活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

生の法から死の法へ

2018年12月11日 | 法理

息を引き取るということは、「生(しょう)の法」から「死の法」に変わることです。


生(しょう)には「生の法」が、死には「死の法」があるだけです。

その間に人の考えは入りません。


生きている生きていないということではありません。


「今」呼吸をし、話をしているのは「生の法の中」です。

それが出来なくなって止んだ時が「死の法」なのです。


それほど人(ひと)というのはどこにもいないのです。


誰も生まれた時も、自分が生まれたということもわかりません。

誕生日も知(識)りません。


長ずるに従って様々な「人間(じんかん)」の教えや習慣や話に因って

自分に成っているわけです。


ですから他人から聞いたものばかりなので、どんなにしても自分と他人の

意見の間に色々な問題が生じて来ます。


「迷い」というものは、そういうものです。


迷いは「迷いの法」があり、悟りは「悟りの法」が有(在)る訳です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。