「時は金なり」という時代は過ぎました。
エマーソン曰く、「時は生命なり」と。
「金」は又得られますが、失った「時」は再び得ることは
出来ません。
「時」は「生命」を刻んでいるのですから、この真理を判らないで
過ごしていては日々生命を殺していることになるのです。
それでは仏教でいう所の「殺生罪」であり、「大破戒」なのです。
今、皆さんを「未熟な方」と見させて下さい。そうでなければ
話が出来ないからです。
「未熟な方」には「結果」を先に見せるというのが仏教の鉄則です。
仏弟子の声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)のうち、「声聞」には、
「苦集滅道(くじゅうめつどう)」ということをおシャカ様は説きました。
この初めの「苦集滅道」の「苦」というのは「結果」です。
人間(にんげん)は苦しいものです。
「死に行く支度」をしているものです。
大金持ちでも、その富をもってしても「一分間の生命」を購うことは
出来ません。
死んでしまうと何も無くなってしまうというのは、実に馬鹿馬鹿しい
ことではありませんか。
ところが、世界の人は皆そうなのです。
医者から「あなたはもう駄目ですよ」と言われたら、金の力は何の
効果もなく、苦心惨憺、汗で仕上げた富は何の役にも立ちません。