畢竟どうしたらいいのかということになります。
「ひたすらに坐って、坐をも忘れる」 ということです。
そうすると、人間以前の状態になります。
人の考えというものが本当に毛筋ほども入らない
「今という状態」 で毎日の生活が出来るということです。
別の言葉で言えば、時間もなければ、距離もなければ
場所もない、「今」 というもののれんぞくだということです。
始めもなければ、終りもない「今」の状態です。
必ず、そういう状態に気が付きます。
どのようにしたら気が付くか、
「大信根、大疑団、大奮志」
です。
ひたすらに坐る1 2015/8/24
ひたすらに坐る2 2015/8/25