ、しまなみ海道から始まった長旅も今日で最後。お世話になったホテルを後にして帰路に着く。ただし今日は金曜日。このまま高速に乗って帰ってしまうと高速代が高いのだ。中央自動車道八王子ICを深夜0時を少しでも回ってさえいれば翌日の土曜日となる為、土日割引の1000円が適用される。となると逆算すると1000円が適用される入口のインター、滋賀県の名神自動車道大津ICを午後7時頃入れば良いことになる。それまではブラブラと観光して帰ることにした。

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 まずは斑鳩方面に向かい、法隆寺を目指す。早朝にも関わらずたくさんの修学旅行生がいる。引率する先生も大変だ。ここの目的は日本最古の木造建築物とかではなく、これだ…

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 正岡子規の俳句、「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句碑が見たかった。そして遠くに「ゴーン」という鐘の音が聞こえれば最高だな、と思っていたらちゃんと聞こえたのには感動した。

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 そして次に向ったのが薬師寺。こちらはきちんと拝観料をお納めして中へ入ることにした。薬師如来像とその左右にいる日光菩薩、月光菩薩にお参りしてきちんと体調が戻ることを祈願する。運良くお坊さんの説話を拝聴することが出来た。それによると、薬師如来はいわゆるお医者さんの仏様、左右の日光、月光菩薩は看護師の仏様、もっと言えば日光菩薩は日勤の看護師さん、月光菩薩は夜勤の看護師さんで24時間体勢で見守ってますよ、という意味だそうだ。この薬師寺は奈良時代の薬師寺を再現しようと目下頑張っているらしい。その為には資金が必要だ。そこで参拝に来られた方々に写経を勧めている。2000円のお布施が必要だが、書いた写経はこのお寺で保管され永代供養されるとのこと。ちょっと興味があったので写経セットをゲットしてみた。後日持参するか、郵送で構わないそうだ。これから少しずつ写経をしてみようと思う。

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 薬師寺には2つの塔が立っている。こちらは東塔と言って最古の塔だ。屋根が6枚見えるが、実は三重塔である。扉の数を数えてみると3つあることがわかる。この東塔、1300年間風雨に耐え、そろそろ限界だそうだ。今年で一旦役目を終えて、10年間の改修工事に入るそうだ。立て替えるにも昔の工法を忠実に再現するので、10年もの歳月がかかるのだろう。特別に内部を公開しており、見ることができてホントにラッキーだった。

 6泊7日の旅も終えていよいよ帰路に着く。滋賀に入るまでは下道をのんびりとドライブ。そこそこ渋滞もあったが急ぐ必要もないので調度良い。知らない街をドライブするのも楽しみのひとつである。ガソリンを給油して、琵琶湖のほとりで一休みしてから名神自動車道に乗った。帰りがてら夫婦で「あそこの景色は良かった」「あれ食べるの忘れた」などの会話で、あぁ、終わってしまったんだな、と感慨深くなる。中央道諏訪SAで夕食を取り、途中眠くなったのでちょこっと休憩しながら、翌日の0時20分過ぎに八王子ICを通過。無事1000円であった。

 今年の一大イベントが無事終了して事故も怪我もなくホッとしている。実は奈良のホテルの温泉で左足の小指を露天風呂の岩にぶつけて今もちょっと痛いんですけどネ。自転車も車も良く走ってくれた。またいつもの生活に戻るけど、楽しい思い出ができ、いろんな人に感謝の旅でした。有難うございました。完


しまなみ海道と古都奈良の旅 (いにしえの奈良編 その1)

2010年10月24日 | 旅行記

 さて、前回前々回としまなみ海道のサイクリングをご紹介してきたが、これからは奈良を巡った旅行記となる。簡単におさらいしておくと、10月16日の土曜日の夕方に東京を旅立ったボクら夫婦は翌日17日日曜日に愛媛の今治に辿り着く。18、19日の月、火曜で今治から尾道を自転車で往復した後、20日水曜日にフェリーで大阪入りしたのであった。

【第5日目】2010年10月20日(水)くもり

 大阪南港に上陸を果たしたボクらは、一路奈良県の飛鳥を目指す。ちょっと天気が心配だ。どんよりとした曇り空。大阪の街が灰色に見える。最近、日本史にハマってしまっていろいろ本を読んでいるのだが、ボクの一番興味のある時代は何と言っても飛鳥時代。縄文時代、弥生時代を経て、大陸の文化をうまく日本風に取り入れていく。決して大陸に屈せずにオリジナリティな文化を育てていった我が祖先。大和朝廷が次第に勢力を伸ばしていくところがもの凄く興味がある。

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 そうこう思っている内に飛鳥駅前に到着。少し小雨まじりだ。今日は自転車乗れるだろうか?と思いつつも駅前駐車場に車を置いて、自転車のスタンバイだ。降られてもいい準備だけはしておこう。

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 まずは近いところから高松塚古墳。もう有名であらためて説明する必要もないが、ここで発見された壁画は昨今かなり劣化してしまい、直接見ることはできない。この古墳の近くに展示されている壁画はレプリカだ。それでも一見の価値は十分ある。推定1400年以上も前に描かれた壁画は繊細で本当に見事だ。余談だが、この古墳はいったい誰を埋葬していたのだろうか?という問題にはいろいろ諸説があるらしい。ところが歴代の天皇の古墳とされているところは、宮内庁が立ち入りを禁じており、自由に歴史調査が出来ないらしいのだ。高松塚については天皇説、巨下説等いろいろあるので調査対象になりやすいのだが、仁徳天皇稜みたいに天皇家とされているところは一切調査できない。本当はこういうところをすべて調査すると今まで解明できない部分が解き明かされていくんだと思うが。宮内庁は何かを恐れているんだろうな。天皇家のルーツが朝鮮半島からの渡来人であった、なんてのを恐れているんだろうか?事実ならそれでいいじゃないか、と思うんだけど。ちょっと脇道に逸れました…

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 明日香村を走っていると、こんな田園風景に心が和む。ところで「飛鳥」と「明日香」、どちらが正しいのだろうか?どうも調べてみると、明日香村の中に飛鳥という地名があるらしい。

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 ほとんど田んぼのあぜ道のようなところに点在する謎の巨石、鬼の雪隠、鬼の俎、亀石などをチラチラ見つつ、着いたところが聖徳太子ゆかりの橘寺。聖徳太子が生まれた場所だと言われており、ご本尊も聖徳太子である。調度修学旅行生と一緒になったので、ついでに先生の説明とか聞いてしまってちょっとラッキー。ふんふん、なるほど、見所はあそこね、みたいな感じ。

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 飛鳥と言えば石舞台と言うほど代名詞化しているが、これは舞台だったワケじゃない。その形状から舞台っぽいのでそういう名前になったのだろう。狐が女性に化けて舞っていたとかいう話もあるが、たぶんウソだろう…たぶんね。ここは蘇我馬子の墓という説が有力らしい。そして当時からこの石が露出していたワケじゃなくて、他の古墳同様に盛り土があったらしく、長い年月で風化されて露出したとのことだ。当然中身のお宝は盗賊にすべて持って行かれたに違いない。

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 明日香村の路地をのんびりとポタリング。どうやら天気は持ちそうだ。

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 ここは日本最古の大仏がある飛鳥寺。曽我氏の氏寺だそうだ。ご本尊の大仏様は、奈良東大寺や鎌倉の大仏様よりはかなり小ぶりであり、面長なお顔なのが特徴だ。6世紀から7世紀にかけて作られた大仏は、聖徳太子もご覧になった、という話。なんかロマンを感じるわぁ~。この面長な大仏様はナマ聖徳太子の顔を見たんだなぁ~、という目で見ることをオススメする。

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 この近辺はまだ発掘調査が粛々と続けられている。近い将来、すごい大発見があることを期待せずにはいられない。

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 この日の締め括りは橿原神宮だ。いやぁ~、スケールがすげ~、でっけ~というのが素直な印象。平日だったせいもあって人が少ないからかもしれないけど、明治神宮の比じゃないぞ、ってな感じだ。ここは神武天皇を祀っているとのこと。七五三の写真を撮っている親子がいたけど、こういう威厳のある神社でお参りするといいだろうなぁ~と思ってしまった。

 飛鳥駅前の駐車場に戻り自転車を車に収納した。なんとか雨には降られずにすんだ。感謝感謝。奈良では2泊する予定で、ホテルは大和郡山のスーパーホテルにお世話になった。天然温泉があり、疲れた身体には大変ありがたい。ただし駅から遠く、近くに飲食店が少ないのがちょっとネックかも。そんなこともあって、この日はホテルの近所にある惣菜屋でおかずを数点買ってきて、部屋での簡単なディナーだ。割と美味しくて全然オッケーだった。続く…