私たち衆生が常々、「分かる」とか「分からない」とか言っている世界は、ものの本質ではありません。
「認識の次元、意識の世界の事」なのです。
本来、過去と未来を分け隔てる「今」とは何かという事が一番問題にならなければいけないはずなのです。
しかし、現代の世の中は、一見説明だけで十分間に合っている為、社会生活をしていく上において(それだけで一向に不自由がないという事で) ものの本質を知ろうとしないのです。
そういう所からいつでも無明(むみょう)に滞り、「今の事実」 「今の自己の様子」についての究明が疎かにされる訳です。
しかし、知るという事は、「道」を得るために一度はどうしても通らなければならない事なのです。