活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

修証不二(しゅしょうふに)2

2021年07月14日 | 法理

私たち衆生は「念、念」と言っていますが、「念」とはどういうものかという説明は出来ません。

 

或いは「心(しん、こころ)」も説明出来るものではありません。

 

白隠禅師の「坐禅和讃(ざぜんわさん)」の中に「無念の念を念として」というお言葉があります。

 

「無念の念」とは誰も名前を知(識)らないのです。

 

そこで分からない内は、「自我」であると名前を付けてみたけれども、分かってみればそれがそのまま、悟りであり、法であり、道であるということになる訳です。

 

この事を「修證不二(しゅしょうふに)」といって、「修 その物が証拠であり、悟りである」と説明しています。

 

ですから「念を起こさない今の事実(修行)」に徹すれば本当に自分が満足する(悟りを得る)事が出来るのです。


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