人類で初めておシャカ様は「諸法は無我なり」ということに気が付かれたのです。
すべての教えは「月を標す指」ともいわれました。
しかし、月を見ることよりも「指の詮索」に生涯をかけてしまう人があります。
たまたま月を見ることを教えられても、はるか彼方の「月」というものを標されるので、これは「真に法を求めようとする人」にとっては、大変な大きな誤りを教えられているということになってしまうのです。
人類で初めておシャカ様は「諸法は無我なり」ということに気が付かれたのです。
すべての教えは「月を標す指」ともいわれました。
しかし、月を見ることよりも「指の詮索」に生涯をかけてしまう人があります。
たまたま月を見ることを教えられても、はるか彼方の「月」というものを標されるので、これは「真に法を求めようとする人」にとっては、大変な大きな誤りを教えられているということになってしまうのです。