活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

登頂1

2018年07月12日 | 法理

山に登る間は、「修(修行)も無し、成就も無し」とは言えません。


既に登っていて山頂に達すれば「修(修行)も無し、成就も無し」ということは

出来ると思います。


「末世の衆生のために仮りに方便をときたまえ」という文言(もんごん)が

円覚経にありますが、此の「仮りに」とは、修行する方便を「仮りに説く」

という意味です。


ですから、戒法保つとか、坐禅をするとか、これらは皆「仮り」です。


何故かというと「本来成仏」だからです。


各々が世に現われる時には、円覚即ち真如が根元で現われて来たのです。

円覚即ち真如が無ければ現われて来ることは出来ないのです。