結論という土台2 2019年09月11日 | 法理 「仏教」はどちらかというと、そういう「結論としての土台」が有(在)っては いけないと説いているのです。 先ず「結論」として「苦集滅道」というようなものを提示しておいて、そして この「結論としての土台」を外してしまうのです。 何故ならば「土台」を外さないと「元(根)」が残るからです。 「土台」というのは「ひとつの立場」です。 「最初から立場というものは執ってはいけないのだ、立場は認めようにも 認められないのだ」ということが仏教の教えです。 « 結論という土台1 | トップ | 新しい秩序1 »
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