活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

無我とは1

2024年02月17日 | 法理

「無我」というものは「人(人)」というものを認めた上での言葉です。

 

そこで「人の根源とは何か」ということが問題になります。

 

私は「此の物」が「人(ひと)」と名付けられるようになったのは、何時の頃かということを考えてみたいと思います。

 

父母の縁に因って「此の物」が出来上がりますが、私たち衆生は知らず識らずに生まれていつの間にか「人(ひと)」あるいは「人間(にんげん)」と名付けられていたという全く根底のないものなのです。

 

このことを私は「不知不識生(ふちふしきしょう)」と名付けています。

 

そして「人(ひと)」には「六根の意(認識)」というものが元元具わっており、この認識が自分と他というものを分けて見る働き、つまり「自我」というものを形成するのです。

 


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