「涅槃寂静(ねはん じゃくじょう)」 とは、「人人(にんにん)」 の
状態を言っています。
そして、「涅槃寂静」 の状態ではじめて仏教でいうところの
「修行」 になるのです。
すなわち、「無所悟・無所得(むしょご・むしょとく)
〈 悟るべきものもなければ、得るものもない 〉」
という、本当の 「無我の修行」 が始まるわけです。
「悟り」 とか 「見性(ものの本質を見定める)」 というのは、
「坐禅の三昧の中」 の、あるひとつの通過点です。
今では、その 「通過点」 をほとんど見落として
必要でない事のように考えていますが、それは大変な誤りです。
その通過点を通過した後に、「悟りの病」 を落とし、
「法(仏)の病」 を落とし、いよいよ本当の 「涅槃寂静」 の状態で
仏道修行が始まるということです。
このことを 「本證妙修(ほんしょう みょうしゅう)」 とか 「修證不二」
という言葉であらわしています。