活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

此の物3

2023年10月22日 | 法理

此の物が息を引き取るということは「生(しょう)の法」から「死の法」に変わることです。

 

生には「生の法」があり、死には「死の法」があるだけなのです。

 

その間には人の考えは入りません。

 

生きている・生きていないという事ではありません。

 

今、呼吸をし、話をしているのは「生の法の中」です。

 

それが出来なくなった、止んだ時が「死の法」なのです。

 

それほど人(ひと)というのは何処にもいないのです。

 

誰一人自分が生まれたということは分かりません。

 

誕生日さえも知(識)りません。

 

長ずるに従って様々な「人間(じんかん)の教えや習慣や話に因って自分に成っている」のです。

 

ですから他人から聞いたものばかりなので、どんなにしても自分と他人の意見の間にいろいろな問題が生じて来ます。

 

「迷い」というものはそういうものです。

 

迷いには「 迷いの法」が有(在)り、悟りには「悟りの法」が有(在)るわけです。