ここで「無」ということを、あらためて申し上げれば「無」というのは
「ない」ということではないのです。
本当に「自由」ということなのです。
絶対の自由性なのです。
その絶対の自由性を「無」といい「空」といったのです。
「眼」をご覧ください。
これは絶対の自由性です。
自分で使うのではないのに眼が開いている限り、どんなものでも向かえば
そういうふうに必ず活動します。
そして止む時がないのです。
「六官」という感覚器官全てがこういうふうに出来ているのです。
しかし、人間(にんげん)自体としては知(識)らないのです。
人間自体としては分からないのに(自分の考えとして分からないのに)どういう
訳か活動するように出来ているのです。