「坐禅箴」不思量にして現じ不回互にして成ず2 2023年02月25日 | 禅 「現成(げんじょう)」の「現」は有りのまま、手の付けようもないことです。 普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)で云えば「不思量底を思量す」の不思量にして即ち「非思量」の境界(きょうがい)です。 物の外に自己というものが有(在)れば「物と我」との隔てが付いて衝突せざるを得ません。 この「現」にはその物ばかりにして何の雑物も無いから、このくらい親しいものはないのです。 « 「坐禅箴」不思量にして現じ... | トップ | 「坐禅箴」不思量にして現じ... »
コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する