活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

三法印 (さんぼういん)5

2016年04月18日 | 仏教

「三法印」を 「実証」 するために、しばらくの間、おシャカ様や歴代の覚者の

教えを借りて教えにしたがって、どうしても 「坐禅工夫」 をするという

必要が生じてくるわけです。

 

やめてしまっては、もうそれで終わりになります。

積んだり壊したり、積んだり壊したりしていること、

それ自体(悟り)なのです。


積んだり壊したりしている、その後に自分の求めているもの(悟り)が

実現すると思うから間違いなのです。


それをよく承知しておいていただかないと

積んだり壊したりすることが、なんとなく無駄なことのように

考えがちになるという事です。


すぐにそいういう 「見」 が生じて来るわけです。


間違いとか暗中模索だとか、苦しみだとかというものは

本当にこれは、自分の求めているもの(悟り) を助けてくれるものです。

絶大な力になるものです。


だから、そういうものの 「いいところだけ」 を取って自分の修行の

助けにしようという、そういう思いがいけないのです。


良いことも、悪いことも、自分の目的の為に大いに役立つことですから、

もう捨てるべきものは、何もありません。


別の言葉で言えば、積んでは壊しする、そのこと自体、

「結果」 として現われていることですから、その他、よそのものを

求めるために 「坐禅工夫」 をしてはならないということです。


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