活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

随感録30

2020年01月31日 | 随感

何故始めは「妄想」が無いのかというと、「妄想」とは「妄(みだ)りに想う」ことです。

 

「今の事実(先般の車の音)」は一番最初に想うといっても、想う以前に

ちゃんと有(在)るのです。

 

ですから手を付ける必要がないではありませんか。

 

妄想は起きてはいないのです。

それを「何」と言うから、それで妄りに想いが起きるのです。

 

それだから何も心配はしなくてもいいのです。

 

最初は妄想や煩悩は起きないのです。始めからそういうふうに出来ているのです。

 

物心が付いた時点で「此の物」を私したの煩いして苦労しているだけなのです。

 

人間(にんげん)が知(識)らないうち(認識する以前に)「此の物」は有(在)る

のですから「此の物」を私することは有り得ないのです。

 

それ以外に有り様がないのです。


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