「此の物」は「空」なのです。
実体がなく、自性 (じしょう) がないものです。
一つのものというものは、ありようがありませんので、是を「空」といっているだけです。
この「空」も “認める事の出来ないもの” “実体のないもの” です。
ですから、縁に従って自由に変化して行き、その変化して行く活動が「業」というものです。
「修行によって自分が空になった」というような事がよく言われますが、それは間違いです。
【もともと「空」】なのです。
「空」というと、あるものが、ある時期において、ある縁によって欠落したと考えがちですが、そういうものではありません。
【空のままにものがある】という事です。
空のなかにものが、様々な「法」としてあるという事です。
別の言葉で言えば、それぞれのものが全て「空」 のままに【無いながらにある状態】を、仏教でいうところの「空」と説明している訳です。
実体がなく、自性 (じしょう) がないものです。
一つのものというものは、ありようがありませんので、是を「空」といっているだけです。
この「空」も “認める事の出来ないもの” “実体のないもの” です。
ですから、縁に従って自由に変化して行き、その変化して行く活動が「業」というものです。
「修行によって自分が空になった」というような事がよく言われますが、それは間違いです。
【もともと「空」】なのです。
「空」というと、あるものが、ある時期において、ある縁によって欠落したと考えがちですが、そういうものではありません。
【空のままにものがある】という事です。
空のなかにものが、様々な「法」としてあるという事です。
別の言葉で言えば、それぞれのものが全て「空」 のままに【無いながらにある状態】を、仏教でいうところの「空」と説明している訳です。