「六根」 は、それほど “公(おおやけ)” にしっかりとした道具立てなのです。
そういう大きな道具をみんな “私(わたくし)” して、小さくして使って、
皆苦労しているのです。
それを、おシャカ様は本当に自分の事として見つけられたのです。
人間(にんげん) としての道具は、誰でも同じです。
聖人でも凡夫(ぼんぷ) でも、皆これだけの道具で出来ているのです。
それが、「物心が付いた」 ということを、いかにも人間(にんげん) の本当に
生きていく道のように思い込んでしまったのです。
さらに、それを一生懸命に教育をしたものですから、いよいよわからない世界を
わからない方向へと連れて行ったのです。
ですから、どうしようもないのが当たり前なのです。
そういう問題を 「仏教」 は知らせ得る「道」なのです。