昔の話ですが、朝早く起きて御飯を炊くことは「三昧」です。
これを禅語で「心境一如」といいます。
つまり、御飯を炊く時は御飯を炊くばかりに成り切って、他には何もないということです。
「三昧に成っている」のです。
人が御飯を炊くのではありません。
御飯が御飯を炊くのです。
「人(私)」が坐禅をするのではありません。
坐禅が坐禅をするのです。
これを「坐禅は坐禅なり」といいます。
これは理窟ではありません。
実験して其処に徹し、実証するしかありません。
このことを禅語で「実参実悟」といいます。