活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

結論

2024年08月22日 | 随感

成(為)すべき事を只、一所懸命に務める、又は成(為)すべき事を成(為)すだけで足りるようにしていくということです。

 

他を認めてそれに因って「生き甲斐」を感じているのだったら、そういうものが無くなった場合は如何なるかということになります。

其れでは「真の生き甲斐」にはなりません。

 

他の何物をも期待せず、本当に自分が一人に成って「個」に成り切ることです。

他の為に生きるのではなくて、「自分の為に自分が本当に生きている」ということが「真の生き甲斐」です。

 

しかし、人間というものは、絶えず他との関係、例えば人との関係・ものとの関係など関わり合いの中に在るものですから、如何しても其れの方が本当のように思えるものなのです。

 

「自分の為の自分」という処に視点を置いて日常生活を営んで行けば「仏道(仏法)」を知(識)らないという人でも、「道(法)と一つに成る」という時が必ずあります。

 

人間というのは、最初から目的を持って生まれて来ているものではありません。

別の言葉で言えば生き甲斐だとか、他の為に働かなければならないだとか、というような目的を持ってこの世に生まれて来たのではないのです。

 

ある時期からいろんな知識に因って「そういうように生きて行かなければならない」とか「そういうように行くべきだ」とか、「人の為にどうか」というようなことを自分でも考え、人からも教えられてやってきたのです。

 

しかし、其れは後から作り上げられたものです。自分のものではありません。

ですから人間は如何しても最初の生まれた時に戻ってみる必要があるのです。