「人法(にんぽう)」というお言葉があります。
「法」からいえば現象界に存在するあらゆるものは「神仏そのもの」が
顕われてきたわけですから、誰であり何であろうと、神であり、仏である
ことは「間違いのない事実」です。
「人(にん)」からいえば、物質世界の現象に囚われて「自分と他人という
分離感が生じている視点(個の存在を認めている視点)」では、それは
「神仏の実相」ではなく、自分の外にいる特定の「個人(神仏)」という
幻想、即ち個の存在に意識が合っています。
こうした幻想を「神仏」や何らかの特別な「存在(覚者)」に見立てて
自分と区別してしまうと「現象」でしかない外側の存在に頼ろうとする
心の働きが生じます。
これが「自我の働き」であり、「迷い」なのです。
「覚者信仰の克服」の大切な所です。