「道(法)」というものは、分かれば尊いというものではありません。
「分かったことが有(在)る人」は「分かったこと」をいつまでも持っていては
いけないのです。捨てないといけないのです。
「私は修行して道(法)が分かり、道(法)を捨てました」と分かる人は、それも
捨てなければならないのです。
何故ならば、「捨てるということと、分かるということ」は同じ
「心の働き(心意識)」だからです。
私たち衆生は本来「空(くう・から)に成っている」のです。
何時でも何処でも何をしていてもです。
「空(くう・から)」というのは、何も無いということではありません。
「比較するものが無くなった」ということです。