自分自身はすでに、結果に至っているにもかかわらず、
経典等々を読み、自他の見(けん)を立てて迷い、
今の自分の様子を見て 「自分自身の法」 に気付くということは
とても不可能なことであると思い込んで、自ら究極に至る道を
捨ててしまう(断念する)というようなことが 「見聞(けんもん)」 される
ところです。
それではいけないということから、「仏祖の道」 を自分の道として
そういう教えに従って修行することにより
「自分とおシャカ様、あるいは歴代の覚者のお示しになるところの
“法”とは、寸分違わないものである」
ということを 「自分自身で実證」 していかなければなりません。