坐ってきますと、様々な縁に左右されなくなります。
そうしていれば、やがて何かが現れるだろうという考えを持っている人がいるかもしれません。
それを、「本分に住する」といいます。
悟りもなければ、迷いもなければ、別に努力するということもなければ、捨てるものもなければ、拾うものもないという状態のことです。
そういうところに沈み切ってしまう、別の言葉で言えば、静かな中に自分の身をおいてしまうという状態です。
「法に腰を掛けている」と言います。
しかし、そういう状態ではいけないのです。