「参同契(さんどうかい)」に「明暗各各(おのおの)相対(あいたい)して 比するに前後の歩(あゆみ)の如し」というお示しが在ります。
差別(しゃべつ)の上には直ぐ平等があり、平等の上には差別(しゃべつ)が在るのです。
このことを例えたお示しです。
前足と後足と歩みを分けますが、同じ一つの足です。
一つの体が前足と後足に分かれたのであって、体の上から言えば一つの足です。
ところが歩みは止まらないのです。
前足と思ったのが後足ではないですか。
活動は止まらないのです。
後足と思ったら前足に成っているのです。
それを明暗の常に相伴う事と形容したのです。
如何しても離すことは出来ない者(事)です。
進んで行くと、いわゆる、今の後足が前足に成り、前足が後足に成るのです。
前足と後足は離れてはいません。
何もかもその場、その場の「因果の法則」に因って進んでいるのです。
そして私たち衆生は「活動」する為に生まれて来ているのですから「活動さえすれば宜しい」のです。
「活動」は何でも宜しいのです。
只、自分に適した「活動」をすれば宜しいのです。
それを択(えら)ぶから「不幸」が起こるのです。