「修證不二(しゅしょうふに)」とは、「只如是(ただ、かくのごとし)」ということです。
即ち修行の面からいうと「修(修行)」は「只」であり「差別(しゃべつ)」になり、
「証(悟り)」は「如是(かくのごとし)」であり「平等」ということです。
一方に偏るということはありません。
人間(にんげん)にはどうしても先入観念というものがあり、「只」とか「如是」というと
平等一面に偏りやすい癖があります。
昔から「平等智」というものは、比較的明らめやすいものです。
「明らめやすい」ということは、はっきりしやすい、よく分かるということです。
しかし「差別智(しゃべつち)」というものは、昔からなかなか明らめ難い、
分かり難いということがいわれています。
「只如是」というのは、あるときは「手段、方法」になり、「差別(しゃべつ)」です。
同時に究極になる「平等」です。
「只如是」とは、そういう「両面を持っている」ということです。