CozyConer

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我が家から見える山 ~大岳山~

2009年02月22日 | 登山・ウォーキング

P1010357  晩秋から初春にかけて、冬ならではの空気が澄み切った日には我が家から奥多摩から秩父方面の山並みを見ることができるが、その中でひときわ目立つ山があった。ひょっこりと角を出したような山で、八王子方面ではその風貌からキューピー山とも呼ばれている「大岳山」である。なるほど、キューピーの頭の部分に似てなくもない。いつか登ってみようと思っていたのだった。
 大岳山は、いくつかのアプローチ方法があるが、オーソドックスな御岳山からJR青梅線の奥多摩駅までの縦走コースを選んでみた。我が家から西武拝島線の拝島駅へ向かい、JR青梅線に乗り換える。ちょうど休日運転するホリデー快速に接続できて、御嶽駅で下車だ。そこからバス、ケーブルカーと乗り継ぐ。歩いて行けないこともないが、この先の縦走を考えると、最初のアプローチは文明の利器を利用した方が体力的にも時間的にも有効である。ケーブルカーで一気に標高を稼ぐと御岳山はまだ蝋梅がほころび始めていた。
P1010347  やがて道はそれらしく登山道となっていく。ジグザグと急登が続き、芥場峠へと上がる。平坦路と急登の先には大岳山荘が見えている。ぽかぽかと春の日差しの中、北斜面にはまだ雪が残り、所々凍結しているので注意が必要だ。岩場と鎖場を越えると山荘前に到着する。残念ながらこの山荘は去年の3月に閉鎖されてしまった。まだ十分に使える立派な山荘であった。
P1010350  小さな神社、大岳神社にて行程の無事を祈願し、大岳山のキューピーの頭頂部、鶏冠の部分へ差し掛かる。一気に登り切りたいところだが、さすがにこの急登はしんどい登りだ。ほうほうのていで登り切ると山頂には既にいくつものパーティーが思い思いに昼食を楽しんでいた。南面に場所を確保し、こちらも昼食の準備に取り掛かる。最近のブームはカップヌードルだ。ローカロリーなモノが新発売されたが、すぐお腹が空いてしまった。登山にはカロリーがある程度あった方が腹持ちするかもしれない。風もなく、むしろ上着を着ていると暑いくらいだ。真正面には今にも春霞に消え入りそうな富士山が薄っすらと見えている。我が家から見えているということは、東側を見れば我が家が見える計算だが、こうも霞んでしまうと何も見えなかった。
P1010365    大岳山までスタートしてから約2時間、そしてここから奥多摩駅までが実は長いのである。途中、鋸山を経由しての高度を下げる尾根伝いであるが、その間に大小様々なピークがある。尾根道を歩いていくと、御前山の雄姿が目に留まる。ダラダラと下っていると、次のピークが現れるという変化に飛んだコースであり、鋸尾根というのは、きざきざしているからなのだろうか、と妙に納得してしまった。今日の逆コースはかなりしんどいのではないだろうか。やがて最後のピーク、愛宕山に出るところでついうっかりロストコース。アスファルトの道、集落の中を奥多摩駅方面に向かってしまったのである。若干の遠回りだったかもしれない。奥多摩駅へ到着する頃には日も傾いてきており、気温もぐっと下がっていたが、とても満足した山行であった。帰りも運よくホリデー快速で一気に拝島まで行き、そのまま西武線に乗り換えるハズだが、少し反省してから帰るか!と相方のまぁ坊と意気投合!「や台や 拝島店」で舌鼓を打った次第である。ここは17時から2時間、飲み物半額なので、下山後の反省会場所としては申し分ないお店であったこと最後にご報告しておこう。


近所にあった戦跡・・・

2009年02月14日 | まち歩き

P1010327  前日に春一番が吹き、既に春の陽気を通り過ぎて初夏の一歩手前くらいの陽気であった2月14日の土曜日、西武沿線マンスリーハイクへ出かけてきた。今回はものすごく地元コースで、我が家の目の前をかするコースでもあったのだが、ちょっと目に付いた物を紹介しようと思う。

 写真の建物は、都立東大和南公園にある「旧日立航空機立川工場変電所」である。今回のスタート駅、西武拝島線の玉川上水駅から歩いて数分の所に位置する公園内に、突如として現れる建物だ。遠目には一見そろそろ閉鎖される公園の事務所か何かくらいの感じに見えて取れるが、近付いていくと、その異様さに目が釘付けとなった。

P1010329_2

 その建物の外壁には、無数の穴が存在する。古くなって朽ち果てた跡ではないというのがすぐにわかる。この施設は、立川にあった旧日立航空機の工場へ電力を送信する施設であった。その為、先の大戦時において、米軍の格好の標的となり、空襲で受けた弾丸や爆弾の破片によって出来た穴だったのだ。ご覧のように蜂の巣状態である。近くにあった設備は多大なる被害を受けたのだが、この施設だけは難を逃れて、今日までここに保管されている。そして驚くことに、平成5年まで中の設備を手直ししながら稼動していた、ということだ。このような戦跡が我が家からいくらも離れていない場所にあったことに驚くと共に、あらためて戦争の怖さを思い知った。

 この公園では、2月としては異常とも思われる暖かな日差しの中で、老若男女が思い思いに楽しんでいる。その姿をこの変電所は平和を噛み締めるかのように見つめている。自分が受けた痛みを二度と繰り返してはいけないよ、平和がなによりだ、という声が聞こえてきそうであった。