不識について2 2020年03月25日 | 法理 一般の理解では不識とは「識らず、知らないこと」とされていますが宗教では不識を「識を超えた意味、分別をもってはかることの出来ない意味」と捉えています。 識を「言部、言偏(ごんべん)」とするのは言語によって道理を聞知するからです。 余談ですが不識と不知とは甚だ差別(しゃべつ)があり「知」の字の方が重いのです。 ですから道を知るとは、心の底より知るということなのです。 道を識るとは一寸見覚えがあるまでの意なのです。 « 不識について1 | トップ | 不識について3 »
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