私たち衆生は、考え方で訓練をして、「悟り」を手に入れようと思うから誤るのです。
そんな考えでどうにかしようという見解をみな捨ててしまわなければなりません。
なにかがあるとか、ないとかという事がないのです。
「将に踏まんとすれば、天地懸隔す」
との、お示しがありますが、踏もうといっても踏む種がないのです。
踏まれるものもないのです。
「一塵の足に受くるなし」 で、「塵」 一つ存在していないのです。
そういうところに、おシャカ様は本当に徹したのです。
誰でもが徹しられるのです。
自分が自分自身に徹することです。
今でも、誰でもが、そのような境地にあるから、自由でいられるのです。
知らずに自由でいられるのは、みんな 「其の人(存在者)」 だからです。
そんなに自由が利いている事に気が付いていないのです。
一つも問題にならないほど自由が利いているのです。
それほど大きな問題が 「此の物」 によってちゃんとしているのです。
おシャカ様や歴代の祖師といわれる覚者方は 「そのことを見つける道」 を教えられただけなのです。