皆さんが自分と思っているもの、これは自分でも人(ひと)でも何でもありません。
「此の物」というのが一番適切な表現なのです。
特別に分けて言えば、此の物は肉体と精神より成り立っています。
「此の物の働き」というのは、「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)の働き」であって、これは自分のものでも無ければ誰のものといえるようなものではありません。
「六根という道具の機能」が集まって私たち衆生の生活を成しているのです。
この事を「六根無作為(ろっこんむさい)」といいます。
大切なところは、此の物を認めて想った時だけに此の物(自分)が有(在)るということです。
このことは「増一阿含経(ぞういつあごんきょう)」にはっきり示されております。
よく「悟りを開いた」とか、「自己に目醒めた」というような表現を耳にされたり、本で読まれると書かれておりますが、これは「私が悟りを開いた」とか「私が自己に目醒めた」というものではありません。
「此の物が縁、そのものに成った」という事が深意なのです。