「月というのは自分自身である」ということを認識して頂きたく思います。
「教えというレールの上」を走っている間は決して「法」というものは分かりません。
「法」は他にある訳ではありません。
何故ならば私たち衆生一人一人が「法」そのものであるからです。
自己の正体を見極めない限りは色々な教えの中で右往左往してしまうものです。
私たち衆生の「日常生活そのもの」がそのものに成れば本当に修行に成るということです。
「法」を知(識)らずに「教え」だけを知(識)っている為に修行の方向間違いが生じてしまうのです。